どうも!ケイトです!
このサイトにたどり着いてくれてありがとうございます。そしておめでとうございます。あなたは世界史の偏差値が上がらないという苦しみから抜け出す一歩を踏み出したのです。
本ブログは受験世界史に特化したサイトになっています。教科書の分かりづらい部分をかみ砕いて解説したり、語呂合わせを紹介するほか、受験生活関わることについても発信していきます。
プロフィール
名前
ハンドルネーム:ケイト
純ジャパです。あと全く本名に擦っていません。
なぜにゴリゴリに外国人みたいな名前なのかというと、オールイングリッシュのクラスで英語のスイッチを入れるために、お互いに英語名で呼ぼうというのがありまして、そこで当時ハマっていた海外ドラマのヒロインからつけたのが「Kate(ケイト)」。
大学のサークルでも「あだ名」として使っていたら、わりかしみんな受け入れてくれ、「ケイティー」なんて愛称で呼ばれちゃったりしています。
出身
愛知県
経歴
2019年4月 立命館大学 国際関係学部国際関係学科入学
2021年4月 京都大学 法学部編入
2023年 3月 京都大学法学部 卒業
好きなこと・もの
ボクシング
ストレス発散のために始めたボクシング。ミットにスパーンと入る心地よさと爽快感が癖になり、体力もつき始めて週4でジムに通っています。
読書
一日に読書する時間を数分でもいいから設けるようにしてます。辻村美月先生の作品なんかはよく読みます。漫画も好きです。コナンとか、篠原健太先生の作品も全巻集めてますね。その他自己啓発系とか、勉強になる本もちょこちょこ読みます。
ボイスパーカッション
1発芸で披露できる程度の実力です。(大会とかは出られません。下手なので。)でも特技なに?って聞かれたら、とりあえずこれやります。
猫と戯れる
実家には猫が3匹います。なかなか会えずに寂しい。
↑アメショのシェルです。三男です。愛おしい。
性格
人と話す気分になれない時が多いですが、その気になれば社交的に振る舞えるみたいなよく分からない性格です。
まあそれでも大勢がいるところや、既に出来ている会話グループに割り込むこと、人との会話をリードするのも苦手です。いわゆるコミュ障とか、内向的と言われるものなんでしょう。うん。
こんな私でも営業の仕事とか広報、新卒採用の仕事やってんですよ。世の中なんとかなるものです。
ケイトが誰か分かったけど、なんで世界史ブログ?
なんで世界史特化ブログなのか。そう思った方も多いはず。
他の塾や予備校、勉強法を教えるサイトを見ても世界史だけに特化した世界史の専門塾はなかったですよね。
私が世界史に特化したのは、世界史しか教えられないから
これだけ。
うんほんとこれだけ。
不得意な教科を教えられるほどの度胸が、私にはありません。しかし、世界史だけであれば、あなたの成績を上げるお手伝いをできる自信があります。
世界史専門塾をつくることになった経緯、それは私の受験生時代の経験、その後の編入受験の体験がきっかけです。私自身、成績の伸び悩みを経験した受験生の一人だったからです。
高1の時から京大志望
高1の時から京大を目指し、コツコツと勉強してきたつもりでした。青春時代、私はハンドボールと勉強に費やし、恋もせず、遊びもしませんでした。
毎日ひたすら勉強しました。これだけやれば受かるだろう、そう信じていました。
しかし私の成績は思ったようにのびません。判定はいつも
E判定
私は努力が足りないのだと思い、勉強し続けました。ただ、このときはまだ重要な事実に気づいてはいませんでした。
模試中にパニクる
私がもっともショックを受けたのは高3の九月、河合記述模試の世界史の時間でした。夏休みの成果が出るこの大事な模試。
いつもよりも気合いが入っていました。開始の合図があり、ぱらりと問題用紙をめくります。そうして1問目の問題を読み、答えを導きだそうとします。
しかし
あれ?なんだっけ?
分かるはずなのに、思い出せません。
夏休み中、勉強は必死にやっていました。結果がでなければおかしいと思うくらいでした。また「結果が出ないとさすがにヤバイ。」そう思いながら受けた模試。
なのに全然思い出せないのです。とりあえず...次!プチパニックになりながらも焦ったらだめだと思い、次の問題を見ます。
えーっとたしか...
とりあえず、最後の問題までやってみました。すべての問題に着手した後の私の答案は衝撃的でした。
し、白っ
1問目からの焦りは止められず、頭の中は真っ白でした。何もできず時間は過ぎていきました。模試が終わり、その帰り道。私はショックで何も考えられませんでした。
塾にも通い、1年の時から勉強に費やしてきた時間はなんだったのか。受験の天王山である夏休みを無駄にして、私は今まで何をしてきたのか。
すべてが嫌になりました。
1日10時間以上勉強し、風呂でもトイレでも勉強し、部活が終わって疲れ果てても、勉強していたのに、努力は報われない。
真面目にやってきたのに?
