どうも!ケイトです。
この記事を書いているのは12月1日ですが、受験生の方々は直前期ですね。世界史の得点率を上げるカギになってくるのが現代史ってことで、今回は、
プラハの春やっていきます。
Contents
プラハの春とは

プラハの春というのは、簡単に言えば、1968年に起こったチェコスロバキアの民主化現象です。しかしこの頃、東欧諸国では同じように民主化運動が起きていきます。
プラハの春
この国のメインパーソンは、ドプチェクという人物です。
チェコスロバキアも共産党政権だったわけですが、スターリン批判の内容について受容が進まず、党変革が行われない、経済は停滞など、問題が山積みとなっていました。
その状況下から、民主化、自由化を求める知識人や学生が増えていきます。
そして、1968年春、書記長に就任したのが、ドプチェクであり、彼は、民主化、自由化に踏み切ったのでした。
また、首都のプラハでは西欧文化が開花します。
この一連の民主化、自由化の流れを1969年の春、プラハで、ということで「プラハの春」というのです。
語呂合わせ
ブラにちょこっと毒、一休狼狽
プラハの春(ブラ)
チェコスロバキア(ちょこっと)
ドプチェク(毒)
1968年(一休狼狽)
心が女の一休さん、不当に彼女を嫌う人に、ブラに毒を塗られてショックを受けている、というセンシティブな語呂合わせです。
他の国の民主化は?
チェコスロバキアだけでなく、他の国でもプラハの春のような現象が起きていきます。
ゴルバチョフの改革
ソ連ではゴルバチョフという書記長が就任したのはご存知ですか?就任早々、前任のスターリンをボロカスに批判し、賛否を呼んだのでした。
ポーランドではポズナニで、民主化を求める人々と、政府が激突。指導者がゴウムカという自由主義者に変わりましたし、
ハンガリーでは、社会主義やソ連の支配から抜けたいと訴える人々が大衆行動を起こし、ソ連が介入して鎮圧したんでしたね。
ということで、平和路線を唱えたゴルバチョフは、その後も改革を続け、米ソの緊張関係も緩和させていきます。
また、ペレストロイカ(改革)、グラスノスチ(情報公開)という政策を行ったことで、周囲の国の刺激に。
そして、1988年新ベオグラード宣言では、東欧社会主義圏に対して、内政干渉を否定しました。これが、プラハの春のきっかけとなっていきます。
ポーランド

ポーランドでは、1980年からワレサという人物が、「連帯」という組織をつくり、政府に改革を求めていました。
1989年には、複数政党制のもとで選挙が行われ、「連帯」は見事に圧勝します。そのため、ポーランドでは、連立政権が発足するのです。
ハンガリー
ハンガリーでは、スターリン批判の後に大衆運動が起きた際の首相、ナジイムレの再評価が進みます。
それによって、ポーランドと同じように、共産党単独政権を倒し、複数政党制に変化します。
ルーマニア

ルーマニアでは、チャウシェスクという人物を覚えておいて欲しいのですが、彼は独裁者でした。また、ルーマニア以外の国では平和的に共産党単独政権や独裁体制が倒れた訳ですが、この国は違います。
1989年、反体制派(民主化派)が政府を倒し、新政府はチャウシェスク夫妻をすぐに逮捕します。そしてその日に45分だけ裁判し、その後すぐに処刑してしまいました。
それもクリスマスの夜に、テレビで放送していたみたいですね。
チャウシェスク夫妻の処刑映像は、今でも残っているので、興味がある人は見てみて下さい。なお、動画を見てショックを受けたとしても責任は負いません。なかなか残酷です。
ベルリンの壁開放
また、ドイツでは、ベルリンの壁崩壊し、東ドイツが西ドイツに吸収され、ドイツは統一されます。
ドイツのベルリン封鎖、ベルリンの壁に関しては、以下の記事でまとめています。
ドイツが統一されたことをきっかけに、コメコンやワルシャワ条約機構も解消され、アメリカとソ連はさらに雪解けを見せ、さらには、東欧の社会主義圏は消滅するのです。
語呂合わせ
ブラにちょこっと毒、一休狼狽
プラハの春(ブラ)
チェコスロバキア(ちょこっと)
ドプチェク(毒)
1968年(一休狼狽)
心が女の一休さん、不当に彼女を嫌う人に、ブラに毒を塗られてショックを受けている、というセンシティブな語呂合わせです。
まとめ
いかがでしたか?
プラハの春、そしてその周辺国の民主化について解説しました。しっかり復習して、得点につなげていきましょう。
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それでは!
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