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【説明できる?】明と清の違いとは?!

 

どうも!ケイトです。

 

勉強ははかどっておられるでしょうか?私は不眠症で注意力散漫です。睡眠不足は集中の大敵なので、どうしたもんかって感じですね。

 

さてさて、論述問題とかでよく○○と○○の違いを説明しなさいっていう問題ありますよね。分かっているつもりでも、全然書けない時ってあるでしょう。

 

ということで今回は明と清の違いをしっかり解説していこうかと思います。

 

 

明というのは、朱元璋(しゅげんしょう)がたてた漢民族の王朝です。漢民族というのは、分かりやすく言えば純中国人という意味。

 

明は、皇帝独裁政治、脆弱な国家体制、商業の発展が特徴的です。一つずつ見ていきましょう。

皇帝独裁政治

 

初代皇帝の朱元璋は、死ぬほどびびりっちょでした。しかも、だれも信用していませんでした。

 

 

彼が皇帝独裁政治を進めたのは、「自分に全権力を集中させれば、反乱やクーデターも起きないだろう」と思ったからなのでした。

 

皇帝独裁政治の例としては、

 

・政策をやるかどうか決める中書省の廃止

・六部(日本で言う省庁みたいな)を皇帝に直属、

・里甲制で治安維持、

・租税台帳(賦役黄冊)をつくり、

・土地台帳(魚鱗図冊)で土地を管理し、

・民衆の教育のために六諭という6箇条の教訓を出しました。

 

まとめ

中書省の廃止

 

六部を皇帝に直属

 

里甲制で治安維持

 

賦役黄冊

 

魚鱗図冊

 

六諭

 

 

脆弱な国家体制

 

明の時代は外部から死ぬほどちょっかいを受けます。北は満州人、南は倭寇(海賊)に悩まされます。この状態を「北虜南倭」といいました。

 

土木の変、アルタン=ハンの侵入、後期倭寇の順でみていきましょう。

 

土木の変

 

中国の北にはモンゴルがありますが、明とモンゴルは朝貢関係にありました。しかし、モンゴルは、自由に交易したいのに、偉そうにそれを制限してくる明が嫌でした。

 

それを動機として、度々中国に侵入するようになります。15世紀の半ば、西モンゴルのオイラト族が強くなり、ある事件を起こしました。

 

オイラト族のリーダーである、エセン=ハンは明に侵入し、皇帝である正統帝を拘束してしまいます。この事件を、土木の変といいます。

 

 

北京を包囲され、皇帝は捕虜になり、、、という明によっては屈辱的な結果となりました。この事件は仕掛けた側が実質的に勝ったので、「乱」ではなく「変」ですね。

 

明は事件後、侵入を防ぐために長城を改修しました。そうですね、かの有名な万里の長城です。

アルタン=ハンの侵入

 

アルタン=ハンは16世紀頃、万里の長城を攻略して、明に侵入し、北京を包囲しました。明もたまったもんじゃないですね。

 

長城の外で住みだす中国人もでてきてしまい、結局明はモンゴルと講和し、貿易の規制を緩めました。

 

後期倭寇

 

後期倭寇というのは、16世紀のアジア系海賊のことですね。密貿易や略奪を繰り返し、勘合貿易を妨害しました。

 

 

そのせいで、朝貢体制が維持できなくなっていきます。

商業の発展

 

明では工業が盛んになり、同時に商業も盛んになります。綿織物や生糸を良く生産したので、綿花か養蚕など、原料をつくる農家も儲けました。

 

長江の中流域にある、湖広という地域では、穀物の生産で有名になりました。「湖広熟すれば天下たる」という言葉は有名ですね。

 

蘇湖熟すれば天下たると湖広熟すれば天下たるの違いって!?

 

景徳鎮という地域では陶磁器が生産されました。生糸や陶磁器は、国外に輸出される中国の目玉商品となります。

 

明の政府と結びついた特権商人がでてきますし、同業者の憩いの場、、的な会館、公所が作られます。

 

ヨーロッパの銀や日本の銀が明になだれ込むようになり、その銀を使って納税制度も変わっていきます。一条鞭法ってやつですね。

 

一条鞭法、地丁銀、両税法の違いとは?!

 

この商工業の発展のおかげで、これまでの朝貢体制から、軍事力を備えた貿易競争になっていきます。

 

 

ついでに明の文化も押さえておきましょう。

【世界史】明の文化まとめ!覚え方も!

 

 

 

清は非常に長く続いた王朝でしたね。ここで扱うには長すぎるので、特徴をかいつまんで解説していきます。

 

女真族、皇帝、文化、清朝末期の順でみていきましょう。

女真族

 

この王朝は、漢民族ではなく、女真族の王朝です。モンゴルのあたりで金という国を運営していましたが、明が内乱で滅びたタイミングでガッと降りてきて、結果的に中国を乗っ取った形になりました。

 

清はモンゴル帝国でもあり、中国でもあり、というそんな王朝です。

 

 

優秀な皇帝たち

 

清朝の前半戦は康煕帝、雍正帝、乾隆帝、と優秀な皇帝が続きます。統治スタイルは独裁でしたが、北虜南倭で悩まされていた明よりはずっと安定していました。

 

 

制度は明のものが多く、儒学を振興して、中国文化を守る姿勢があったのです。ただ、反乱を抑えたいがために、文字の獄や、辮髪など思想統制や弾圧が行われました。

文化

 

清の文化はこちらにまとめましたので、読んでみて下さい。

【世界史】清の文化まとめ!覚え方も!

 

民衆vs清

 

19世紀になって、アヘン戦争でイギリスに負けると、ヨーロッパの国々やアメリカや日本に弱さにつけ込まれていきます。

 

 

民衆達、主に漢民族はそんな清政府をみかねて、近代化を求める運動(洋務運動)がおこしたり、侵入してくる外国に腹をたてて、アロー戦争や義和団事件をおこします。

 

 

 

清朝の末期は怒濤の戦争、反乱ラッシュですね。民衆と政府が激しく戦った点が清の特徴と言えるでしょう。

 

まとめ

 

 

いかがでしたか?いやあ、盛りだくさんでしたね。どちらも大国なので、押さえるには時間がかかりますが、少しずつでいいのでやっていきましょう。

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それではまた。

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