どうも!ケイトです。
韓国併合って、説明できますか?
なんか、めちゃムズいって思いません?
今回は、受験生が整理しづらい「韓国併合」を1から解説していきます!丁寧にまとめていきますので、ご安心を。
統監府、総督府の違いもマスターします。それではいきましょう!
Contents
第一次日韓条約
日清戦争は覚えていますか?
大陸進出への足がかりにするために韓国が欲しかった日本と、宗主国である清の戦いでしたね。
結果的に日本が勝ち、韓国を独立させました。第一次日韓協約はその後の、日露戦争の最中に結ばされました。
内容としては、財政や外交権について日本と協議して決定すべきというもので、韓国の外面を支配しようとするものでした。
第二次日韓条約
独立したあと、国号は朝鮮から「大韓」にかわります。皇帝は高宗という人物でした。彼は、ロシアを味方につけて日本と戦う決意をして、国作りをすすめていきます。
しかし、1904年に「日露戦争」で、高宗と国民の意思に齟齬が生じ始めてしまいます。韓国国民の多くはロシアの排除と日本の勝利を望んでいたのです。
しかし日露戦争でロシアは実質的に敗北。高宗は、皇室の財産を守るために、日本と第二次日韓協約を締結します。
これによって外交権を完全に失い、軍の指揮権も取られて統監府を設置されてしまいます。自分の利益さえ守れれば、保護国になっても構わないのでしょうか、高宗さん。。。
ちなみに統監府の初代のリーダーは伊藤博文でした。
第三次日韓条約
その後、「さすがに日本に浸食されるのはやべえ」と考えた高宗は、手を打つことにします。
オランダで開催される万国平和会議にスパイを送り、第二次日韓協約を無効にすることを世界に認めてもらうことにしたのです。
韓国は日本に外交権を奪われているので、正式には参加できないんですよね。だからスパイです。
しかし、いざオランダに着いてみると、どこの国もまったく対応してくれない。。。「招待されてないだろ」と跳ね返されてしまいます。(ハーグ密使事件)
当然このことが日本にバレ、伊藤博文がぶち切れます。高宗はやむなく退位し、日本は第三次日韓協約を結んで、韓国への縛りを強めました。
今度は、内政権を奪って、軍を解体してしまったのです。第二次までは、外政だけでしたが、もうついに内政まで浸食されてしまいます。
日本国内では「韓国併合」が叫ばれるようになっていきます。また、「韓国併合はしなくていい」と言っていた伊藤博文が殺され、いよいよそれが現実味を帯びてきてしまいます。
韓国はこの状況から「対等な関係なら合併してもいいよ」という声明を出しますが、「いや、それはない(笑)」と日本にあしらわれます。
そうして寺内正毅が統監の時代に、韓国併合が正式に決まり、韓国は日本に併合されてしまうのです。1910年でした。
併合と同時に、総督府が設置され、本格的に日本が韓国を支配していきます。
統監府と総督府はごっちゃになりやすいので、
統監府は、外交を監視する感じ
総督府は、総合的に監督する感じ
という風にイメージで覚えておきましょう。
まとめ
いかがでしたか?
韓国併合についてでした。自分の中で知識を整理できているととても楽なので、ぜひ復習して身につけて下さいね。
それでは!
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