対外政策における自律性(孤立主義)の強まり
ワシントン政権の時期から、アメリカは旧世界(ヨーロッパ)との外交的接触をできるだけ避けようとする傾向がありました。
1800年から始まったジェファソン政権では、ナポレオン戦争に際してフランスやイギリスどちらにもつかず、中立を維持しました。
そして、1803 年にアメリカがルイジアナを購入したことで、フランスは北アメリカに植民地を作ることを事実上断念せざるを得なくなりました。
ただ、フランスは植民地を維持するコストが削減できたので、フランスとの関係は、特に悪化したわけではありませんでした。その一方で自分の味方について欲しいイギリスとの関係は悪化。
そうこうしているうちに米英戦争(1812-15)が起こります。
その背景には、イギリスがナポレオン戦争におけるアメリカの中立を許容せず、商船員を誘拐してイギリス海軍で働かせたことや、アメリカはネイティヴ・アメリカンをイギリスが支援していると疑ったことなどがありました。
最終的には、1815 年 1 月 8 日のニューオーリンズの戦いでアンドリュー・ジャクソン将軍率いるアメリカ軍がイギリス軍に圧勝。8 月にガン条約でアメリカの勝利確定しました。
なぜ自律性を保とうとしたのか?
アメリカが孤立を極めていく理由はなんでしょうか。大まかに言えば理念的な理由と利益的な理由があります。
理念的側面としては、アメリカはヨーロッパとは違う世界という彼らなりの考えがあったこと。
利益的側面としては、アメリカは建国されたばかりの小さな弱い国という自覚があり、ヨーロッパと関わってしまえば泥沼に巻き込まれるという考えがあったことでした。
ヨーロッパからの自律性追求の集大成として、そしてラテンアメリカ諸国の独立問題を契機として、1823 年にモンロー宣言が出されます。
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