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第一次国共合作と第二次国共合作の違いは?分かりやすく!

 

どうも!ケイトです。

 

中国史に出てくる国共合作の1次と2次の区別はついていますか?今回はその二つについて詳しく解説していきます!

 

第一次国共合作

国民党と共産党

第一次の国共合作は、中国国民党と共産党が、民族の存続のために手を結んだ出来事です。

 

少し時を戻して、国民党と共産党の話から行きましょう。

 

中国国民党は、孫文をリーダーとした政党で、清を倒した中国同盟会が元です。中華民国になった後も、革新運動の推進を目指していました。

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中国共産党は、その名の通り中国を共産主義にしたい政党で、陳独秀(ちんどくしゅう)をリーダーにしています。

 

中国共産党は、第一次世界大戦後ロシアが中国に対する特権を放棄し、その代わりとしてコミンテルンの支援で結成されました。

 

ロシア当時孤立していたので、中国に友好的でした。

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国共合作

さて、国共合作の話に戻しますと、この時代1919年頃は、軍閥という軍人集団が政権を巡って絶えず争っている状態でした。

 

しかも列強たちが侵略してきて、中国の存続自体も危ぶまれていました。

 

この状態を見た両者は、「党の性格は違うけど、協力しないと中国自体なくなってしまう!」と焦るわけです。

 

そこで、国民党のリーダーである孫文は、「連ソ・容共・扶助工農」(ソ連と連携、共産主義容認、労働者、農民を助ける)というスローガンを掲げ、共産党が国民党に加入することを認めました。

 

共産党員を招き入れることがなぜ協力関係になるのか謎でしたが、これは二つの党が実質合体することで、組織自体が大きくなりパワーが強くなるからだとしておきましょう。

 

また、共産党員は共産党を抜けることなく、国民党に入れたので反発もなかったのでしょう。

 

こうして、国民党と共産党は協力関係となり、打倒軍閥!反帝国主義!を目標に動いていくわけです。

 

日本人経営の紡績工場で労働争議をきっかけに起きた、五・三〇事件は、日本のような帝国主義に対する、反対運動の高揚を示すものでした。

 

ちなみに五・三〇事件は、ストライキを起こした労働者を会社が射殺し、それに対して抗議するデモ隊が警察によって弾圧されたことをきっかけに起きた反帝国主義運動です。

北伐

協力関係となり、国民党は広州国民政府を樹立し、「さあ軍閥を倒しに行くぞ」と北伐を開始しました。

 

孫文は亡くなってしまったので、蒋介石(しょうかいせき)という青年がリーダーとなりました。

 

共産党員が指導する農民運動に応援され、軍閥つぶしは順調にいきます。そして、ついに大都市である上海・南京を占領するのです。

 

しかーーし

 

共産党員同士が仲間割れを始めてしまいました。

 

大衆運動を拡大させて、民主的な考えを国民に覚えさせようという左派と、これを警戒する左派でした。

 

しかも、蒋介石が突然共産党を裏切って、上海でクーデターを起こして攻撃し南京国民政府をたてて勝手に主席になってしまいます。

 

国民党と共産党の関係は終わり、しかも共産党は二つに分裂状態です。

北伐完了

 

それでも北伐は再開され、国民革命軍は北京に迫りました。ただこの国民革命軍の行動を気に入らない人達がいました。

 

それが日本です。

 

日本は、中国東北部にあった満州で権益を持っていました。また、満州で勢力を持っていたのは、奉天軍閥の張作霖(ちょうさくりん)という人物で、日本は利益を共有していました。

 

しかし、張作霖は北伐軍にボロ負けします。

 

これを受けて「このままでは中国人の軍がやってきて満州を支配されてしまう!」と考えた日本はある行動に出ました。

 

軍閥狩りでボロ負けし、逃亡する張作霖。彼は東北への引き上げるため、列車に乗り込みます。列車が走り出して、しばらくしたある瞬間。

 

ドッカーーーーーーーーン

爆死です。

文字通り。粉々です。

 

日本は張作霖の乗っていた列車を爆破して彼をぶっ殺し、日本単独で満州支配することを目論みます。

 

しかもこの爆破を中国人のせいにして、それを口実に軍事行動に出ます。

 

やってることがクズ中のクズですねwww

 

さて、日本の戯言はみんなが信じず、作戦は失敗に終わります。また、張作霖の息子である張学良(ちょうがくりょう)が日本にブチ切れ、国民政府を軍閥の領域に招き入れます。

 

これにて、とりあえず北伐が完了し、国民政府の全国統一は達成されました。

 

 

中華ソヴィエト共和国臨時政府

一方仲間割れし、蒋介石に裏切られた共産党は、農村でソヴィエト政権を作っていました。

 

まあ、共産党作ったのは実質ソ連なので当たりまえかもしれません。こでの共産党のリーダーは毛沢東です。

 

世界で最も人を殺した人物らしいですが、、、それは置いときましょう。

 

毛沢東率いる共産党は、瑞金という場所で中華ソヴィエト共和国臨時政府を成立させました。国民党は厄介だと思い、何度も潰そうとしましたが、失敗に終わりました。

 

 

第二次国共合作

共産党vs国民政府

 

張作霖を爆殺し、中国にそれをなすりつけて満州の支配を試みた日本は、リットン調査団やら、他の国々から大ブーイングを浴び、逆ギレして国連を抜けます。(満州事変)

ただ、中国側は日本の相手よりかは国民政府と共産党の争いに夢中でした。

 

共産党は国民政府の攻撃をうけて、「中国の奥地に逃れよう!」と決意し、長征を実効します。毛沢東の力もこの長征でパワーアップしていきます。

 

一方国民政府は、イギリス、アメリカの支援をえて、通貨の統一をします。欧米諸国もソ連に対抗したくて必死です。

 

中国統一が進んでいったことで、地方で暴れ回っていた軍閥の力がだんだん弱くなり、それゆえにさらに統一が進みました。

 

 

vs日本

満州事変や通過の統一によって、だんだん中国に統一感が出て、ようやく反日感情がでてきました。

 

全国で抗日運動が行われるようになり、共産党も八・一宣言を出して、内戦停止、民族統一戦線の結成を呼びかけます。

 

また、日本が大嫌いな張学良は、乗り気じゃない蒋介石を拉致して、「協力しなきゃ分かってんだろうなああああ?!」と脅して(?)なんとか説得します。(西安事件

 

そして、今度はvs日本で国民党と共産党が再び手を組み、共に戦っていくわけです。これが第二次国共合作ですね。

 

日中戦争

盧溝橋事件をきっかけに、日中戦争が始まります。

 

日本が南京で中国人を虐殺して大批判を浴びるのも、この戦争中です。(南京事件)

 

国民政府は、南京、武漢、重慶に移して交戦を続け、どんどん奥地に連れ込むことで日本が疲れるのを待ちます。

 

その結果日中戦争は泥沼化しました。

 

日本は南京に汪兆銘(おうちょうめい)をリーダーに親日政府を作ったものの、当然中国人は「は?」って感じだったので、結果的に支配には失敗しました。

 

また、長期戦になってしまったために、第二次世界大戦が始まってしまい、日中戦争は自動的に終わるという結末を迎えました。

 

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まとめ

 

いかがでしたか?国共合作について解説しました。

 

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それでは!

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