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膨張の時代
民主党の第一次全盛期
ジョン・クエンシー・アダムスの当選をきっかけに結成された民主党。独立した農民を中心としたジャクソニアン・デモクラシーの政党となりました。
と同時に、民主党は南部プランターの政党でもありました。
とくに 1840 年代後半以降には、南部プランターに有利な政策が取られる傾向が強まっていきます。
政権は対抗政党であるホイッグ党にわたることもありましたが(1849-53)、連邦議会にお
いては民主党が優位でした。
政策決定の主導権は民主党が握っていたと言っても良さそうですね。
領土の著しい拡大
1840 年代には、南西部と北西部に合衆国領土がどんどん拡大していきます。
具体的には、南西部ではテキサス、ついでカリフォルニア、北西部ではオレゴンがアメリカ領となりました。
奴隷制への反対
繰り返される政治的妥協とそのほころび
アメリカの領土が広がるということは、州が増えるということを意味します。ここで、問題が生じます。それが、奴隷OKにするか否かですね。(奴隷州と自由州)
これについてはかなり揉めます。
1820年のミズーリ協定(ミズーリ州加入がきっかけ)では、地理的には北緯 36 度 30 分以北に奴隷制の拡大を認めず、政治的には自由州と奴隷州の数を同じにする、ということを妥協案として定めています。
しかし、それは本質的に一時的な妥協に過ぎませんでした。理由としては以下の通り。
・西部への開拓により、北西部に州が誕生する機会は多かったこと。
・さらに 1854 年、36 度 30 分以北に創設されることになったカンザスとネブラスカという2つの準州を自由州と決めない、という動き。(カンザス=ネブラスカ法)
これらにより、対立は段々と深まっていったのです。
ここで、当時の連邦政治家の奴隷州と自由州に関する3つの立場があった。
① フリー・ソイル主義:奴隷反対という立場です。共和党の考え方になっていきます。
② 州権主義:自由州か奴隷州かどちらにするかという決定は、連邦が介入することではない、奴隷制にするかは州が決めべきだという立場です。州の自律性を重視した立場とも言えます。
③ 人民主権主義:集権制と似ていますが、住民投票で決めれば良いという立場です。
②、③は民主党の考え方と言えます。
民主党には州権主義や人民主権主義が多く、ホイッグ党は南北対立が激しかったとされています。
結局、北部ホイッグや一部のフリー・ソイル派などを中心に、反奴隷制(反カンザス=ネブラスカ
法)と反民主党の政党として、1854 年に共和党が結成されます。
さしあたって共和党は反奴隷を契機にできたと覚えておきましょう。
連邦最高裁は、1857 年のドレッド・スコット判決を出します。
これは、奴隷を財産としてみるかどうかについて争われた事案です。判決としては、「財産としてみる」でした。
奴隷所有を禁止することは「財産権の侵害」に当たるとして自由州の法的存在根拠を事実上否定し、混乱に拍車をかけたのです。
また、南部には人種的理由づけや宗教的理由づけによって、奴隷制を擁護する議論も存在しました。また、南部の意向が常に無視されるのは「多数者の専制」だという見解もあったようですね。
人間の尊厳侵害、人権侵害、多数者の専制、少数者の抑圧、なにが良くてなにがダメなのか、特に人間の倫理が試される時代だったといえそうです
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