ケイトって何者?

 

どうも!ケイトです!

 

このサイトにたどり着いてくれてありがとうございます。そしておめでとうございます。苦しみから抜け出す一歩を踏み出したのです。

 

このブログは受験世界史に特化したサイトになっています。教科書の分かりづらい部分をかみ砕いて解説したり、語呂合わせを紹介するほか、受験生活関わることについても発信しています

 

プロフィール

 

名前

 

ハンドルネーム:ケイト

 

私は純ジャパですが、なぜハンドルネームがケイトなのかというと、大学のある英語のクラスでお互いにあだ名で呼ぼうというのがありまして、そこで適当につけたのが「ケイト」。

うん。これだけ。アメリカのドラマ「キャッスル」のケイト・ベケットからとりました。

 

立命館大学のアカペラサークルclefでもこの「ケイト」を使っていたら、愛着わいてきちゃったんですよね。

 

ケイトってキャサリンの愛称だから、ケイティーとかだとそのまた愛称になっちゃいますね。はい、どうでもいいです

 

ハンドルネームにしているのは、ただの防犯です。一回家バレた?みたいなことがあって怖かったので(笑)

 

年齢

 

22歳

 

出身

愛知県

学歴

2019年4月 立命館大学 国際関係学部国際関係学科入学

2021年4月 京都大学 法学部編入

2023年 3月 京都大学法学部 卒業

 

好きなこと・もの

 

読書

 

一日に読書する時間を数分でもいいから設けるようにしてます。小説はスティーブンキングとかハリーポッターですかね。漫画も大好きです。あとはビジネス書とか、心理学の本を読むのも好きです。

 

休みの日は1日中、蔦屋書店にこもっていたいです。

 

ビートボックス

中3から続けてます。HIKAKINに憧れて始めました。1発芸で披露できるくらいの実力です。特技なに?って聞かれたら、とりあえずこれやります。

 

海外ドラマ、映画鑑賞

 

高1の時に、プリズンブレイクにはまり、そこからもうアメリカドラマにドはまりしています。ただ、飽き性なので見途中のドラマ何本か...

 

映画はディズニーが好きですね。特にアナ雪はなぜか分からないけどずっと好きです。多分曲が良いからですね。

 

 

洋画も時々見ます。バックトゥーザフーチャーとか、天使にラブソングを、ショーシャンクの空になど、不朽の名作的なものが好きです。

 

勉強

 

英語の勉強が中心ですが、気になったことを調べて考えたりします。読書の習慣も、この「学習欲」からきています。自分で学ぶと楽しいです。

 

猫と戯れる

 

実家には猫が3匹います。なかなか会えずに寂しい。猫と戯れるのが大好きなので、猫カフェとか行ったりします。

 

↑アメショのシェルです。三男です。愛おしい。

運動

ランニングと筋トレをしていますね。小学校でサッカー、中学校でソフトテニス、高校でハンドボールとなかなかアクティブでした。

 

もともとずっとサッカーをやっていたかったんですが、中学には女子サッカー部はなく、テニス部へ。

 

ですが、テニス部でいじめられて、嫌になり、高校でまったくやったことのないハンドボールを始めました。色々やりたかったのではなく、成り行きでそうなっちゃいました。

 

大学でアカペラに入ったので動かなくなったので、筋トレとランニングをやってます。久しぶりにサッカーしたいですね。

 

エレクトーン

 

4歳からエレクトーンをやっていて、今年で16年目です。実家に帰ったときは必ず弾きます。小学生の時は、コンクールやら、コンサートやら色々出まくってて、なんか地獄でした。

 

あと、作曲もなぜか成り行きですることになり、今までに4曲書きました。ファンタズミックを編曲したりもしました。成り行きで(笑)

 

戻りたいかって言われたら戻りたくないですね。でも、成功やら、挫折やら色々経験できし、なんだかんだ今まで続いているので良かったです。

 

嫌いなこと・もの

 

嫌いなこと・もの・人は

・パスタすする人

・カラオケで人の歌聞かない人

・あー言えばこー言う人

・クソ寒いところ

・クソ暑いところ

・騒がしいところ

・面倒くさい料理をつくる

・日本の幽霊系のホラー映画

・とりあえず面倒なもの

こんな感じですかね

性格

 

内気ですが、その気になれば社交的に振る舞えるみたいなよく分からない性格です。仲良くなった人ととは、もっと仲良くなりたいと思うタイプですが、大勢がいるところや初対面で話すのは苦手です。

 

多分、内向的なんでしょう。うん。

 

また、上下関係が苦手です。もう傷つきたくないので、テニス部の時の思い出をトラウマにしておきます。

 

あとは学ぶのが大好きですね。興味をもったらとりあえず学びたくなるし、徹底的に調べたくなります。

 

ケイトが誰か分かったけど、なんで世界史ブログ?

