古代インドの王朝を徹底解説!語呂合わせでの覚え方も紹介!

みなさんこんにちは。ケイトです。

今回は、インドのマウリヤ朝からチョーラ朝までを一気に解説し、語呂合わせの紹介をしていきます。

Contents

古代インド王朝

古代インドには様々な王朝が誕生しました。

 

創始者、首都、最盛期の王は最低限押さえておきましょう。

これらを押さえた上で、特徴を覚えるのがポイントです。

マウリヤ朝

紀元前4世紀、マケドニアのアレクサンドロス大王が東方遠征を行ったのは覚えていますか?大王はインドに隣接していた王朝を滅ぼし、西北インドまで迫りましたね。

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インダス川各地を転戦した大王により、インドに征服の危機が迫る中、征服を免れるために各地で政権が誕生しました。

 

政権乱立の混乱を経て、紀元前4世紀の終わりには、インド最初の統一王朝が誕生します。これがマウリヤ朝です。創始者はチャンドラグプタ王

 

彼はマガダ国を倒して首都をパータリプトラに置き、その後、西北インドやデカン地方へと勢力を拡大しました。

 

パータリプトラは、ガンジス川中流域にあります。それまでの中心地であったインダス川流域から離れていることに注意です。

 

その支配領域は、インド南端を除くほぼ全域までに達しました。

 

この後インドではいくつもの統一王朝が生まれるのですが、マウリヤ朝の支配領域はその中でも特に広いです。マウリヤ朝の最盛期の王は、アショーカ王です。

 

アショーカ王は、領土拡大のための征服戦争で多くの血を流してしまったことを後悔し、次第に仏教に帰依するようになりました。

 

王は征服活動を放棄し、ダルマによる統治と平穏な社会を目指し、各地に勅令を刻んだ石像(石柱碑・磨崖碑)を設置させました。

 

ちなみに、ダルマとは、法または守るべき社会倫理のことです。王は仏教に従った法による法治国家を目指したのです。また、仏典の編纂(仏典結集)スリランカなどの各地への布教も行いました。

 

しかし、アショーカ王の死後、王国は衰退してしまいました。原因としては、官僚組織や軍隊の維持による財政難、そして、バラモン階層からの王家に反発する動きなどが挙げられます。

 

ポイント

創始者はチャンドラグプタ王

都はパータリプトラ

アショーカ王は仏教にハマる

クシャーナ朝とは

 

 

マウリヤ朝が衰退すると、紀元前2世紀にギリシア人勢力が西北インドに進出しました。

 

続いて同様の経路でイラン系遊牧民が進出、その後、紀元後1世紀にはバクトリア地方(中央アジア。インダス川の西方に位置する地域)からクシャーン人がインダス川流域に入り、王朝を建てました。

 

これがクシャーナ朝です。

 

創始者は有名ではありませんが、最盛期の王であるカニシカ王の名前は重要です。

 

カニシカ王の治世は2世紀半ばで、その頃にはクシャーナ朝は中央アジアからガンジス川流域に至る地域を支配しました。クシャーナ朝は、イラン系の王朝です。

 

インド系の王朝であるマウリヤ朝ときちんと区別が必要です。

 

クシャーナ朝は交通の要所にあり、国際的な経済活動が活発に行われました。

 

 

当時、地中海を支配していたローマ帝国が支配下に置いていたギリシア人商人ペルシャ湾からアラビア海に進出しインド洋を経由して東南アジアに至る季節風貿易を盛んに行っていたんですね。

 

クシャーナ朝はインド洋交易圏に属しており、季節風貿易ルートの要所に位置していたため、ローマとの交易が盛んに行われました。

 

ローマからは大量の金がもたらされ、ローマの貨幣を参考に、金貨が大量に発行されました。

 

クシャーナ朝は3世紀にササン朝ペルシアに圧迫され衰退しました。同時期にローマ帝国も衰退期に入っていたので、その経済的影響もあったと考えられます。

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当時の仏教は修行を積んで自身の救済を求めるものが主流でしたが、それに対して自身の悟りよりも人々の救済が重要と考える信仰が広まりました。

 

これを菩薩信仰と言い、この運動を自ら、あらゆる人の大きな乗り物という意味で大乗と呼びました。クシャーナ朝はこの大乗仏教を保護し、たくさんの仏像が生み出します。

 

ガンダーラを中心としていたので、それらの仏像を含むこの時代の仏教美術をガンダーラ美術と呼びます。

 

ギリシア系の影響を受けていることが特徴です。

ポイント

都はプルシャプラ

カニシカ王の時に最盛期

交易が盛んに

大乗仏教が流行に

ガンダ-ラ美術

サータヴァーハナ朝

サータヴァーハナ朝は紀元前1世紀ごろから紀元後3世紀ごろまでインド中部のデカン高原一帯を支配した王朝です。ドラヴィタ系の王朝であることが特徴的です。

 

一時、アショーカ王時代のマウリヤ朝に朝貢を行っていましたが、マウリヤ朝がアショーカ王の死後崩壊すると、デカン高原一体を支配、

 

