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【簡単!】戦国の七雄の覚え方とは?!

みなさんこんにちは。ケイトです。

今回は戦国の七雄の覚え方、春秋戦国時代の解説をしていきたいと思います!

 

1.戦国の七雄の覚え方

戦国の七雄には覚え方があります。


「シンソセンエイチョウギカン(秦楚斉燕趙魏韓)」です。

そのまんまんかよ!と思ったそこのあなた、侮るなかれ

 

リズムで覚える方法はとても効果的なんです。中国の西部側にある秦を中心に考えて、反時計回りに覚えていく覚え方です。こうすれば、国名も地理的な位置関係も同時に覚えられますね!

 

2.春秋戦国時代とは?

それまで中国大陸で力があった周(西周)が滅亡した翌年、都を洛邑に遷して東周となりました。

 

その周の東遷から周が秦に滅ぼされ、秦が中国を統一するまでを「春秋戦国時代といいます。

 

その前半の前403年までを「春秋時代」といい、後半は「戦国時代」といいます。この前403年は、韓・魏・趙が諸侯となり、戦国の七雄が出揃った年です。

 

春秋時代の名前の由来は、孔子が編纂したという魯の年代記である『春秋』に記録されている時代だからだと言われています。

 

3.覇者って?

「覇者」とは、中国の春秋時代に諸侯の中で最も優位に立ったものをいいます。

 

本来の覇の意味は伯と同じく、長者のことです。

 

周の王室が衰えた春秋時代、周王室を守り、異民族を退けて、諸侯の会盟(同盟)を主催して秩序を守ることが出来た有力者を言うようになりました。その代表的な者の5人を「春秋の五覇」といいます。

 

最初に覇を唱えたのは、斉の桓公と言われています。

 

「春秋の五覇」とは、

斉の桓公(かんこう)、

晋の文公、

楚の荘王、

呉王闔閭(こうりょ)、

越王勾践(えつおうこうせん)

 

ですね。

4.戦国の七雄とは?

戦国の七雄とは、中国の戦国時代、互いに抗争した7つの有力諸国のことです。

 

一般に、韓/魏/趙/斉/燕/楚/秦の七国を言います。

 

戦国時代、洛邑(洛陽)にはまだ周王室(東周)が残っていて権威は保っていましたが、実質的には小諸侯にすぎなくなっていました。

 

七雄はそれぞれ富国強兵策に努め、互いに争ったが、次第に最西の秦が強大となりました。

 

他の6国は秦に対して、連合して対抗する合従策をとるか、個別に協調する連衡策をとるかで論議し、外交交渉が活発に行われ、合従連衡が繰り返されました。

 

最終的には、前221年に、秦によって統一され、始皇帝の即位となっていきます。では、それぞれの国を見ていきましょう。

 

中国西部を基盤に有力となりました。次第に他の六国を統合し、前221年に始皇帝のもとで中国の統一を実現しました。

 

しかし当初は、中原諸国からみればもっとも辺境にあり、国内の改革も遅れていたのです。しかし前4世紀中頃、孝公の時、都を咸陽に定め、法家の学者商鞅を招いて改革を実施し、什伍の制などの新しい地縁原理に基づく国家機構を作り上げ、強大となっていきました。

 

すると、他の6国は連合して秦と戦ったり、個別に協調したりと秦との関係を軸に戦略を立てるようになっていきました。

 

長江中流を支配し、春秋の五覇に数えられるほど古くから力がありました。詩人の屈原や四面楚歌など、多くの文学作品の舞台としても有名な国です。

 

 

河北省を中心に支配し、前222年、秦に侵攻されて滅亡しました。周の武王が殷の紂王を滅ぼしたとき、一族の召公という者を華北地方の燕に封じたのが始まりとされています。

 

西周・東周時代を通じて、漢民族の最も西北辺境の国として続いていました。

 

黄河下流の山東省を支配しました。春秋時代には桓公が五覇の一人とされ、古くから有力な国とされています。戦国時代にも最も遅く秦に滅ぼされています。

 

山西省から河北省を支配しました。趙は、騎馬戦法を採用し、北方の匈奴との関係もありました。

 

前403年に諸侯となっています。

晋から分離し山西省から河南省にかけてを支配し、前403年に諸侯となっています。

 

魏の文侯は、孔子の弟子の系統にある李悝(りかい)を登用し、『法経』を制定させました。それまで中国の諸侯の法はすべて慣習法でしたが、はじめて成文法が制定されました。

現在の河南省西部、山西省を支配し、前4世紀中頃、申不害が宰相となって国力は上がっていきました。

華夷思想とは?

漢民族は自国を世界の中心にあって、花が咲きほこっている国という意味で「中華」といい、その周辺の異民族に優越すると考えていました。

 

そのような漢民族の思考を華夷思想といいます。

 

渭水流域の中原に成立した周王朝に始まり、春秋・戦国時代を経て形成され、漢代には確固たる漢民族の世界観となりました。

 

周辺民族をその方面別に東夷、南蛮、西戎、北狄と呼びました。漢民族はこれらの民族を異民族ととらえましたが、多くは民族的に同一です。

 

また、これらの言葉には当初は蔑視の意味はありませんでしたが、

 

周代になると犬戎の侵入が始まり、戦国時代から秦時代・漢代になると強大な匈奴帝国の圧迫を受けるようになって、それへの恐怖心から蔑視の意味が含まれるようになっていきました。

 

まとめ

いかがでしたか?戦国の七雄を中心に春秋戦国時代をお話ししてきました!ぜひ理解に役立てて下さいね!

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それではまた会いましょう!

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