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ティムール朝、オスマン帝国、サファヴィー朝をまとめて解説!

どうも!ケイトです。

 

ティムール朝、オスマン帝国、サファヴィー朝って意外と知識が浅かったりしませんか?

 

今回はガッツリとそれらを解説して、得意になってもらおうかと思います!

 

それでは参りましょう!

ティムール朝

引用:詳説世界史B

 

時は14世紀半ば。元から明に変わる時くらい。教会大分裂が起こってる時くらい。チャガタイハン国が東西に分裂しました。

 

西チャガタイハン国と東チャガタイハン国に分かれ、また統合するの?もう別れたままにするの?という内紛を繰り広げていました。

 

離婚調停中の別居してる夫婦みたいですね。

 

このチャガタイハン国、どちらかというと西のチャガタイハン国にいた青年ティムールは、この国に従軍していました。

 

しかし、この内紛に痺れを切らし、よっしゃ自分の国つくろ!と言ってティムります。

 

サマルカンドを都としたティムール朝を開きました。

 

ティムール朝の勢い

彼の勢いは凄まじく、イルハン、キプチャクハン国など、ハン国をすべて統一し、広大な帝国を築きました。

 

場所的には、今のアフガニスタン、イラン、イラクのあたりですね。

 

引用:詳説世界史B

広っ。

他にも、マムルーク朝を圧倒したり、デリースルタン朝に圧力をかけたりしちゃいます。

 

あとはこの後やりますが、オスマン帝国の軍を倒して、バヤジッド1世という皇帝を捕まえます。

オスマン帝国の皇帝の覚え方!

このオスマン帝国との戦いをアンカラの戦いと言います。

 

西に進んで領土を広くゲットしたティムールは、次は東!といって明の征服を目指します。

 

自分のアイディンティティであるモンゴル、つまり元を倒した明が存在しているのが我慢ならず、取り返すぞ!といって意気込んでいました。

 

当時、明には英雄的存在のカリスマ皇帝、永楽帝が帝位にいて、このまま戦いになれば、英雄同士の歴史上に残る記録になります。

 

しかし、、、

ティムールが、、、

死亡……!!

 

え〜?!このタイミングで?

 

噂によれば、寒さで酒を飲みすぎて死んでしまったらしい。アルコールには注意ですね。

 

ティムールが死んでしまったので、ティムれなくなるかと思いきや、ティムール朝は7代くらいまで続きます。

 

英雄が死ぬと必ずと言っていいほど大混乱、滅亡が起きるので、ちょっと珍しい気がしますね。

 

7代目のあとは、だんだんと分裂し、ウズベクというトルコ系民族に滅ぼされました。

 

サマルカンドはどんな街?

首都のサマルカンドは、すごく繁栄しました。

 

この土地はイラン、支配はトルコ人ということで、二つの文化が融合し豊かな芸術や文学が生み出されました。

 

モスクや学院も設置されたり、商業で栄えたりもしました。

 

ウルグ=ベクという人物は、天文台を建設し、天文学や暦法をが発展させました。

 

オスマン帝国

少し時を戻しまして、13世紀の末。ビザンツ帝国にちょいちょいちょっかいを出していたトルコ人がオスマン帝国の前身をつくりました。

 

その後、バルカン半島に進出し、アドリアノープルを首都にします。

 

結構強い国がひしめいているのに、すごいですよね。

 

これは、この時期に支配していたセルジューク朝が、モンゴルのちょっかいや十字軍でちょっとずつ弱体化していたからなんです。

 

バルカン半島に進出してきたオスマン帝国をみて、キリスト教の人たちはやばいやばいと焦ります。

 

よし、みんなで戦えば怖くない!オスマン帝国を倒そう!

 

となって、フランス、ドイツ、バルカン半島の兵士達にハンガリーの王様、ジキスムントが声をかけます。

 

そして、ニコポリスというオスマン帝国の領内に攻め込むのです。

 

迎え撃つオスマン帝国の皇帝、バヤジッド1世は、集団戦法を用いて、キリスト軍を見事なまでに蹴散らします。

 

この戦いをニコポリスの戦いと言います。

 

キリスト軍は、カトリックとプロテスタントという感情的な対立があったので、団結がなかったと言われています。

 

ビザンツ帝国を滅ぼす

しかし、バヤジッド1世は凄腕のティムールにティムられますね。(アンカラの戦い)

 

ここまでかと思いきや、ティムールは明の方に向かっていったので、命拾いし、国力は次第に回復していきます。

 

次のメフメト2世は、コンスタンティノープルを陥落させ、あの大国、ビザンツ帝国を滅ぼしてしまいます。

 

コンスタンティノープルは、イスタンブールと改称し、そのままオスマン帝国の首都になります。力を強めたオスマン帝国は、サファヴィー朝、マムルーク朝、と次々と倒していきます。

 

マムルーク朝は滅ぼして、エジプトの方も領土にしてしまいます。

 

マムルーク朝には、メッカとメディナという2つの聖都の保護権があったのですが、オスマン帝国はそれを手に入れます。

 

聖都を保護する、つまり、イスラーム世界を保護する、ということで、オスマン帝国のトップは、カリフ政治の後継者として、スンナ派を守護する存在になっていきます。

 

ただ、継承したのは政治的な役割だけで、カリフのような宗教的な権威はありませんでした。

 

オスマン帝国の最盛期は?

