【世界史】イギリスとアイルランドの歴史と問題を分かりやすくまとめる!

 

どうも!ケイトです。

 

世界史の教科書にはあまりアイルランドの話は載っていませんが、ちょくちょく試験で聞かれる分野でもあります。

 

今回はイングランドとアイルランドの問題を一気にまとめていきます。自分でまとめるのが苦手だという人は必見です!それではいきましょう。

 

アイルランド問題

まあなんとなく仲が悪いイメージがあると思いますが、イングランドとアイルランドが一体何でモメておるのか。ここで一度まとめておきましょう。

 

アイルランドを攻略するために必要な観点としては3つです。

それが民族問題、宗教問題、土地問題

 

民族:イングランド=アングロサクソン人、アイルランド=ケルト人 という違い

宗教:イングランド=イギリス国教会、アイルランド=カトリック の対立

土地:クロムウェルの征服以降、イングランド人地主がアイルランドの95%を所有し、アイルランド人は小作人に・・・

 

こう見ただけでも、大昔から問題ありげだなというのが、分かってきますね。

 

特に、クロムウェルがカトリックの討伐のためにアイルランドを併合した後は、アイルランドはイングランドの植民地であるにも関わらず、人々はひどい扱いを受けました。

 

以下で詳しく見ていきます。

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アイルランド独立までの流れ

抑圧からの解放

1801年、イングランドがアイルランドを併合したことにより、大ブリテン=アイルランド連合王国が成立します。

 

併合した理由は、同時期のフランス革命、アメリカ独立戦争で、ナショナリズムが勝利していくムードの中で、イギリスの実質上の植民地だったアイルランドにも同様に独立ムードが流れていたからでした。(植民地になったのは、クロムウェルが征服したからですね。)

 

アイルランドを併合してしまい、手綱を締めてしまおうと、、、恐ろしいですねえ。

 

上でも見たとおり、イングランドではイギリス国教会、アイルランドではカトリックだった訳ですが、当時のカトリックへの差別はそれはそれはひどいものでした。

 

政府の役職はイギリス国教会の信者のみと決めている法律まであったそう。その法律を審査法と言います。

 

カトリックへの差別は植民地時代から、併合された後でも続きました。しかし、これに対抗しようとした人物がいます。

 

カトリック教会を設立し、審査法が廃止されるように頑張りました。

 

それが、オコンネルという人物です。彼の努力で、イングランドは、アイルランドとの融和を目的に妥協するようになりました。

 

審査法が廃止され、さらにカトリック教徒解放法が制定され、信仰の自由と公職への就任も認められるようになったんですね。

 

ここで一件落着と思いきや、対立は弱まることはありませんでした。

 

アイルランドにはプロテスタントもいたわけですが、カトリック教徒の公職への進出に怒ってしまい、結果としてイングランドへの敵意みたいなものは解消されなかったんですね。

ただ、カトリックの差別が形式的になくなったというのは、押さえておきたいポイントですね。

独立運動

アイルランドの独立運動が始まるのは、ジャガイモ飢饉の後です。

 

ジャガイモ飢饉についてお話しましょう。19世紀の半ば頃、アイルランドの小作人はひどい貧困で悩まされておりました。

 

そんな中で、主食であるジャガイモの飢饉が3年ほど続いてしまいます。日本で米がまったくとれなくなったら、結構困りますよね。

 

 

この世紀のジャガイモ飢饉により、大勢が餓死してしまうのです。

 

飢えで死んでいく仲間を見るのに耐えられなくなったアイルランドの一部の人達は移民としてアメリカに渡りました。100万人ほどが移住したと言われています。

 

19世紀後半には、主に土地問題での不満が強まり、アイルランドの人々の間でナショナリズムが高まりました。一致団結した彼らは、「自分らの土地と自治を取り戻そう!」と自治の獲得を目的に運動を始めて行きます。

 

1848年には青年アイルランド党が武装蜂起。イギリスとの分離を要求しました。

 

これに続いて、フィニアンと名乗る秘密組織がも武装蜂起。その後も、あらゆるアイルランド人のグループが独立運動を進めていきました。

 

いずれも鎮圧されたものの、当時ヨーロッパで起きていた1848年革命と同じような運動がアイルランドでも起きていることが分かりますね。

 

また、アイルランドの小作人の解放を求める運動は、1870年代から活発化します。

 

自由党のグラッドストンという人物は、アイルランド人の小作権を保障し、小作人の解放を図る、アイルランド土地法を推進します。

 

しかし、この土地法では、小作人達の不満が解消できず、イギリス人地主とアイルランド小作人との間での対立は激しさを増しました。運動が激化すると、弾圧され、次第に運動はしぼんでいきました。

 

その後も、グラッドストンは、アイルランド自治法案を否決されながらも2回も提出し、この問題への尽力したようです。

独立へ

 

20世紀に入って、アイルランドでは、完全なる独立を目指すシン=フェイン党が結成され、本格的な独立運動が行われていきます。

 

1914年には、イギリスでようやく、グラッドストンが推進していたアイルランド自治法が制定されます。しかし、ここで運悪く、第一次世界大戦が始まってしまい、法の施行が延期になってしまいました。

 

 

この延期に堪忍袋の緒が切れた人々はダブリンで蜂起。丁度イースターの翌日だったので、イースター蜂起と呼ばれます。

 

イギリス軍はこの蜂起をが軍隊を派遣して鎮圧し、首謀者を初めとする蜂起関係者を何人も処刑したため、アイルランド人全体が怒りました。

 

アイルランド人のイギリスへの憎しみは次第に募っていき、独立を訴えるシン=フェイン党を支持するムードが高まっていきます。

 

その後のアイルランド総選挙で、シン=フェイン党が圧勝し、イングランドの議会をブッチして、そのまま独立宣言を出しました。

 

アイルランド自由国→エール→アイルランド共和国

 

イギリスのロイド=ジョージ内閣は、独立を認めず、シン=フェイン党の解散、党員の逮捕、弾圧を強めました。

 

シン=フェイン党はゲリラ闘争やテロを開始し、アイルランド独立戦争が始まっていきます。

 

他方、ロイド=ジョージ内閣は、戦争状態、混乱状態を収束させたいとも考えており妥協策を考えるようになります。

 

1920年、アイルランド統治法を公布し、北アイルランドと南アイルランドを分離し、それぞれに自治権を与えるというものでした。それぞれの自治権の程度は異なったようですね。

 

しかし、シン=フェイン党は拒否。イギリスは起こって、本格的に弾圧し、アイルランドはまたもやイギリスへの憎しみを募らせていきました。

 

結局、イギリス=アイルランド戦争は長期化、双方疲弊し、世論的にも戦争反対。1921年に停戦合意しました。そして、同年、イギリス=アイルランド条約により、晴れてアイルランドは独立国になりました。

 

 

独立した当初は、アイルランド自由国という名前でした。首相はシン=フェイン党の党首である、デ=ヴァラという人物です。

 

 

一方、アイルランドの中でも、イングランド側に残った地域があります。それがアルスター地方。そこは、プロテスタントの人が多かったので、カトリックに反発したんですね。

 

その後、アイルランド自由国は、エールという改称し、完全に独立。1937年のことでした。

 

そして、正式にイングランドから離脱したのは、第二次世界大戦後。最終的にアイルランド共和国として、独立しました。

まとめ

 

いかがでしたか?

イングランドとアイルランドの問題でした。アイルランド史は受験生の詰めの甘い部分ですので、試験で問われることも少なくありません。

 

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