どうも!ケイトです。
フランス革命に出てくる議会の名前、順番に言えますか?勉強してるとごっちゃになってくるんですよね。
ということで今回は、フランス革命に出てくる議会の順番の覚え方を紹介していきます。
Contents
覚え方
アンさんに告り後悔、相当いてえ
1、アンシャンレジーム(アン)
2、三部会(さん)
3、国民議会(告)
4、立法議会(り)
5、国民公会(後悔)
6、総裁政府(相)
7、統領政府(当)
8、第一帝政(い)
アンシャンレジーム
アンシャンレジームとは、フランス革命が起きる前の体制のことです。フランスでは、3つの身分に分かれています。
聖職者、貴族、平民ですね。
しかし、聖職者、貴族は特権階級で、特別扱いされていました。税金を払わなくても良く、国土の40%を所有していたのです。聖職者、貴族の割合はたったの2%でした。
国王ルイ16世が即位した時期、財政が行き詰まります。ルイ14世が、戦争をしまくってたせいです。
三部会
ルイ16世は、学者のテュルゴーと銀行家のネッケルを雇い、「なんとかせえ!」と命じます。
すると2人は、
「特権階級への免税が大きいのです。閣下。どうか平等課税のご検討を。」
と提案します。
しかし、ルイ16世が実行しようとすると、
「はあ?マジかよ!ふざけんな!」
と特権階級の人々の反発にあってしまいました。王様は困った困った。ということで、久しぶりに議会を開いて決定しようってことになりました。
それが三部会です。
国民議会
三部会が開かれても問題は解決しませんでした。だって3つの身分の人が集まるって言ったって、特権階級と一般市民で分かれてしまいますからね。
それぞれの身分で同じ人数の人が議会に集まるなら、当然、投票の時に特権階級が勝つに決まってます。
ってことで、第三身分である、一般市民が独自で集まってチームを結成します。
それが国民議会。
そして「王様の権限を制限する憲法ができるまで解散しない」とテニスコートで誓います。(球戯場の誓い)特権階級の一部も同調するようになりました。穏健な自由主義者であるミラボーやラ・ファイエットです。
バスティーユ牢獄襲撃のあと、革命が本格的になっていきます。議会は封建的特権階級の廃止を決めました。つまり、領主裁判権、教会への十分の一税が廃止されたのです。
ただ、農民が領主におさめる土地のお金(地代)は有償廃止でした。議会の構成員の中に領主がいたからです。
さて、憲法の方はどうなったか。
まず、議会はラ・ファイエットが起草した「人権宣言」を採用しました。みんな平等である、と主張する内容です。その後、議会の快進撃は止まりませんでした。
ヴェルサイユまで行って王家をパリまで連れてきて、見えるところに置いたり(ヴェルサイユ行進)
教会の財産を没収したり、ギルドを廃止して自由競争を促したり。
国王はヴァレンヌに逃げようとして捕まり、国民の信頼は0になりました。(ヴァレンヌ逃亡事件)
そして1791年、ついに憲法が発布されます。制限選挙、一院制、立憲君主制を決めたものでした。結局平等にはなりませんでしたが、憲法制定という目標を達成して、議会は解散します。
立法議会
国民議会の解散直後、立法議会が開かれます。ここでは2種類の人間に分かれます。もう革命しなくてよくね?と思ってるフイヤン派(立憲王政派)
国王なんかいらないんだ、革命を進めよう!と思ってるジロンド派(穏健共和派)です。
その二つが対立し抗争した結果、ジロンド派が政権を握りました。そして、戦争に勝って人気をもっととろう!と調子に乗って、オーストリアに戦争をふっかけます。
流石にアホです。
オーストリアやその他の国の王達は、共和制になってしまうのが嫌です。多分殺されるからですね。だから、ルイ16世を助けよう!という「ピルニッツ宣言」を出して、フランスでの革命を潰そうとしていたのです。
そんな時に、戦争をふっかけられたら、もう侵略するっきゃないですよね。絶好のチャンスです。しかしここで、どんでん返しが起こります。なんとフランスが勝つのです。
それはなぜか。フランス軍の兵士は、「革命を起こしてえ!」と熱情溢れる若者ばかりだったからです。自ら志願する兵を「義勇兵」とも呼びます。
そんな情熱が勝ったのか、オーストリア、プロイセンとの戦いに勝利するのです。(ヴァルミーの戦い)そして、彼らは、王がテュイルリー宮殿を襲い、王を監禁して王権を停止させます。
男性普通選挙が行われ、国民公会が招集されます。
国民公会
そこでついに王政が廃止され、共和政が始まるのです。国民公会を引っ張っていたのは、ジャコバン派。急進共和主義です。
彼らは、ルイ16世を処刑します。