その後支配地域を北部に拡大していきました。最終的には北西インドのクシャーナ朝に対抗するまでに至ったのです。

 

サータヴァーハナ朝では仏教やジャイナ教の活動が盛んであったのと同時に、アーリヤ文化を積極的に取り入れたのでバラモンがサータヴァーハナ朝へ移住し、

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バラモン教も布教されました。このことで、北インドと南インドの文化交流が進みました。また、サータヴァーハナ朝はインド洋交易を通じてローマ帝国とも交易を行なっています。

ポイント

クシャーナ朝と同時期

交易がさかんに

グプタ朝とは

紀元前180年ごろのマウリヤ朝の滅亡以来、インドでは約500年にわたる分裂状態が続いていました。

 

そんな中起こったのがグプタ朝です。創始者はマウリヤ朝の創始者と同じ名前を名乗ったチャンドラグプタ1世です。都も同じパータリプトラに置きました。

 

マウリヤ朝と同じなのは偶然ではありません。

 

マウリヤ朝時代を栄光を取り戻そうとした結果なのです。チャンドラグプタ1世は320年にガンジス川流域を統一、2代目の王は北インドをほぼ統一し、デカン高原にも遠征しました。

 

結果、インド南端を含めインドの大半を支配下に置いたのです。最盛期を迎えたのは、4世期末から5世紀はじめにかけてのチャンドラグプタ2世の時代です。

 

この時の支配領域は、マウリヤ朝の最盛期アショーカ王の治世とほぼ同等の広さを誇りました。

 

しかし、5世紀後半から遊牧民族エフタルの侵入を受け、6世紀中頃に滅亡しました。グプタ朝の時代は文化の発達が盛んでした。

 

仏教やジャイナ教が盛んとなり、当時の中国の王朝である東晋からは法顕が訪れました。

 

彼は帰国後、『仏国記』を著しました。一時影響力を失いかけていたバラモンが再び重んじられるようになったのもこの時代で、バラモンの言葉であるサンスクリット語が公用語化されました。

 

バラモンの教えをもとに民間信仰が組み合わさって成立したヒンドゥー教が社会に定着するようになったのもこの時代です。

 

バラモンの文化が発展し、紀元前2世紀から紀元後2世紀にかけて成立した『マヌ法典』が完成したのもこの時期です。

 

『マヌ法典』は4つのヴァルナがそれぞれ遵守すべきルールを定めたもので、バラモンの特権的な地位が強調されています。

 

また、バラモンの言葉であるサンスクリット語による二大叙事詩『マハーバーラタ』と『ラーマーヤナ』が完成したのもこの時期です。

 

叙事詩とは、歴史的事件、特に英雄の歴史などを物語として語り伝えるものです。『ラーマーヤナ』はスタジオジブリの映画『天空の城ラピュタ』の物語のモチーフとなったものの一つです。

 

 

チャンドラグプタ2世の時代には詩人カーリダーサがサンスクリット語の戯曲『シャクンタラー』を著しました。天文学や数学も発達し、十進法やゼロの概念も生み出されました。

 

 

美術では純インド的なグプタ様式が成立しました。デカン高原にある石窟寺院であるアジャンター石窟寺院は、グプタ朝時代の物が中心で、純インドの仏教文化を今に伝えています。

 

ポイント

チャンドラグプタ1世が創始者

都はパータリプトラ

最盛期はチャンドラグプタ二世

エフタル侵入

法顕の「仏国記」

ヒンドゥー教

マヌ法典

マハーバーラタ

ラーマーヤナ

グプタ様式

アジャンター石窟寺院

ヴァルダナ朝とは

グプタ朝の衰退後、再び分裂したインドを一時的に統一したのがヴァルダナ朝です。

 

都はガンジス川中流域のカナウジに置かれました。建国者はハルシャ=ヴァルダナですが、この一代のみ繁栄し、彼の死後急速に衰退しました。

 

このわずかな知性に、当時の中国の王朝である唐から玄奘がインドを訪れ、ナーランダー僧院で学びました。彼は帰国後『大唐西域記』を著しました。

 

ポイント
ハルシャ=ヴァルダナ

ナーランダー僧院

玄奘の「大唐西域記」

チョーラ朝とは

チョーラ朝は南インドに成立したドラヴィタ系タミル人の王朝です。

 

チョーラ朝はインド洋交易圏が栄えていた時代には海上交易を行い、10世紀から11世紀にかけての最盛期にはスリランカや東南アジアに軍事遠征を実施、さらに、中国の北宋に商人施設を派遣するなど、対外交流が盛んな国でした。

 

ポイント

海上交易

覚え方

お待たせいたしました、語呂合わせのコーナーでございます!

マウリヤからヴァルダナまで覚えていきましょう!

語呂合わせ
舞う串刺さった豚くたばる
マウリヤ(舞う)
クシャーナ(串)
サータヴァーハナ(刺さった)
グプタ(豚)
ヴァルダナ(ばる)

もうばっちりですね!

まとめ

いかがでしたか?マウリヤ朝からチョーラ朝までの解説と、語呂合わせでした!

意外と狙われる範囲だったりするので、しっかり覚えましょう。

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