オスマン帝国の最盛期はスレイマン1世の時代です。なんか名前から強そうですね。

 

まあその通りです。ざっくり東西南北でみていましょう。

 

東:サファヴィー朝から南イラク

西:ハンガリー征服

南:北アフリカの支配

北:ウィーンを包囲

ウィーンは北西くらいですけどね、まあいっか。

 

勢力を強めるオスマン帝国に対抗するために、西側は手を組んだりして挑んでいきます。

 

スペインとヴィネツィアが手を組んで海の戦いでオスマン帝国に挑みましたが、惨敗しました。この戦いをプレヴェザの海戦といいます。これによってオスマン帝国は地中海を手中に納めます。

 

カピチュレーション!

つぎのセリム2世は、スレイマン1世がやっていた慣習をもう少し正式なものにしました。

 

それがカピチュレーション!

 

なんか言いやすいよね。カピチュレーション。

 

これは、オスマン帝国にいるフランス商人に、住んでいいよー、物売っていいよーという許可のことです。

 

ガンガン勢力を強めている帝国の割には、外国人は結構自由がきいていたんですね。戦いの方はどうかというと、スペインなどの連合艦隊に敗れます。

 

この戦いをレパントの海戦といいます。

 

しかし、オスマン帝国の力は弱まらず、ヨーロッパの勢力と均衡していました。

オスマン帝国の皇帝の覚え方!

オスマン帝国の特徴色々

スルタン

オスマン帝国のスルタンは専制君主でしたが、州、県、郡にしっかり分け、行政をしっかりコントロールし、イスラーム法に忠実だったので、そこまで国が崩れることはありませんでした。

 

カピチュレーションのように外国人にも寛容で、同時に異教徒にも寛容でした。

 

キリスト教徒やユダヤ教徒の共同体をミッレトと呼びますが、自治が認められていて、イスラーム教徒と上手いこと共存できていました。

 

イェニチェリって?

オスマン帝国では、イクター制と似た徴税制を使っていて、徴税権(ティマール)を持っている騎士団がありました。

 

もう一つ、スルタンの軍隊には軍団があって、それはイェニチェリと呼ばれます。

 

これは、バルカン半島に進出した時に、無理やり兵士にしたキリスト教徒軍団です。

 

強力な歩兵軍団で、オスマン帝国の軍事力の源でした。

 

コーヒー店

コーヒーは修行中に眠くならないようにと飲まれたよく飲み物でした。

 

私もコーヒー好きですが、カフェインに弱くて、夜眠れないので午後に飲めないんですよね。残念。

 

コーヒー店はヨーロッパに先駆けて、イスタンブールにできました。

 

トルココーヒー一回飲んでみたいですね。

 

サファヴィー朝

ティムールの方に話を戻しまして、ティムール朝の滅亡後の地域のお話です。

 

ティムール朝の滅亡後、神秘主義者のイスマーイールが、ガンガンに武装した遊牧民を引き連れて、ダブリーズを占領し、サファヴィー朝を開きました。

 

なんか話逸れるんですけど、イスマーイールは勝手にすごいおじいちゃんなイメージで、ダブリーズはファブリーズという風に覚えていたんですよね。

 

だから、すごい歳のいったおじいちゃんが、「ファブリーズ!」って叫んでるのがイメージとして浮かぶんですよね。

 

話逸れました。私の独特な覚え方でした。

 

まあ興味があればぜひ。

 

サファヴィー朝というのは、遊牧民のリーダー達が集まって治めるという形式の国家でした。統合のための国教にはシーア派の十二イマームが制定されました。

 

十二イマームというのは、前にも説明したことがあるかと思いますが、世界の滅亡時に、12代目の「隠れイマーム」がこの世を救ってくれるみたいな考え方で、今のイランイラクにもこの考え方はあります。

 

核が発射されて世界戦争になり、滅亡の危機に陥っても、イマームが助けてくれると信じているから、彼らは平気で核を開発しているんだ!という意見を聞いたことがあります。

 

本当かどうかは分かりませんが…。

 

王様の称号は、イランの王という意味のシャーでした。

 

 

サファヴィー朝の最盛期

サファヴィー朝はアッバース1世の時に最盛期を迎えます。

 

彼はオスマン帝国といい戦いをして領土の一部を取り返したり、ポルトガル人に侵略されていたホルムズ島から、ポルトガル人を追い出したり、イスファハーンという地域を首都にして、めちゃくちゃ豊かな街をつくったりします。

 

イスファハーンは世界の半分

イスファハーンは栄えすぎて、「イスファハーンは世界の半分」と言われたりします。実際すごく美しいモスクや学院、庭園があって、とても綺麗な街です。

 

まとめ

いかがでしたか?

 

ちょっと長かったと思いますが、自分の中で噛み砕いてアウトプットして、身につけてくださいね。

 

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それではまたお会いしましょう!

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