そう思った方も多いはず。

 

他の塾や予備校、勉強法を教えるサイトを見ても世界史だけに特化した世界史の専門塾はなかったですよね。

 

私が世界史に特化した理由はこれだけです。

 

世界史しか教えられないから

 

不得意な教科を教えられるほどの度胸が私にはありません。しかし、世界史だけであれば、あなたの成績をあげることをお手伝いできる自信があります。

 

世界史専門塾をつくることになった経緯、それは私の受験生時代の経験、その後の編入受験の体験がきっかけです。私自身、成績の伸び悩みを経験した受験生の一人です。

 

高1の時から京大

 

高1の時から京大を目指し、コツコツと勉強してきたつもりでした。青春時代、私はハンドボールと勉強に費やし、恋もせず、遊びもしませんでした。

 

 

毎日ひたすら勉強しました。これだけやれば受かるだろう、そう信じていました。

 

しかし私の成績は思ったようにのびません。判定はいつも

 

E判定

 

私は努力が足りないのだと思い、勉強し続けました。ただ、このときはまだ重要な事実に気づいてはいませんでした。

 

模試中にパニクる

 

私がもっともショックを受けたのは高3の九月、河合記述模試の世界史の時間でした。夏休みの成果がでるこの模試。

 

 

いつもよりも気合いが入っていました。開始の合図があり、ぱらりと問題用紙をめくります。そうして1問目の問題を読み、答えを導きだそうとします。

 

しかし

あれ?なんだっけ?

分かるはずなのに、思い出せません。

 

夏休み中、勉強は必死にやっていました。結果がでなければおかしいと思うくらいでした。また「結果が出ないとさすがにヤバイ。」そう思いながら受けた模試。

 

なのに全然思い出せないのです。とりあえず...次!プチパニックになりながらも焦ったらだめだと思い、次の問題を見ます。

 

えーっとたしか...

 

とりあえず、最後の問題までやってみました。すべての問題に着手した後の私の答案は衝撃的でした。

 

し、白っ

 

1問目からでた焦りは止められず、頭の中は真っ白でした。何もできず時間は過ぎていきました。模試が終わり、その帰り道。私はショックで何も考えられませんでした。

 

塾にも通い、1年の時から勉強に費やしてきた時間はなんだったのか。受験の天王山である夏休みを無駄にして、私は今まで何をしてきたのか。

 

すべてが嫌になりました。

1日10時間以上勉強し、風呂でもトイレでも勉強し、部活が終わって疲れ果てても、勉強していたのに、努力は報われない。

 

真面目にやってきたのに?

 

模試から数日は勉強が手につきませんでした。本当に京大に行きたいのかどうかも怪しくなりました。1年後、大学生をやっていることすら想像できませんでした。

 

運命は変わる

しかし、自暴自棄になり、自分の部屋で、「ストーリー勉強法」に出会います。この動画の視聴が転機となりました。

 

「世界史は、「ストーリー」を理解することが肝。」
「世界史の「ストーリー」は、数学で言う公式のようなもの」
ということを教えてくれたのです。

 

どういうことかというと、数学は、1問1問式や答えを暗記しても、公式を使えなければ、試験で問題が解けません。

 

試験でまったく同じ問題は出ないからです。

それと同じで、世界史も、用語や年号ばかり暗記しても、一問一答問題くらいしか解けず、
論述やヨコの歴史問題が解けないので、まったく点が稼げません。

 

世界史は「ストーリー」が基になっていて、切り取られた1部分が問題になっているからです。

 

例えば、「桃太郎」という物語があります。そして、この桃太郎が試験範囲だったとします。

 