模試から数日は勉強が手につきませんでした。本当に京大に行きたいのかどうかも怪しくなりました。1年後、大学生をやっていることすら想像できませんでした。
運命は変わる
しかし、自暴自棄になり、自分の部屋で、「ストーリー勉強法」に出会います。この動画の視聴が転機となりました。
「世界史は、「ストーリー」を理解することが肝。」
「世界史の「ストーリー」は、数学で言う公式のようなもの」
ということを教えてくれたのです。
どういうことかというと、数学は、1問1問式や答えを暗記しても、公式を使えなければ、試験で問題が解けません。
試験でまったく同じ問題は出ないからです。
それと同じで、世界史も、用語や年号ばかり暗記しても、一問一答問題くらいしか解けず、
論述やヨコの歴史問題が解けないので、まったく点が稼げません。
世界史は「ストーリー」が基になっていて、切り取られた1部分が問題になっているからです。
例えば、「桃太郎」という物語があります。そして、この桃太郎が試験範囲だったとします。
この時あなたは、「桃太郎」「猿」「きびだんご」などという用語ばっかり覚えますか?それとも桃太郎の「お話」を理解して覚えますか?
「お話」を覚えるでしょう。その方が全体を理解した上でどんな問題にも応用ができ、点が取れるからです。
しかし、世界史になると、みんな血眼になって用語や年号を覚え出すのです。よく考えたらこれっておかしいですよね。
このように「ストーリー」を理解して覚えることが重要だと気づいた私は、今までの用語や年号をやみくもに覚えたり、何も考えずに教科書を音読するような勉強法を見直しました。
そして、「ストーリー」の理解を軸とした勉強法に切り替えたのです。
するとなんてことでしょう。毎日の勉強が捗るようになり、一問一答の問題集はスラスラ解けるようになっていきました。
おまけに自信もついていきます。
すると夏の模試とは打って変わり、秋の模試で世界史はマーク9割達成!
記述偏差値65!
ひゃっほう
8割前後をうろちょろしていたマークと、前回ボロボロだった記述のこの成果は私にとっては快挙でした。爆発的に偏差値が上がったのです。
試験中に問題がすらすら解けた感覚は今でも忘れません。試験中ニヤニヤしていました。一番出来の悪かった世界史は、いつのまにか得意科目になっていました。
世界史の勉強が最も楽しくなっていたんです。この勉強のポイントに気づくのが遅かったのもあり、数学が足を引っ張ったりして、私は第一志望に合格することはできませんでした。
もっと頑張れただろう、もっと効率的にできただろう、もっと早く気づきたかったと思います。しかし結果は結果。受け入れて前に進むしかありません。
京大に落ちたとはいっても、立命館大学(映像)(食マネ)(国際関係)、同志社大学(文)、関西大学(奨学生)、近畿(国際)など、受けた私大には全部合格することができました。
編入受験
私のストーリーはここでは終わりません。大学入学後、私は執念の京大の編入受験を決意しました。落ちてただただ悔しかったのもそうですが、不完全燃焼感があったからです。世の中的には「学歴コンプ」でしょうが、なんとでも言いなさい。
なにはともあれ、
やりきってから正式に受験生活を終えたい、そう思いました。
これは取りも直さず、甘ったれた自分への挑戦でした。
しかし、問題が連発します。
まず、モチベーションが保てない。編入なんてやらなくても死なないし、周りが自由に遊んでいる中、何してんだろう、っていう気分になります。
そして、全力のアウェー感。
「なにこのアウェー感」
大学受験って、もう世間の風潮からして、絶対受けなきゃいけない物なんですよね。だから、高校生の50%は大学に行くんです。大学受験にいくらかかろうが、みんな文句言いません。
でも、その後の勉強や受験は、「学歴コンプ」とか「学歴ロンダリング」とかディスられる。出会い系アプリで出会った、同志社の彼に編入の旨を話したら、上記のようにディスられました。(即別れた)
18歳以降は努力しちゃいけない、18歳で決まった学歴をずっと背負わなきゃいけないなんて誰が決めたんでしょうか。学歴社会のワリには、勉強し続けている大人に対しても目線が冷たいですよね。
そして最後に、情報少なすぎ。マジで、情報少ないです。
周りに編入したという体験をした人もいないし、必死にブログやTwitterを使って情報を集めました。
挫折
周りには言ってませんが、ここは情報を共有する場であり、自分がオーナーのサイトです。だからぶちまけます。
2020年の6月7月、一回諦めました。(爆)
大暴露。親にも言ってません。マジで、この2ヶ月は勉強辞めてぼんやりしてました。
挫折したのは、上に書いた理由に加えて、
・進歩が分からなかったこと
・孤独
・ただただストレス
です。
この時の私は、多分プチ鬱状態でした。何をしても成果が出ずお先真っ暗で、コロナでサークルとか楽しみ全部奪われるし、実家にいても1日楽しくないし、編入に関して誰にも相談できない。精神状態最悪でした。
高校の時仲良くしていた友達から「編入頑張れ!」とメッセージが来ると、心を痛めながら「頑張る!」と返していました。
なぜか再決心した
