どうも!ケイトです。
五代十国時代はマスターできていますか?長く続いた王朝の間の時代はマジで捉えづらいですよね。
今回は五代十国時代の五国の覚え方と解説をやっていきます!
Contents
五代十国時代の五国
五代十国時代の五国は後梁(こうりょう)、後唐(こうとう)、後晋(こうしん)、後漢(こうかん)、後周(こうしゅう)ですね。
なんとなく覚えづらいので、語呂合わせとちょっとしたこじつけを紹介します。
語呂合わせ
亮と慎が監修
梁(亮)
唐(と)
晋(慎)
漢(監)
周(修)
それぞれに「後」をつけたら完成です。
こじつけ
こじつけといえるのか微妙なところですが、「後」をとった「唐→晋→漢→周」の並びは、ひっくり返すと「周→漢→晋→唐」という、中国史と合った並びになります。思い出すちょっとしたきっかけになればいいかなと思います。
そもそも五代十国時代って?
五代十国時代は唐が黄巣の乱で混乱し、朱全忠によって滅ぼされたあとに訪れた時代です。有力な節度使(傭兵隊長)が王朝を建てては、交替しを繰り返すという、カオスな状態でした。
王朝は5つ、地方には10個くらいの国ができたり消滅したりしたので、五代十国時代と呼ばれます。
後梁は唐を倒した、朱全忠が建国しました。しかし、10年くらいで滅ぼされるんですね。その後も10年スパンで国が入れ替わっていきます。後漢にいたっては3年でした。
五代十国時代の特徴
せっかく順番を覚えたので、特徴もおさえましょう。
この時代は、とにかくカオスで、戦乱の時代でした。ですから当然、貴族は荘園を失い没落していきます。
代わって力を持ったのは誰だと思いますか?
地主でした。
所有者のいない広い広い土地を買い集めた地主は佃戸(でんこ)とよばれる小作人に土地を貸し、小作料をとってめきめき力を伸ばしていきました。
五代十国時代のあとは?
後周のキャプテンであった趙匡胤が960年に宋を建国し、五代十国時代は幕を下ろします。宋は、五代十国時代の反省を活かした政策が有名ですね。文治主義とかです。
宋の勉強はこちらから。
語呂合わせ
最後に復習です。
亮と慎が監修
梁(亮)
唐(と)
晋(慎)
漢(監)
周(修)
それぞれに「後」をつけたら完成です。
まとめ
いかがでしたか?覚え方とこの時代の解説でした。
マジで捉えづらい時代ですが、しっかり押さえておきましょうね。
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それではまた!
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