どうも!ケイトです。
今回は中東戦争を1から解説するとともに、年号の語呂合わせも一緒にやっていこうと思います。
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第一次中東戦争
まず中東戦争とは、どこ対どこの戦争や!というと、パレスチナとイスラエルの戦争です。一回目は、1948年に起こりました。
大昔、このパレスチナの地域には、どんな民族がいたかを覚えていますか?
正解!ユダヤ人ですね。
しかし、彼らはこの地域を追われ西欧へ移動しました。ではその後、パレスチナの地域に住んでいた民族はなんでしょう?
そうですね。アラブ人です。
この戦争にはこの2つの民族が登場します。
発端としては、ユダヤ人が本体いるべきところに戻ろう!と決意したことでした。それがパレスチナの地域です。
この戻ろう運動をシオニズムと言います。しかしこの運動を私欲のために利用した国があり、それが問題を大きくしました。
中東を支配下に治め、インドへの道を確かなものしたかったイギリスです。イギリスは、ユダヤ人に対してこう言いました。
「君たちの国をあげるよ!」
自分達の国に戻りたい人達がこんなに美味しい話は乗っからないわけはありません。ユダヤ人はこの話に乗ることにして、そっか!イギリスさん、よろしく!と宣言しました。これが、バルフォア宣言です。
しかしイギリスは、パレスチナと別の約束をします。
「トルコに味方しなければ、独立していいよ!」
自分達の国を大事に思うのは当然。こんなに美味しい話は乗っからないわけにはいきませんね。アラブ人も話に乗りました。これが、フセイン=マクマホン協定です。
さらにイギリスは、フランスと「戦争終わったら中東分け分けしようぜ!」と約束しました。イギリスとしては多分これが本命ですね。これをサイクス=ピコ協定といいます。
という感じで、イギリスはいわゆる「三枚舌外交」を行いました。彼氏がこんな男だったらすぐ別れます
さて、大戦後どうなったか。パレスチナは約束を破ってイギリスが植民地統治し、ユダヤ人は約束が果たされると思って、パレスチナにやってきました。
そしたら、まあもちろん当然、、、ケンカになりますね。
「何勝手に入ってきてんだ、コラァ」
「もともと住んでたんだよ、譲れやァ!」
ってな感じ。
イギリスが植民地支配を辞めたタイミングで、見かねた国際連合が仲裁に入りました。
しかしこの国際連合の仲直り案が、戦争の原因の1つになります。
どういうものだったかというと、「外から入ってきたユダヤ人にパレスチナの土地を半分も分ける」という内容だったのです。
ユダヤ人はもちろん承諾し、イスラエルを建国しますが、当然ながらアラブ人は黙っちゃいません。
ついに怒りが爆発して、それが戦争に発展していきます。これが第一次中東戦争ですね。
結果、イスラエルが勝利し、パレスチナから追放された100万人以上の人々は難民となりました。
第二次中東戦争
第二次中東戦争は、実はイスラエルとパレスチナの戦いではありません。
この戦いは1956年に、エジプトにイギリス、フランス、イスラエルが攻め込んで起きた戦争です。
エジプトでは1952年に革命が起き、ナセルを大統領に共和国になりました。外交的な姿勢は中立で、エジプトは国内の近代化を目指して、アスワン=ハイダムの建設を始めました。
しかし、イギリス、アメリカはナセルの、中立な姿勢にいらだちます。自分勝手やな。
そこで、彼らはエジプトへの経済支援を辞めます。
それに対して、ナセルは「スエズ運河国有化するからね?通行料かせぐからね」とにらみ返しました。
これにムキになったイギリス、はそれぞれアフリカの国やエジプトに反感を抱いているフランス、イスラエルを誘ってエジプトに攻め込み、打ち負かします。
しかしこれに対して、世界史国々が大ブーイング起こりました。アメリカでさえ批判しました。
なぜアメリカが仲間であるはずのイギリスを批判したかというと、敵であるロシアが同じようなことをしたときに、世界の中心国として注意できなくなるからでした。
結果的にエジプトは負けましたが、イギリスの攻撃が不名誉な攻撃だったため、ナセルは英雄として今も有名です。
第三次中東戦争
パレスチナ難民は1964年にパレスチナ解放機構(PLO)というグループを設置し、イスラエルに対抗します。
イスラエルは、ユダヤ人の国だったため、力強いバックアップがついていました。それがアメリカです。アメリカは、科学技術やら色んな方面で優れているユダヤ人をひいきしたかったのです。
圧倒的軍事力を身につけたイスラエルは、1967年パレスチナに戦争をふっかけます。戦争は1週間で終わりました。
結果、イスラエルが圧勝し、シナイ半島・ヨルダン川西岸・ガザ地区を占領して、領土を増やしました。
第四次中東戦争
最後です。1973年に起きました。この戦争は石油危機を引き起こしたことでも有名ですね。
発端はエジプト。ナセルを継いだサダト大統領は、シリアとともにイスラエルに反撃します。この奇襲は見事に成功し、停戦に持ち込むのです。
OPECという石油機構は味方であるアラブ人、パレスチナを支援するため、石油戦略を開始します。
「イスラエルに味方するやつらに石油売ってやんねからな!」と言ったのです。これによって世界がパニックになり、石油危機となりました。
しかし、財政難に陥り戦争を続けられなくなったサダト大統領は、イスラエルに歩み寄り、エジプト=イスラエル平和条約を結んで和平を誓いました。
これを周りが黙っていているわけがありません。サダト大統領は裏切り者として、仲間であるアラブ人に暗殺されてしまいます。
しかし、彼を引き継いだムバラクは、彼を遺志を尊重し和平的にシナイ半島の返還を実現させました。
語呂合わせ
年号を語呂合わせで覚えておきましょう。
縛られ、殺され、むなしく難民
48(しば)
56(ころ)
67(むな)
73(なんみん)
まとめ
いかがでしたか?中東戦争の解説と語呂合わせでした。
それでは!
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