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清の滅亡の原因って結局なんなん?

どうも!ケイトです。

 

今回は、清について復習した後、清の滅亡について詳しく解説していきます!それでは、いきましょう!!!!

 

 

清は非常に長く続いた王朝でしたね。

 

 

女真族

 

この王朝は、漢民族ではなく、女真族の王朝です。モンゴルのあたりで金という国を運営していましたが、明が内乱で滅びたタイミングでガッと降りてきて、結果的に中国を乗っ取った形になりました。

明の滅亡の原因って結局なんなん?

 

三藩の乱

李自成が明を滅ぼしタ後、清の侵入を防ぐ部署の明の武将である呉三桂は清に降伏します。清軍は、中国に入って北京を占領し、南方の雲南、広東、福建は、中国人の武将を置いて統治させました。

 

中国人の武将達を藩王と呼びます。

 

しかし、中国には清の侵入に腹を立てる人達が結構いました。そこで藩王達は、東南地域の沿海で、反乱活動をしていた鄭成功とその一族、さらにオランダ人を追い出します。

 

鄭成功達は、台湾に移動して、清に抵抗しました。

 

この反乱分子を追い出すことが目的だった清は、三藩を廃止しようとします。しかし、せっかく手に入れた地位を手放したくない藩王達は、呉三桂を中心に反乱を起こしました。

 

これを三藩の乱といいます。

康煕帝

4代目の皇帝である康煕帝は、私人の貿易を禁止し、台湾にいる鄭成功の財源を絶ち、降伏させて台湾を自分たちの領土にします。さらに、荒々しい三藩の乱も鎮圧して、今後の清の基礎をつくりました。

 

優秀な皇帝たち

 

清朝の前半戦は康煕帝、雍正帝、乾隆帝、と優秀な皇帝が続きます。統治スタイルは独裁でしたが、北虜南倭で悩まされていた明よりはずっと安定していました。

 

 

制度は明のものが多く、儒学を振興して、中国文化を守る姿勢があったのです。ただ、反乱を抑えたいがために、文字の獄や、辮髪など思想統制や弾圧が行われました。

文化

 

清の文化はこちらにまとめましたので、読んでみて下さい。

【世界史】清の文化まとめ!覚え方も!

 

清の滅亡

義和団事件後、清の政府は科挙を廃止したり憲法を定めたりと、改革に励んでいました。

 

しかし、その改革に必要なお金は結局国民に回ってきて、増税とかは特に有力者や民衆の反感を買いました。

滅満興漢と扶清滅洋の違い!意味をしっかり理解しよう!

増税が嫌なのはどの時代でも一緒ですね。

 

一方で、海外では、中国の外に住む中国人や留学生、漢人が団結して、清をたおすための革命運動が盛り上がっていました。

 

特に有名なのが、孫文ですね。名前くらいは聞いたことあると思います。

 

興中会という政治的な秘密結社を指導し、バラバラだった革命派をまとめ、日本の東京で中国同盟会を組織しました。すごいカリスマ笑

 

中国同盟会は、清の打倒や、共和国の建設、貧富の差をなくす、「民族・民権・民生」という三民主義を掲げていました。

 

民族・民権・民生とは一体なんぞや?というと、民族が独立すること、国民の権利が拡大されること、貧富の差を是正すること、という意味です。

 

民族・民権・民生だけでは、意味分からないですが、意味が分かったら、ちょっと覚えやすくなりましたね。

鉄道国有化で国民ぶち切れ

革命運動が盛り上がる中で、大事件が起こります。なんと、清朝が鉄道を、外国からものを買うときの担保にしようと国有化したのです。

 

まだ、ピンと来ないと思いますが、こうだったらどうですか?

 

 

頑張ってお金を貯めて買ったプラモデルで、それを展示をして人からお金を集めようと思っていたのに、プラモデルをお兄ちゃんに勝手にとられて、彼が友達とゲームと交換で渡してしまった、、、みたいな。

 

むかつくでしょ?笑

 

それとおなじようなことが起こっていて、資本家や有力者達は、中国分割で買い戻した鉄道を建設して、国民のために使い、経済を回そうとしていました。

 

しかし、それを勝手に清朝にとられ、もっと悪いことにせっかく買い戻した鉄道敷設権を担保に外国と取引しようとしたのです。

 

むかつきますねえ。国民はぶち切れまして、四川では暴動になりました。

 

それをきっかけに、武昌という場所にいた革命派が蜂起して、ここから辛亥革命が始まります。

 

辛亥革命&清滅亡

蜂起は、オオカミがつられて鳴き出すように、あっという間に全国に広まりました。

 

1ヶ月のうちに大半の地域が独立を宣言し、孫文を臨時大総統に任命しました。そして、南京で中華民国の建国を宣言します。

 

中華民国はなんと、アジア初の共和国なんです。高校生の時、なかなかの衝撃を受けて、「言われてみれば確かにそうだ、、、!」と思いました。

 

清政府は、袁世凱という軍人を使って、革命側と交渉をします。しかし、袁世凱はずっと国のトップに立つという野望をもっていました。

 

地方で暴動、政府の弱体化、、、、これはチャンス!と思った袁世凱は政府を裏切り、

 

清朝がたおれること、共和国が建設されることと引き換えに、自分を臨時大総統にしてもらいました。

 

1912年、宣統帝(溥儀)の退位によって、2000年続いた皇帝政治、300年続いた清は終わりを告げました。

 

しかし、独裁皇帝になりたい袁世凱と、民主政をしたい孫文ら国民党は馬が合わず、孫文らの武装蜂起を袁世凱が押さえつけました。

 

袁世凱は独裁政治を進めます。しかし、ここで彼の部下であるはずの有力軍人はこう思います。

 

このまままた、皇帝政治が始まったら、皇帝は世襲制になっちまう。俺たちがトップに立つことはねえ」と。

 

有力な軍人は自分の好きなように編成した軍隊を持っていて、それを軍閥と言います。そして、その軍閥ごと、トップにたって政治を動かしたいと思っていたのです。

 

さすがに軍人まで、皇帝反対派に入ってしまうと、政治はどんどん上手くいかなくなり、袁世凱は気に病んで病死してしまいます。

 

彼の死後は、軍閥が各地に分立して抗争し、不安定が状態が続きました。

 

まとめ

 

いかがでしたか?

 

この流れは試験に出やすいので、頭にたたき込んでおいて下さい。今だけ無料プレゼントしている勉強法大全には、流れの暗記法も書いてありますので、ぜひゲットしてみて下さい!

それでは!

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