どうも!ケイトです。
今回は、パンゲルマン主義、パンスラヴ主義の違いを解説しています。!
Contents
パンゲルマン主義、パンスラヴ主義の違い
パンゲルマン主義→国外のドイツ人も全部合わせた大帝国をつくろうというドイツの思想
パンスラヴ主義→パンゲルマン主義と対立した思想で、バルカン半島のスラヴ系の人々を統一しようというもの
パンゲルマン主義
パンゲルマン主義とは、国外のドイツ人も全部合わせた大帝国をつくろうというドイツの思想のことで、ヴィルヘルム二世が関わっています。
ヴィルヘルム二世
ヴィルヘルム二世は若くして皇帝なり、首相にしてはおじいちゃん過ぎるビスマルクを降ろし、世界帝国をつくろうと色々やった人ですね。
第一次世界大戦の原因もこの人の活動が大きく関係しています。
パンゲルマン主義も世界帝国づくりの一環としての思想で、ドイツ、オーストリアの統合、東方植民をしたドイツ人地域も併合しようというものでした。
全ドイツ同盟というグループは、パンゲルマン主義の主張を掲げた団体です。
オーストリアのバルカン侵出
第一次世界大戦の原因としてオーストリアの行動も重要になってきますね。
オーストリアは、対立していてもこれまで三帝同盟で協調関係を保ってきたロシアと、対立し始めます。
エーゲ海に面したサロニカに向けて鉄道を作りたかったオーストリアは、バルカン半島に進出してきて、最終的にボスニア・ヘルツェゴヴィナを併合してしまいます。
この地域には、セルビア人が多く、当然セルビア王国がキレます。さらに、セルビアの親分的存在であるロシアの逆鱗にも触れ、一触即発の状態ができあがる訳です。
オーストリアがバルカン半島を狙ったのも、パンゲルマン主義の影響です。
パンスラヴ主義
パンスラヴ主義は、パンゲルマン主義と対立した思想で、バルカン半島のスラヴ系の人々を統一しようというものです。
ロシアの南下政策
バルカン半島にいたスラヴ人はオスマン帝国の支配から抜け出そうと必死でした。
その頃ロシアは、凍らない港や自由に航行できる海が欲しいと言うことで、南下を目指していました。ロシア人はスラヴ系の人々です。ここで彼らは良いことを考えました。
「同じスラヴ系として、バルカンの人達の独立を手伝ったら、海が手に入るんじゃね?」と。
この考えがやがて、スラヴ系を統一しちゃおうという思想に発展し、パンスラヴ主義の運動が広まっていきます
露土戦争
ロシアはバルカンに進出したいがために、オスマン帝国に戦争を申し入れます。口実としては「ギリシア正教徒の保護」です。口実だと丸わかりですね。
ロシアは見事にオスマンに勝利し、スラヴ系国家の独立を主とした講和を結びます。
だーがしかし、バルカン半島に同じく進出したいオーストリア、ロシアが強くなるのが嫌なイギリス、フランスによって、妨害されてしまうのです。
結局、ロシアにとってなんの得もない講和を結ばされ、南下を断念します。ちょっとかわいそうですね。
まとめ
いかがでしたか?パンゲルマン主義、パンスラヴ主義の違いを解説しました。しっかりした理解が得点に繋がっていくので、ぜひまた復習して下さいね。
それではまた。
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