そこで、周りのヨーロッパ諸国はちょっとパニックになり、フランスを潰そう同盟が出来上がります。(第一回対仏大同盟)
ジャコバン派はこの危機に対処するため、
「これ終わったらまた平等になるから!ね?今は言うこと聞いて!」
と独裁に乗り出します。
色々やっていきます。
国民議会の時に有償廃止だった地代を無償廃止、憲法の制定を約束、価格の統制をする最高価格令、キリスト教排斥、革命暦の制定。
一見良さげなジャコバン派独裁ですが、めっちゃ怖い政治でした。反対する人は容赦なく処刑したのです。
ジャコバン派の中心は、ロベスピエールという人物。
彼は、公安委員会という最高機関を作って、どんどん政策をすすめる一方、反対派を容赦なく殺していきました。
無事に危機は乗り切りましたが、そんな政治をしていたせいで反発をくらい、自分も処刑されてしまいました。テルミドールの反動と呼ばれます。
総裁政府
「次は独裁者が出ないような政府にしよう」ということで、総裁政府が誕生します。
5人の総裁が指導するのです。
ただ、そんなことしたら全然国がまとまらないんですよね。私有財産なんか廃止だ!とトンデモ論を唱えて、政府を転覆させようとしていたバブーフが捕まったりして、社会不安は高まります。
そこで、リーダーシップに長けた人物いたらいい良いですよね。いたんですよ。それが。はい、そうです。でました。
ナポレオン・ボナパルト。
イタリアに遠征して、対仏大同盟を崩壊させ、一役人気者になります。エジプトに遠征して、ロゼッタストーンを見つけたりも。
そんなフランスが許せないヨーロッパ諸国は、フランスを潰そう同盟パート2をつくります。(第二回対仏大同盟)
社会は不安定だし、対仏大同盟はまた結成されるしで、国民は総裁政府を信用しなくなっていきました。
そこでナポレオンはチャンスだと言わんばかりに、総裁政府を倒してしまうのです。ブリュメール18日のクーデターと呼ばれます。
クーデターのあと、ナポレオンがリーダーの統領政府が出来上がります。3人の総裁がいて、ナポレオンはそのトップでした。
統領政府
アミアンの和約をイギリスと結び、対仏大同盟を崩壊させ、銀行を作って財政を安定させ、商工業を振興し、教育も充実させました。
極め付けは、ナポレオン法典です。平等や自由を規定しました。
ナポレオン人気はどんどん高まります。その結果、彼は皇帝に即位するのです。
第一帝政
国民投票で皇帝になったナポレオンは、国民平等、国民主権などのフランス革命の思想をヨーロッパ中に広めようと計画します。イギリス、ロシア、オーストリアは第三回対仏大同盟を結成して対抗しました。
フランス対イギリスのトラファルガーの戦いでは、ネルソン率いるイギリス海軍が勝利。
しかし、フランスはオーストリアとロシアの連合軍をアウステルリッツの戦いで破ります。
ドイツを保護下に置き、ライン同盟と名付けました。その結果、神聖ローマ帝国は消滅してしまいます。ナポレオンはプロイセンとロシアの連合軍も破り、ティルジット条約を結びます。
そうして、ポーランドがある場所にワルシャワ大公国を建てました。
ヨーロッパを掌握していきますが、ナポレオンの暴走はエスカレートしていくのです。イギリスとの貿易を禁止する大陸封鎖令を出して、イギリスと貿易したいみんなを困らせ、自分の兄弟をスペインやオランダの王にします。
スペインでは反乱が起こり、プロイセンでは、フィヒテが「フランスに負けるな」と国民を鼓舞し、シュタイン、ハルデンベルクは農民解放を目的とした政策を進めました。
ロシアは大陸封鎖令を無視してイギリスと貿易し始めました。
ナポレオンは逆ギレして、ロシアに踏み込みます。しかし、ロシアが寒すぎて失敗に終わります。さらに、怒りが高まった結果、ライプチヒの戦いが起きます。
結果ナポレオンは負けて、エルバ島に追放されました。抜け出して戻ってきますが、ワーテルローの戦いで、また負けて、セントヘレナ島に追放されました。
覚え方(復習)
アンさんに告り後悔、相当いてえ
1、アンシャンレジーム(アン)
2、三部会(さん)
3、国民議会(告)
4、立法議会(り)
5、国民公会(後悔)
6、総裁政府(相)
7、統領政府(当)
8、第一帝政(い)
もうばっちりですね。
まとめ
いかがでしたか?
フランス革命に出てくる議会の順番の覚え方と、それぞれの内容をさらっと解説しました。フランス革命は死ぬほど良く試験に出るのでしっかりおさえましょう。
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今回も最後まで読んでくださりありがとうございました。それでは!
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