この時あなたは、用語ばっかり覚えますか?それとも桃太郎の「お話」を理解して覚えますか?
恐らく、「お話」を覚えるでしょう。その方が点が取れるからです。

 

しかし、世界史になると、みんな血眼になって用語や年号を覚え出すのです。これっておかしいですよね。

 

 

このように「ストーリー」を理解して覚えることが重要だと気づいた私は、今までの用語や年号をやみくもに覚えたり、何も考えずに教科書を音読するような勉強法を見直しました。

 

そして、「ストーリー」の理解を軸とした勉強法に切り替えたのです。

するとなんてことでしょう。毎日の勉強が捗るようになり、一問一答の問題集はスラスラ解けるようになっていきました。

 

おまけに自信もついていきます。

 

 

すると秋の模試で世界史はマーク9達成!

記述偏差値65

ひゃっほう

 

 

8割前後をうろちょろしていたマークと、前回ボロボロだった記述のこの成果は私にとっては快挙でした。爆発的に偏差値が上がったのです。

 

 

試験中に問題がすらすら解けた感覚は今でも忘れません。試験中ニヤニヤしていました。一番出来の悪かった世界史は、いつのまにか得意科目になっていました。

世界史の勉強が最も楽しくなっていたんです。この勉強のポイントに気づくのが遅かったので、私は第一志望に合格することはできませんでした

 

もっと頑張れただろう、もっと効率的にできただろう、もっと早く気づきたかったと思います。しかし結果は結果。受け入れて前に進むしかありません。

 

京大に落ちたとはいっても、立命館大学(映像)(食マネ)(国際関係)、同志社大学(文)、関西大学(奨学生)、近畿(国際)など受けた私大には全部合格しました。

編入受験

ということで、こんな仕事をしています。メルマガ登録、よろしくお願いします。。。。と普通なら、ここで終わるんですが、これでは終わらないです。

 

大学入学後、私は京大の編入試験を受けることを決意しました。落ちてただただ悔しかったのもそうですが、不完全燃焼感があったからです。

 

世界史はよくても、他はボロボロ。今まで何してきたんだろうってくらい、成果が出なかったのです。

 

やりきってから正式に受験生活を終えたい、そう思いました。

 

私は張り切って勉強を始めましたが、ここで問題が連発。

 

まず、モチベーションが保てない。編入なんてやらなくても死なないし、周りが自由に遊んでいる中、何してんだろう、っていう気分になります。

 

そして、全力のアウェー感。

 

「なにこのアウェー感」

 

 

大学受験って、もう世間の風潮からして、絶対受けなきゃいけない物なんですよね。だから、高校生の50%は大学に行くんです。大学受験にいくらかかろうが、みんな文句言いません。

 

 

でも、その後の勉強や受験は、必ず「学歴コンプ」とか「学歴ロンダリング」とかディスられる。出会い系アプリで出会った、同志社の彼に編入の旨を話したら、上記のようにディスられました。(即別れた)

 

18歳以降は努力しちゃいけない、18歳で決まった学歴をずっと背負わなきゃいけないなんて誰が決めたんでしょうか。学歴社会のワリには、勉強し続けている大人に対しても目線が冷たいですよね。

 

そして最後に、情報少なすぎ。マジで、情報少ないです。

 

周りに編入したという体験をした人もいないし、必死にブログやTwitterを使って情報を集めました。

 

挫折

周りには言ってませんが、ここは情報を共有する場であり、自分がオーナーのサイトです。だからぶちまけます。

 

2020年の6月7月は

一回諦めました。(爆)

 

親にも言ってません。マジで、この2ヶ月はぼんやりしてました。

 

挫折したのは、上に書いた理由に加えて、

・進歩が分からなかったこと

・孤独

・ただただストレス

です。

 

この時の私は、多分プチ鬱状態でした。何をしても成果が出ず、お先真っ暗で、コロナで人とも会えず、編入に関して誰にも相談できない。

 

最悪でした。

 

高校の時仲良くしていた友達から「編入頑張れ!」とメッセージが来ると、心を痛めながら「頑張る!」と返していました。

なぜか再決心した

これは自分でも分かりません。2ヶ月休んで頭が冷えたのか、一度決心したことは諦めないと決めていたのか、諦めることを親に言いたくなかったのか、

 

