みなさんこんにちは。ケイトです。
前回はセルジューク朝についてのお話でしたね。ちゃんと復習してくれましたか?
今回は、そのセルジューク朝の同時代(11〜12世紀)にあった同時代の王朝を解説していきます!ムラービト朝、ムワッヒド朝、ガズナ朝、カラハン朝、全部説明できますか?
それではいきましょう!
Contents
ムラービト朝、ムワッヒド朝の場所は?
セルジューク朝ができて少し経った頃、北アフリカに、マラケシュを首都としてムラービト朝がおこります。
ベルベル人という先住民の間で熱狂的なイスラーム教ファンが増えたことがきっかけです。ちなみにスンナ派なんです。
ムラービト朝の特徴
レコンキスタに対抗してイベリア半島にも進出します。その結果イベリア半島の南半分を手に入れるのです。
この時期ちょうどセルジューク朝がビザンツ帝国に攻め入っていた時なんです。西からも東からもイスラーム勢力が来て焦ったことで、キリスト教世界は十字軍派遣に踏み込むのですね。
え、後ウマイヤ朝は?
というと、ムラービト朝ができる少し前に内乱で滅んでいます。
また、西アフリカにあったガーナ王国を倒して、アフリカにイスラム教を広めました。
ムラービト朝、ムワッヒド朝の違いは?
教科書には、ムラービト朝、ムワッヒド朝が連続して出てきますね。ムワッヒド朝はムラービト朝と似ているようで違います。
ムワッヒド朝はムラービト朝が起こった70年後にその近くでできた王朝です。
建てたのはベルベル人で、場所同じなので、混乱する人も多いのですが、ムラービト朝との違いをズバリ言うと、反スンナ派だったことです。
むしろシーア派に近かったようですね。
スンナ派とシーア派は仲が悪いので、近くにあると喧嘩します。
ということで、ムワッヒド朝はムラービト朝の首都、マラケシュを陥落させ、ムラービト朝を滅ぼします。
ムワッヒド朝はムラービト朝と同様にイベリア半島へ進出します。教科書でもそんなに触れられていない部分ですので、理解しやすいように説明してみました。
ムラービト朝、ムワッヒド朝の説明はこのくらいにしておいて、同時代にあった王朝をさっさか見ていきましょう。
ファーティマ朝
以前解説しましたが、セルジューク朝と同時代ですので、確認として載せておきます。場所は覚えてますか?
そうですね、カイロを首都に、エジプトあたりです。
ガズナ朝
ガズナ朝は、セルジューク朝のすぐ東にあった王朝です。インドの西側あたり、詳しく言えばアフガニスタンのあたりですね。
ちなみにセルジューク朝はガズナ朝から独立した王朝なんです。
ということは、トルコ人ですね。
あ、トルコ人がなぜイスラーム教に改宗していったかを説明していませんでしたね。
トルコ人は、アッバース朝が栄えていた頃に、商人の活動を通して、アラブ人と初めて接触しました。ちなみに8世紀頃です。
その後サーマーン朝というイラン人のイスラーム国家が、インドと中国の間くらいの場所(トルキスタンと呼ばれます)で起こります。
この政権によって、トルコ人がイスラーム教に改宗し始めます。
その結果、サーマーン朝はマムルークの輸出国ともなりました。
9世紀頃です。ガズナ朝のリーダーはサーマーン朝のマムルークの隊長でした。
サーマーン朝→ガズナ朝→セルジューク朝といった具合に派生していくのですね。
ファーティマ朝や後ウマイヤ朝と同時代なのですが、混乱しそうだったのであえて触れませんでした。
また、中国の話をする時にも触れますので、今はさらっと流すくらいでもいいですよ。
カラハン朝
カラハン朝もトルコ人の王朝です。場所としては、サーマーン朝があったあたりです。サーマーン朝を倒して中央アジアを広く支配し、トルコ人のイスラーム化に貢献しました。
これも中国の話をする時にまた触れたいと思います。
まとめ
いかがでしたか?
だんだんと話が複雑になってきましたね。一度にたくさんの国ができたり消えたりするのが、このイスラーム史の難しいところです。
分からなくなったらどこが分からないかを焦らず突き止めてください。
少しずつ進んでいきましょうね。
ここでお知らせ!
今だけ無料で「世界史の偏差値を50から60した方法」を配布しています
ぜひゲットして、効率良く世界史の成績を上げていきましょう。
以下のボタンから、メルマガ登録して頂くと、手に入れることができます。
それではまた会いましょう!
アイユーブ朝の首都はどこ?同時代の王朝も解説!
セルジューク朝のバグダード入城の理由とは?!学院、スルタンなど特徴を解説!
コメントを残す
コメントを投稿するにはログインしてください。