みなさんこんにちは。ケイトです。
今回は、アリーの死後のお話をしていきます。ウマイヤ朝の税制、トゥールポワティエ間の戦いなど、ウマイヤ朝を徹底解説しますよ!
それではいきましょう!
Contents
スンナ派とシーア派
スンナ派とシーア派、みなさん一度は聞いたことがあると思います。アリーの死後、誰が指導者になるかでもめました。
ムハンマドの教えを守れば誰がカリフになってもいいのだ、というスンナ派とアリーの子孫だけがカリフになれるのだ、というシーア派に分かれて対立します。
イスラーム教徒の大多数はスンナ派で、アリーのファンクラブであるシーア派は少数です。なおこれからお話しするウマイヤ朝もスンナ派です。
ウマイヤ朝
アリーの死後、彼と対立していたムアーウィヤがカリフとなります。
なぜ対立していたかというと、ムアーウィヤはアリーが3代目カリフ、ウスマーンを殺したのではないかと睨んでいたからです。
アリーとケンカして、ムアーウィヤはダマスクスでカリフを自称するようになります。
そして、アリーが暗殺され、カリフを自称していたムアーウィアが本当にカリフになります。
彼が開いたのがウマイヤ朝です。
トゥールポワティエ間の戦い
ウマイヤ朝は色々な所で戦いをふっかけます。
西では、北アフリカや今はスペインがあるイベリア半島に進出して、西ゴート王国を滅ぼし、東では、インドの西部や、中央アジアを征服します。
このおかげで領土がめっちゃ広がり、イスラーム教徒も増え、イスラーム世界は平和になっていきます。
ここで、ヤバくね?と密かに思っていた人々がいますね。そう、ヨーロッパの人々です。
「イベリア半島も北アメリカもやられちゃって、ヨーロッパ全体もすぐ征服されるんじゃね?」と。
そして案の定、フランク王国にウマイヤ朝が攻めてきます。
ここでヨーロッパを守ったのが、カール=マルテルです。フランク王国があやふやな人はぜひ復習を。
このフランク王国とウマイヤ朝の戦いをトゥールポワティエ間の戦いといいます。
フランク王国はこの戦いに勝って、イスラーム勢力を撃退し、ローマ教会に認められるんですよね。
ウマイヤ朝の不平等な税制
この頃から貨幣経済が浸透して、税制も出来上がっていきます。
表がこちら
ハラージュという地租税と、ジズヤという人頭税が課せられました。アラブ人のイスラーム教徒は免除なのにも関わらず、改宗した人々は免除されませんでした。
神の前では平等であるはずなのにこれはおかしいということで、ウマイヤ朝の崩壊につながっていきます。
ちなみに異教徒は税金を払えばそのままその宗教を信仰していいよというルールなので、異教徒に課税はオッケーなんです。
ハラージュとジズヤがごっちゃになる人が多いので、こじつけをお教えしておくと、
じんとうぜい
ジズヤ
どっちも「じ」から始まるということで覚えておいてください。
まとめ
いかがでしたか?
ウマイヤ朝の税制、トゥールポワティエ間の戦い、シーア派、スンナ派について解説しました。特に税制はしっかり理解しておいて下さいね。
次回はアッバース朝についてです。
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それではまた会いましょう!
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