みなさんこんにちは。ケイトです。
前回はウマイヤ朝についての解説でしたね。今回は、アッバースの最盛期やウマイヤ朝との違いについて解説していきます!
Contents
アッバース朝
前回解説した税制は、改宗しても税を払わなければならないという点がすごく不平等だというものでしたね。
そんな不平等な税制はだんだん批判を浴びるようになり、ムハンマドの叔父の子孫であるアッバース家が不満を持った人々ともに行動を起こします。
長いこと反ウマイヤ運動をし、
そしてアブー=アル=アッバースがついにクーデターに成功します。
彼はアッバース朝を開きました。また、二代目のマンスールはバグダードを首都に定めました。
最盛期は?
カール大帝と同じ時期(800年頃)素晴らしい指導者がいました。ハールーン=アッラシードという人物です。彼がカリフになる前に、改宗者もアラブ人も関係なく、要職につかせ、官僚制度も発達します。
シャリーアというイスラーム法によって、政治が安定。
それにより彼の時代に安定した統治ができるようになり、商業や文化が発展しました。千夜一夜物語(アラビアンナイト)にその様子がよく表されています。
バグダードは100万人の人々が住む大都市となりました。なお、シャリーアは、コーランと預言者の言葉(ハディース)が基礎になっています。
文化
知恵の館を設置して、ギリシア語のあらゆる文献をアラビア語訳して研究を進めました。医学、天文学、幾何学、光学、地理学など多くの学問が発展します。
これがヨーロッパに伝わり、ルネサンスに繋がっていきます。
まとめ
いかがでしたか?
アッバース朝の最盛期、ウマイヤ朝との相違点を解説しました。これから少し難しくなるので、よく復習してから、次に進んでくださいね。
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それではまた会いましょう!
ウマイヤ朝が一発で理解できる! 税制、トゥールポワティエ間の戦いについて分かりやすく解説!
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