8月。ドン底状態で2ヶ月を過ごし、試験まであと3ヶ月。本当に諦めるなら決心、やりきるなら決心。決断をしなければなりませんでした。私の選択はこうでした。
勉強を1からやり直す。
今思えば、2ヶ月間休んだおかげで、頑張りきってスッキリしたいという当初の目的がよみがえったのかも知れません。なにがあってもあと3ヶ月。この3ヶ月でケリをつけると。
基礎からやり直し、必死に勉強しました。本を読み、講義を受け、アウトプットしまくりました。(この1ヶ月が一番キツかった)
編入予備校の対面授業
これがなかったら、やっぱり諦めていたし、続けていても試験日に論文を書けなかっただろうな、というものがあります。それは、編入予備校での対面授業です。
編入予備校の映像授業は受けていましたが、対面に行く度胸がなかったこと(自分の無知が露呈するのが怖くってm(_ _)m)から、対面授業は取っていませんでした。
しかし、「せっかく秋の授業から大学も対面だし、京大講座は緊張感あふれる中、質の良い授業を受けられるよ」と予備校のアドバイザーさんに言われ、意を決して通うことにしました。
講師の方は、京大に毎年合格者を出していて、編入界隈でも有名な方でした。また、教室で講義を受けている仲間達は超優秀。
最初のうちは、予想通り打ちのめされましたし、講義では当てられまくるし、ド緊張でした。これまで書いてなかった論文も書きまくりました。全然書くことが思いつかない。何回か心が折れましたが、回数を重ねていくうちに、変化が現れました。
合格点の論文が書けるようになったことです。
講師の方は論文を見て、ここは良い、こういうこと書けばもっと良い、そのようなアドバイスをくれました。なにをすればいいか明確になり、一人で頑張っていた私にとっては、これが大きな力となり、勉強を後押ししてくれました。
試験を終えて
10月31日ハロウィン。仮装した京大生が校内を闊歩する中、試験を受けました。真っ白になりそうな頭で問題文を読み、震える手で小論文を2本書きました。
無事に小論文は書き終えましたが、試験後あるあるで、自分の書いた論文は振り返れば振り返るほど、駄文に思えてくる。あんなこと書けばよかったかな、あの知識って本当にあってたけな。
試験直後は爽快感がありましたが、だんだんとマジ、落ちたわあって思うようになりました。
それでも、学部試験が終わったときのような、後悔や、やりきれなかった感はなく、「やりきれた」「なんだかんだ楽しかった」って思えたんです。結果がどうだったであれ、この経験は今でも心から「やってよかった」と思っています。
で、結果は?って?
合格しましたわよ
詳しい体験記はこちらに書いてます。編入受験生向けのnoteも書いているので、よければそちらも覗いてみて下さい。
一人で頑張っても限界がある
この編入受検の体験を通して、思ったのは
一人で頑張っても限界がある
ってことです。
一人である程度頑張ることも時には大事。でも時には、人の手を借りた方が大きな成果が得られます。
思い返してみれば、京大受験も、勉強面でサポートしてくれる人がいなかったし、編入試験も、一人で頑張っていた時は鬱になりました。
もともと人の手を借りるのが得意ではないし、真面目で一人でコツコツやることを褒められてきました。
でも人生で成果が出ていた時、楽しかった時を振り返れば、それは必ず人の手を借りていたとき、人からの指導を受けていたときでした。エレクトーンのコンクールで金賞をとる、読書感想文で3回も賞をもらう、高校の部活ではレギュラーになって、チームに貢献し大会での優勝する、そして京大に合格する。
マジメで我慢強い人の多くは一人っきりで頑張ろうとします。もしかすると、人に助けを借りることを、親や周りから阻まれてきたのかもしれません。私もそうだった。でもこれだけは言わせて下さい。
人の手を借りて良いんです。
私がこの仕事をしている理念として、「ノブレス・オブリージュ」という考え方があります。簡単に言えば、裕福な人や高学歴者、恵まれた人は社会のために身を粉にする義務があるということです。
私は京大に落ち、立命館に進学しましたが、立命館の受験生の中には死ぬほど行きたかったのに、及ばず涙をのんだ者がいるはずです。そんな人の席を奪い取って合格・進学したと言えます。
金銭的に、文化的に、思うように勉強できない人もいるはずです。
私のように、一人、孤独に勉強せざる人もいるでしょうし、助けを求めたくても、なかなか勇気が出ない人もいるはずです。
その中で、このように2回も受験を経験でき、無事に卒業し、正社員として就職し豊かに暮らしています。
人を助けられる地位、環境にある私は、どう頑張っても苦しみから抜け出せない人達を助ける義務があるのだと思っています。
だからこのブログでは、存分に世界史の知識を学んでいって欲しいし、適切な対価は頂きますが、個別指導も受け付けています。(問い合わせ欄から記入お願いします)
一人でも多く手を差し伸べたいし、こう言いたい。
人の手を借りて良いんだよと
もちろん自分で頑張ろうとしない人や、情報を受け取るだけ受け取って、その対価を払おうとしない人は嫌です。
ですが、やる気があり、一人で悩み苦しむ人達を、救えたらいいな、と思うのです。存分にこのブログを活用していって頂けると幸いです。