みなさんこんにちは。ケイトです。
今回は、セレウコス朝、バクトリア、パルティアの違いを解説していきます。こんがらがりやすいので、丁寧にいきますね。
それでは参りましょう!
Contents
セレウコス朝
アレクサンドロスが亡くなった後、後継者争いが起こります。
その後、大まかに、セレウコス朝シリア、アンティゴノス朝マケドニア、プトレマイオス朝エジプトの3つに分かれます。
ギリシア系のセレウコスという人物が、ペルシア帝国の広大な領土(シリアとかイラン)を支配してできたのが、セレウコス朝シリアです。
世界史の試験でセレウコス朝が細かく問われることはほぼないですが、サクッと特徴をまとめます。
セレウコス朝は、ギリシア系の国家で、都はアンティオキアとセレウキアという場所です。都が2つあったことで有名ですね。
パルティアやバクトリアが、独立して有力になると、セレウコス朝シリアは領土を縮小、そして弱体化していきます。
最後は、ローマのポンペイウスの軍に滅ぼされて、ローマに組み入れられます。
バクトリア
バクトリアは、アレクサンドロスの帝国が分裂した後、セレウコス朝シリアに属していました。
場所的には、インドから見て西北、セレウコス朝シリアの東側です。
セレウコス朝シリアが出来て数十年後、バクトリア地方を自治していたギリシア人総督は独立しようと心に決めます。
なぜここでギリシア人が出てくるの?
ここまでで疑問に思った方もいると思いますので、説明しますね。
時はアレクサンドロスの東方遠征時代。彼はバクトリアなどの東方に、ギリシア人を入植させます。
表向きは、ギリシア世界とオリエント世界の融合のため、つまりヘレニズム文化を生み出すためです。
しかし、実際はアレクサンドロスに恨みを持った、ギリシア人の傭兵や戦争捕虜などを隔離するためでした。
彼らは田舎もんの王アレクサンドロスがギリシア世界に入ってきたせいで、祖国ギリシアを失ったのです。
東方に入植させられたギリシア人は、切実にギリシア風の生活に戻りたい、と願います。
マケドニア人とは喧嘩になるし、気候が違うから暮らしにくい、もう嫌だってわけです。
ということで、心決めたギリシア人総督は、セレウコス朝シリアが後継者争いで混乱している時期に、独立を図り、見事独立しました。
特徴
バクトリアの特徴としては、ギリシア系ということ、そしてインドに侵攻して、ガンダーラ美術を生み出すきっかけをつくったことですね。
バクトリアの最後は、前139年に、スキタイ系遊牧民である、トハラ(大夏)に滅ぼされます。
ちなみにその後、バクトリアがあった地域には、匈奴に追いかけられて逃げてきた、イラン系の大月氏という民族が入り、その大月氏の一族からめっちゃ有力になったクシャーナ族は、インドにクシャーナ朝を建てます。
パルティア
続いてバクトリアのおとなりにイラン人のアルサケスがパルティアを建国します。
パルティアもセレウコス朝から独立してできた国です。イラン系っていうのが特徴のひとつですね。
クテシフォンに都を置き、貿易で富を得ました。イラン系と聞けば、ゾロアスター教が思い出されますが、パルティアで国教になることはありませんでした。
しかし、宗教には寛容だったみたいですね。最後は、ササン朝ペルシアに滅ぼされてしまいます。
覚え方
バクトリアとパルティア、ギリシア系とイラン系がこんがらがってしまう人のために、覚え方を紹介しましょう。
ギリシアバッグ、いらーーーーん!パーーーン
ギリシア(ギリシア)
バクトリア(バッグ)
イラン(要らーん)
パルティア(ぱーーーん)
ギリシアバッグをプレゼントされたものの、いらーん!といいながらビンタしちゃったみたいな語呂合わせです。
その後
次のササン朝のお話につなげたいので、その後のお話をしておきますね。
バクトリアが滅び、セレウコス朝も滅びたあともパルティアは健在でした。
しかし、ローマ帝国のトラヤヌスが領土拡大のために侵攻してくると、抵抗するために国力を消耗していきます。
そこで、サッと登場したのがアルダシール。
パルティア王の臣下が経営する王朝の権力をしれッとにぎり始め、その行為にキレたパルティア王の軍も倒して、パルティア王も殺してしまいます。
鮮やかにこの地方を引き継いだ彼の国はササン朝と呼ばれます。
まとめ
いかがでしたか?
セレウコス朝、バクトリア、パルティアについてお話ししました。割とごっちゃになりやすいので頭の中を整理しておいて下さいね。
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