いろいろ悩み苦しんだ末、

8月に再決心し勉強を1からやり直しました。

 

今思えば、頑張りきってスッキリしたいという当初の目的がよみがえったのかも知れません。

 

私は必死に勉強しました。本を読み、講義を受け、アウトプットしまくりました。この1ヶ月が一番キツかったですね。

編入予備校の対面授業

これがなかったら、やっぱり諦めていたし、続けていても試験日に論文を書けなかっただろうな、というものがあります。

 

それは、編入予備校での対面授業です。

 

編入予備校の映像授業はとっていたのですが、コロナの関係や、対面に行く度胸がなかったことから、対面授業はとっていませんでした。

 

しかし、「せっかく秋の授業から大学も対面だし、京大講座は緊張感あふれる中、質の良い授業を受けられるよ」と予備校のアドバイザーさんに言われ、意を決して通うことにしました。

 

講師の方は、京大に毎年合格者を出していて、編入界隈でも有名な方でした。また、教室で講義を受けている仲間達は超優秀。

 

最初は、うちのめされましたし、数回はド緊張で受けてました。講義では当てられまくるし、論文も書きまくりました。何回か心が折れましたが、回数を重ねていくうちに、変化が現れました。

 

合格点の論文が書けるようになったことです。

 

ここは良い、こういうこと書けばもっと良い、そのようなアドバイスをくれました。一人で頑張っていた私にとっては、これが大きな力となり、勉強を後押ししてくれました。

 

試験を終えて

自分の書いた論文は振り返れば振り返るほど、クソに思えてくるし、そもそも英語の点数が低すぎる。(試験はTOEFLのスコアと法学論文2本)

 

 

マジ、落ちたわあって思いました。

 

でも、学部試験が終わったときのような、後悔や、やりきれなかった感はないです。そりゃ、こうすればよかった、ああすればよかった、ってことは探せばいくらでもあります。

 

それでも、「やりきれた」「なんだかんだ楽しかった」って思えています。

 

で、結果は?って?

 

 

合格しましたわよ

 

詳しい体験記はこちらに書いてます。

京都大学法学部3年次編入試験合格したので後輩のために体験記を書く

 

一人で頑張っても限界がある

 

この編入受検の体験を通して、思ったのは

一人で頑張っても限界がある

ってことです。

時には、人の手を借りた方が大きな成果が得られます

 

思い返してみれば、京大受験も、勉強面でサポートしてくれる人がいなかったし、編入試験も、一人で頑張っていた時は鬱になりました。

 

それに、人の手を借りていたとき、人からの指導を受けていたときは、エレクトーンのコンクールで賞をとれたり、読書感想文で3回も賞をもらったり、高校の部活ではレギュラーになって、大会での優勝を2回経験しました。

 

どれだけマジメで我慢強くても、一人っきりで頑張るのは、無理がありますし、ずっと一人、孤独だと、思考が凝り固まります。

 

人の手を借りて良いんです。

私がこの仕事をしている理念として、「ノブレス・オブリージュ」という考え方があります。簡単に言えば、裕福な人や高学歴者、恵まれた人は社会のために身を粉にする義務があるということです。

 

私は京大に落ちましたが、立命館には、死ぬほど生きたかったが及ばず涙をのんだ者の席を奪い取って合格しているのかもしれません。

 

金銭的に、文化的に、思うように勉強できない人もいるはずです。

 

私のように、一人、孤独に勉強せざる人もいるでしょうし、

 

助けを求めたくても、なかなか勇気が出ない人もいるはずです。

 

その中で、このように2回受験を経験し、大学生として、豊かに暮らしています。

 

人を助けられる地位、環境にある私は、どう頑張っても苦しみから抜け出せない人達を助ける義務があるのだと思っています。

 

だからこのブログでは、存分に世界史の知識を学んでいって欲しいし、適切な対価は頂きますが、個別指導も受け付けています。

 

一人でも多く、手を差し伸べたいし、私はこう言いたいんです。

人の手を借りて良いんだよ

 

もちろん自分で頑張ろうとしない人や、情報を受け取るだけ受け取って、その対価を払おうとしない人は嫌です。

 

ですが、やる気があり、一人で悩み苦しむ人達を、救えたらいいな、と思うのです。