どうも!ケイトです。
中国史を勉強しているときに、法顕、玄奘、義浄って出てきますよね。正直に言うと、混乱しませんか?
なんかちょっとどれも似てるし、時代もこんがらがってきますよね。ということで今回は法顕、玄奘、義浄の違いと覚え方をやっていきます。
Contents
そもそも法顕、玄奘、義浄はどういう人達?
そもそも彼らはどういう人達かッという問題なんですが、そう、、、彼らは
仏教ファン
中国から、仏教の先進国であるインドに旅した人達です。中国でもその頃仏教が流行り始め、それにハマった人達は、本場であるインドに旅行したり留学したりしたのです。
法顕
法顕、中国の東晋の時代に、インドを訪れた人物です。この時のインドの王朝は???・
そうですね。グプタ朝です。
最盛期はチャンドラグプタ2世の時代でしたよね。
他方中国では、4世紀後半から仏教が広まります。インドからは仏図澄や鳩摩羅什が中国に来て、仏教を宣伝したり、仏典を翻訳したりしたんでしたよね。
法顕は直接インドに行って仏教をマスターしました。そして、その旅レポが「仏国記」という本です。
法顕が出てきたら、「仏国記」を書いたということを思い出せるようにしておきましょう。
玄奘
次の2人は、唐の時代にインドを訪れました。この時のインドは、、、、
そう、ヴァルダナ朝ですね。王はハルシャ王です。
玄奘と義浄で覚えておいて欲しいのは、インドまでの航路です。まず、玄奘は陸からインドへ向かいました。
また、インドに着いた玄奘は、ナーランダー僧院という、学校で仏教を学び、中国に帰ってきた後、留学レポート「大唐西域記」を書きます。
義浄
他方、義浄は、海からインドへ向かいました。その途中で、東南アジアにも立ち寄りました。
玄奘と同じように、仏教を学んでから、中国に戻りました。経典を持ち帰り、中国に仏教の影響を与えます。
彼は、旅レポとして「南海寄帰内法伝」を書きました。途中、シュリーヴィジャヤ王国に立ち寄ったらしく、本の中には「大乗仏教めっちゃ盛んやん!」って書いてあるそうです。
覚え方
じゃあ、覚え方行きましょう!
ほ~仏のケータイ、非常に難解
法顕 (ほ~)
仏国記 (仏)
玄奘(ケー)
大唐西域記(タイ)
義浄 (非常)
南海寄帰内法伝 (難解)
まとめ
いかがでしたか?
法顕、玄奘、義浄の解説と、覚え方の紹介でした。やはり、時代背景から考えるのは大事ですし、その上で語呂合わせをすれば、めっちゃ覚えれますよね。
ぜひ、覚えちゃって下さい。
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それではまた。
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