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【説明できる?】ノルマン人、スラヴ人の違い!

 

どうも!ケイトです。

 

ノルマン人とスラヴ人の区別はついていますか?今回はそれぞれの違いを解説していきます。

ノルマン人とスラヴ人の違い

ノルマン人とは、スカンディナヴィア半島やユトランド半島にいた、ゲルマン人の一派です。

 

スラヴ人とはゲルマン人が住んでいたヨーロッパの東のあたりに、ゲルマン人の大移動の後に住み始めた民族です。

ノルマン人とは?

ノルマン人とはスカンディナヴィア半島やユトランド半島(スウェーデンとかデンマークとかフィンランドとか、あの辺です。)にいた、ゲルマン人の一派です。

 

商業や海賊行為のために航海をしていた彼らは、ヴァイキングとも呼ばれます。細長くて浅い船、見たことありますか?

 

長い航海に耐えられるよう、とても丈夫だったそうです。技術者も今に劣らないくらい優秀だったそうですよ。

 

第二次民族移動

ゲルマン人に続き、ノルマン人も移動し始めます。

ゲルマン人の大移動を分かりやすく!歴史的意義とは?

 

ロロ率いる一派は、北フランスにノルマンディー公国。この一派がさらに分かれて、南イタリアとシチリア島に両シチリア王国を建てます。

 

 

リューリク率いる一派はスラヴ人のいるヨーロッパの東の辺りに、ノヴゴロド国とキエフ公国を建てます。

 

 

実はこれはロシアの起源となる国なのです。彼らはルーシ族と呼ばれたノルマン人でした。ノルマン人のイメージとしては北欧系の人たちですかね。真っ白な肌っていう感じです。

 

かといって今のロシア人の祖先がノルマン人なのかというとそういうわけではなく、ノルマン人たちは大量のスラヴ人を支配した形でしたので、多数派のスラヴ人が今のロシア人の祖先です。

まとめ

北フランス ノルマンディー公国 (ロロ)

南イタリア シチリア島に両シチリア王国

ヨーロッパの東 ノヴゴロド国とキエフ公国 (リューリク)

 

 

ノルマン朝

 

当時イングランドにはゲルマン人の移動の結果、アングロサクソン王国がありましたね。七王国という名前でしたが、七王国の一つ、ウェセックスの王様、エグバードが統一しました。

 

この国もノルマン人の侵入に悩まされました。一時アルフレッド大王が撃退しましたが、デンマーク地方のノルマン人、デーン人の王、クヌートに征服されてしまいました。

 

その後、形勢を逆転させ、アングロサクソン系の王家が復活し、ノルマン人を撃退したかと思いきや、ノルマンディー公のウィリアムがイングランドを征服します。(ノルマンコンクェスト)

 

ちなみに、ウィリアムとアングロサクソンの戦いをヘースティングズの戦いといいます。彼はウィリアム1世として即位します。

 

その後の王様はウィリアムの血筋です。イギリス王家は1000年くらい続いているのですね。

まとめると(ゲルマン➢、ノルマン➢

エグバードが統一

アルフレッド大王が撃退

クヌートに征服

アングロサクソン系の王家が復活

ノルマンディー公のウィリアムがイングランドを征服

 

スラヴ人

スラヴ人とは?

スラヴ人とはゲルマン人が住んでいたヨーロッパの東のあたりに、ゲルマン人の大移動の後に住み始めた民族です。

 

西、東、南に分かれます。基本的に西には、カトリック、東にはギリシア正教会です。

 

 

西スラヴ人

 

西には、ポーランド人、チェック人、スロヴァキア人

 

チェック人は現在のチェコのルーツです。西側のスラヴ人はローマカトリックに改宗します。

建国したポーランド人はカジミェシュ大王のもとで繁栄し、その後リトアニア人とくっついて、ヤゲウォ朝リトアニアポーランド王国をつくります。

 

チェック人はベーメン王国を統一しますが、その後神聖ローマ帝国に編入されます。

 

東スラヴ人

 

彼らはロシア人の祖先です。前回ちらっとお話ししましたね。キエフ公国を建てたノルマン人はスラヴ人に同化していきます。

 

キエフ公国の最盛期の王はウラディミル1世です。また、東ローマ帝国のキリスト教、ギリシア正教を国教としました。

ギリシア正教とローマ=カトリックの違いとは?

また後でお話しする、ビザンツ帝国の支配方法を真似、専制君主政を展開しました。

 

しかしその後、貧富の差が広がり、大土地所有である諸侯はそれぞれ独立して国内は分裂しました。

 

中国編で詳しく話しますが、バトゥ率いるモンゴル人が侵入して、南ロシアにキプチャクハン国を建てると、キエフ公と諸侯は降参し、モンゴル支配の時代が240年続きます。(タタールのくびき)

 

 

モンゴル支配から抜け出すきっかけは、モスクワを中心としたモスクワ大公国が急速に勢力を伸ばしたことです。

 

大公イヴァン3世は東西統一、そしてモンゴル支配から脱出します。彼はビザンツ皇帝の姪、ソフィアと結婚してローマ帝国の後継者を名乗り、ツァーリの称号を用います。

 

ツァーリとはカエサルのロシア語系。カエサルがいかにカリスマだったかが分かりますね。孫のイヴァン4世は、正式にこの称号を使います。

 

ローマカトリックの南スラヴ人

 

ローマカトリックを信仰した南スラヴ人はクロアティア人、スロヴェニア人です。フランク王国の影響でカトリックを信仰するようになります。

 

彼らはのちに、オスマン帝国に支配されます。スラヴではありませんが、西へ移動してきたマジャール人はハンガリー王国を建て、ローマカトリックを受容します。

 

のちにオスマン帝国に支配されます。

 

ギリシア正教の南スラヴ人

 

ギリシア正教を信仰したのは、セルビア人。スラヴ民族ではないですが、関係が深かったブルガール人も要チェックです。

 

セルビア人ははじめはビザンツ帝国におり、ギリシア正教に改宗しましたが、やがて独立し、強国となっていきます。

 

ブルガール人はバルカン半島の北部に第一次ブルガリア帝国を建て、その後スラヴ化。そしてギリシア正教を信仰します。

 

一旦ビザンツ帝国と合併しますが、また独立して第二次ブルガリア帝国を建てます。しかし最終的にオスマン帝国に併合されていきます。

 

まとめ

 

いかがでしたか?

スラヴ人は特にややこしいですが、しっかり整理していきましょう。

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それでは!

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