みなさんこんにちは。ケイトです。
今回は、マヤ、アステカ、インカの違いを分かりやすく解説していきます!
Contents
丸わかり表
インディオとは
氷期にはベーリング海峡がアジアと地続きであったため、現在のロシアとアメリカのアラスカ州にあたる地域はつながっていました。
その時代に日本人と同じ黄色人種系の人々がアメリカ大陸に渡来し定着しました。
彼らはアメリカ大陸の先住民で、後にインディオ(インディアン)と呼ばれることになります。
彼らは南北に広大なアメリカ大陸の各地でそれぞれの場所の環境に適応した文化を発展させました。
ライフスタイルとしては、現在のカナダ、及びアラスカ州を含むアメリカ合衆国にあたる地域では、狩猟や採集が中心でした。
アラスカやカナダでは魚やアザラシなどの漁が、現在のアメリカ合衆国にあたる地域の大平原ではバイソンなどの狩猟が行われていました。
一方で、現在のメキシコと中央アメリカにあたるメソアメリカと南アメリカのアンデス地帯では、トウモロコシなどの栽培を中心とした農耕文化が発展しました。
現在でもこれらの地域ではトウモロコシが主食となっています。農耕文明はやがて高度な都市文明に発展していきました。
ちなみに、少々マイナーな知識ではありますが、上記の地域に含まれていないアマゾン川流域では漁業と、キャッサバの焼畑農業が行われていました。
キャッサバはタピオカの原料となる芋です。
オルメカ文明とは
アメリカ大陸では紀元前1200年ごろまでにオルメカ文明がメキシコ湾岸で成立しました。
メソアメリカ最初の都市文明です。宗教遺跡で発見された巨石人頭像が有名です。
イッテQのスタジオにもありますよね。
ゼロの概念も生まれており、精緻な暦法を使っていたと言われています。
これらはこの後に続く諸文明に影響を与えました。
マヤ文明とは
メキシコのユカタン半島に、紀元前1000年ごろから16世紀にかけて展開したのがマヤ文明です。
4世紀から9世紀に繁栄期を迎えました。
文字種が4万字にも及ぶマヤ文字が使用されていました。
現在、解読がかなり進んでいます。
トウモロコシの焼畑農業が中心でしたが、最近、灌漑農業も行われていたことが判明しました。
天文学が発達しており、極めて正確なマヤ暦が用いられていました。
数学も高度で、20進法が用いられ、ゼロの概念もありました。
高度な石像建築技術を持ち、神殿や階段式ピラミッドを建設しました。
マヤ文明の遺跡であるチチェン・イッツァは世界遺産に登録されており、その中にあるピラミッドは非常に有名です。
アステカ文明とは
メキシコ高原では紀元前1世紀に太陽のピラミッドが有名なテオティワカン文明が生まれていましたが、北方からアステカ人が進出して14世紀にはテノチティトランを首都とする王国を建てました。これがアステカ文明です。
トナルポワリと呼ばれる20の絵文字が使用されており、
13の数字と組み合わせて260日の祭式暦とシウポワリという365日の太陽暦が作られて用いられるなど、暦法も発達していました。
農業が中心で、ピラミッド状の神殿も建設されました。
アステカ王国は1521年に征服者(コンキスタドール)のコルテスによって征服され、滅亡しました。
インカ帝国とは
アンデス高地では、紀元前1000年ごろの北部でのチャビン文化の成立以降様々な王国が現れていました。
そのような中、15世紀半ばにインカ帝国が成立しました。
インカ帝国は現在のコロンビアからチリまでに及ぶ広い範囲を支配しました。アンデス文明を継承して発展し、高度なインカ文明を成立させました。
首都はクスコに置かれました。
インカ帝国に文字は存在していませんでしたが、縄の結び方によって情報を伝えるキープ(結縄)によって、人口や産業、税額や取引額などの情報が記録されました。
農業は灌漑農業が行われており、トウモロコシやジャガイモを栽培していました。
他の文明と同様に石造建築技術に優れ、標高2400mのペルーの高地にあるマチュ・ピチュ遺跡はその高度な技術を今に伝えています。
インカ帝国は1533年にスペインからの侵略者(コンキスタドール)のピサロによって征服され滅亡しました。
まとめ
いかがでしたか?マヤ、アステカ、インカなど、アメリカの古代文明を解説しました!
マヤ、アステカ、インカをしっかり区別して、得点につなげて下さいね。
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