どうも!ケイトです。
今回はロシアの二月革命と十月革命の違いについて詳しく解説していきます!
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ロシア革命と二月革命と十月革命の違いと覚え方
違い
ロシア革命は、二月革命(三月革命)と十月革命の総称です。二月革命と十月革命の違いも押さえていきましょう。
簡単にまとめると
二月革命→皇帝政治が終わる
十月革命→臨時政府が終わる
こんな感じです。
覚え方
行くやいなや、NijiU
1917(行くやいなや)
二月革命(に)
十月革命(じゅー)
行くいなや、NijiUに会えたわーっていう語呂合わせです。
二月革命
二月革命の時期としては、第一次世界大戦中です。
開戦以来、ロシアは負け続けていましたが、政府は国の危機に十分に対策をとりませんでした。
「なんかしろやああああ!もう戦争やめろ!」
と国民はキレはじめます。
1917年、首都のペトログラードで、パンと平和を求めてデモやストライキが起こりました。これに軍隊もちゃっかり加わって、各地に広がっていきます。
労働者・兵士・はソヴィエトを組織して、革命を進めていきました。ソヴィエトって聞いたことあるけど、なんぞや?って思いますよね。
ソヴィエトとは、労働者の自治組織で、評議会のことです。
革命はどんどん進み、ついに皇帝のニコライ2世が退位しました。これによってロマノフ朝は消滅し、皇帝政治は終わりを迎えます。
これを機に、自由主義の国会議員が支持され臨時政府が樹立されます。
この出来事を二月革命と言います。ちなみに、ロシア暦で2月に起こったので二月革命です。普段私達が使っている、グレゴリウス暦とは13日ずれています。
13日ってたいしたことないとは思いますが、それが積み重なると結構なズレになります。グレゴリウス暦では、三月に起こったので、この革命は三月革命とも言われます。
どっちかにして欲しいですね笑
十月革命
二月革命後も、第一次世界大戦はずるずると続きました。それに、政府と大量のソヴィエトは併存することになり、農村では農民革命が起きたり、なかなか不安定な状態に。
しかし、そこに救世主が現れます。ボリシェヴィキの指導者であるレーニンです。多数の人が支持した、社会革命主義党ですよね。
彼は亡命していたスイスから帰ってきて革命を押し進めすための方針を発表します。それが、四月テーゼです。
また、ボリシェヴィキの勢力を伸ばしたり、首相になったケレンスキーと対立しました。ただ、ボリシェヴィキの勢力の拡大の仕方は凄まじく、ケレンスキーはどうしようもなくなりました。
そしてついに、レーニンはトロツキーという人物と共に政府を倒し、新しく政権の発表をしました。
また、無併合、無償金、民族自決の原則による講和を呼びかけたり、(「平和に関する布告」)、農民革命を認めたり(土地に関する布告)が決められました。
そしてこの出来事を十月革命と言います。ややこしいことに、グレゴリウス暦だと十一月革命です。
「もっと革命の名前あっただろ」とか高校生の時思っていました。笑
はい、話をまとめると、
二月革命→皇帝政治が終わる
十月革命→臨時政府が終わる
ということですね。
まとめ
いかがでしたか?二月革命と十月革命の解説でした。
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それでは!
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