⑩【アメリカ民主党の起源】ジャクソニアン・デモクラシーって?

このシリーズも10作目になりました。今回も頑張っていきましょう。民主党結成と、ジャクソニアンデモクラシーのお話です。

Contents

民主党の創設とジャクソニアン・デモクラシー

 

「好感情の時代」から地域対立へ

リパブリカンズは事実上の一党支配を実現したという話を以前の記事でしました。

 

しかし、合衆国が西部に発展していくにつれて、新たに州ができて発言権を得ていくことで、内部では農業政策や経済政策をめぐる地域対立が深刻化していくことになります。

 

それぞれの地域の特徴を整理してみましょう。

西部:西部では開拓の影響で人口が増え、もっと開拓したい、道路や連絡ルートを増やして欲しいと考えていました。これから成長していく一方な地域だったので、将来に対して強気な展望をを持つようになっていたと言えそうです。

 

南部:南部では、プランテーションが発達しており、作った作物をもっと自由に輸出したいと考えていました。イギリスでは産業革命が起こっており、綿花の需要が高まっていたので、アメリカとしては、格好の貿易相手をみすみす逃すわけには行かなかったわけですね。

 

東部:東部では、イギリスとの関係が弱まっていた影響で外交ではなく、内陸に目が向いていました。アメリカ内部が豊かになって欲しいと考えていたため、内陸向けの工業を支援し、貿易は保護主義を主張していました。

 

民主党結成

1824 年大統領選挙では、東部マサチューセッツ州出身のジョン・クウィンジー・アダムズ(John Quincy Adams)が連邦議会下院での決選投票で当選します。彼は、2代目の大統領の息子ですね。

 

当時の選挙の仕組みとして、東部が圧倒的有利だったので、「それは不公平だ!」と人口比率においては最大勢力であると自認する西部や南部の農民層から非難轟轟でした。

 

この不満から西部と南部を中心にしたリパブリカンズの一部は、もっと民主的で公平な選挙を実現しようと、民主党(デモクラッツ)を結成しました。

 

共和派の中で民主党に加わらなかった人々は、のちにホイッグ党を結成し対抗しました。

 

民主党は 1828 年大統領選挙に、英米戦争で大活躍したアンドリュー・ジャクソン(Andrew Jackson)を擁立して勝利。民主党は強力な政党としての地位を獲得し、現在に至ります。

 

ジャクソニアン・デモクラシー

ジャクソンは、これまでとはひと味違った施策を打っていったことで有名です。

 

そのひとつとして、植民地時代から続いていた金持ちばかりが政治に参加できるという名望家支配の要素をアメリカ政治からほぼ一掃。代わりに、「努力でのし上がれるのだ!」というself-mademan(独立独行の人)を理想の政治家像として確立しました。

 

彼の政策の2つの特徴を整理していきます。

① 政治的機会均等の推進:これまでは金持ちや教育を受けてきた人が政治に参加できるシステムであり、選挙も財産選挙でした。しかし、ジャクソンは、教育や財産を政治に参加しようとする人に求めず、教育経験がない人でも公職につけるようにしたり、白人普通選挙を実施したりしました。

 

② 経済的機会均等の推進:ジャクソンは基本的に庶民の味方だったため、金持ちが得しそうな要素をブロックしようとしました。代表的なのが、第二合衆国銀行の創設認可を拒んだことです。

 

貨幣の流通量の増減をコントロールできる銀行があると、銀行内の金に縛られてしまうため、インフレを抑制してしまうことになります。一方、独立自営農民などの庶民は、借金を抱えていることが多かったため、実質借金が減ることになるインフレは喜ばしい現象でした。

 

ジャクソンは、インフレを抑制しないよう、銀行の創設認可を拒んだとされています。

まとめ

ジャクソニアン・デモクラシーの本質は、独立自営農民の理念がアメリカ政治における支配的理念となり、それに見合った選挙の仕組みや政治システムなどの、制度構造が整備され始めたことです。

 

ただ、その一方で、1830 年強制移住法に基づくネイティヴ・アメリカンの土地取り上げや、強制移住なども展開されたことは忘れてはいけませんね。

 

 

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