みなさんこんにちは。ケイトです。
国の文化や、人々に触れ合うと、どうしてこの文化が生まれたんだろう、とか
なぜ英語が公用語なんだろう、と思うことってありますよね。
そんな時、歴史を知ろう!と思いますが、こうダラダラ長いのは読みたくなくて、
結局歴史を知れずにそのまま、ということってあるでしょう。
今回は、世界史の教科書には載っていない
カナダの歴史をサクッと簡単に分かりやすく解説していきたいと思います!3分間世界史の番外編ですね。
Contents
カナダにはもともと誰がいた?
今や自然が綺麗な移民の国として知られるカナダですが、
もともとは誰がいたと思いますか?
それはズバリ、アジア人です!
個人的にすごい驚きでした。理由を解説すると
当時はユーラシア大陸と北アメリカ大陸は繋がっていたためです。地学で、時間が経つにつれて大陸が分裂して移動したというのを習いましたが、本当だったんだなあと。
ちなみに日本も、いろんな人種が混ざっていて、朝鮮系とかモンゴル系とか中国系とかって顔タイプが分かれているんですよ。私は何タイプなんかなあ。まあだから日本人って全然単一民族じゃないんです。
話がそれましたが、
時期的には氷河時代です。
彼らはファーストネイションズと呼ばれ、中国人のDNAと共通していることが分かっています。
海賊行為を行った北欧のヴァイキングがカナダに到達したために
人々は南下します。
そして狩猟や採集を行って生活し、
北部にとどまった人々は、イヌイットと呼ばれます。
大航海時代にヨーロッパの人々に発見される
ヨーロッパの人々は香辛料を効率的に手に入れることを求めて、
インド探しの旅に出ることはみなさん知ってますよね。
大航海時代にコロンブスがインドだと思って到達した大陸はアメリカ大陸でした。
教科書では後のアメリカ合衆国がフィーチャーされていますが、カナダの土地もこの時代に発見されるんです。
カナダを発見したのはイギリス。
当時は大西洋を西北に向かえば、
アジアにたどり着くための通路がある!と信じていました。それによって人が何人死んだことか...
イギリス国王はその通路を発見するために、
イタリア人探検家ジョンカボットを派遣したのです。
カボットはニューハンドランド沖に到達しますが、
その時、そこが豊かな魚場でした。
タラがいっぱいいたそうです。
それがヨーロッパで評判になり、
フランスやポルトガルも漁をするようになります。
しかしイギリスは、カナダを支配しよう!という気はあまりなかったのです。
フランスも行動にでる
イギリスがカナダを発見した少し後、フランスの国王は、ジャックカルティエをカナダに派遣して探検させます。
フランスはイギリス違い、植民地の保有を目指しました。
なぜなら、先住民と取引することで、ビーバーの毛皮が手に入ったからです。
毛皮は何に使うかというと、高級な帽子を作るのに使われました。暖かそう。
安く手に入れた毛皮で高級な帽子をたくさんつくり、
それを植民地に買ってもらえば、フランスは大儲けです。
フランスはケベックに拠点を置き、植民地経営を民営化しました。
そうすれば、経営にお金がかかりませんからね。
ちなみにカナダ、というのは、
ジャックカルティエが、ファーストネイションが「村」という意味で使っていた「カナタ」を、地名だと勘違いしたのが由来です。
フランスは徐々にですが、植民地を広げていきます。
羨むイギリス
イギリスは毛皮に目をつけます。いいなあ、カナダ...みたいな。
さらにこの頃、イギリスとフランスの仲が非常に悪く、
ヨーロッパで戦争になると、その情報がアメリカに伝わり、
現地のイギリス人とフランス人が喧嘩を始めます。
オーストリアとプロイセンの争いが起こると、
利害関係でイギリスフランスも対立し、
七年戦争が勃発します。めっちゃ仲悪いですね。
それがアメリカに伝わり、フレンチインディアン戦争が始まるのです。
結果どうなったかというと、
イギリスの勝利でした。
フランスは植民地をイギリスに渡し、
フランスは全ての植民地を失いました。
イギリスの支配
カナダはイギリスの支配下となりましたが、
現地のフランス系住民への扱いは比較的穏健でした。
現在カナダの公用語が英語とフランス語なのは、イギリスのこの時の決定が影響しているのですね。
やがてアメリカ独立戦争が終結して合衆国になると、
アメリカにいた王党派の人々はカナダに移住します。
カナダの人口がかなり増えました。
抱えきれないため、イギリス議会ははカナダを上カナダ、下カナダと分けます。
米英戦争
理由はいくつもありますが、アメリカがカナダも領土にしようとしたため、
アメリカとイギリスの戦争が起きます。
アメリカ軍はカナダに侵攻しますが、カナダの人々は撃退します。
この頃から、カナダ人にナショナリズムが芽生え始めるのです。
アメリカの産業革命で
アメリカが産業革命で急速に成長すると、またもやカナダを領土にしようとします。
それを阻止するためにイギリス議会は
カナダを統合し、立法して政府を作らせるのです。
首都はオタワに置かれました。
自治権も有し、
鉄道ができたり、州が増えたりなど、
国連にも参加したりしました。
ウェストミンスター憲章
カナダは自治権を有していませんでしたが、
外交権はありませんでした。
イギリスはカナダに自治権を与えた70年ほど後、外交権を付与します。
これをウェストミンスター憲章といい、
イギリスとカナダの関係は対等になり、
カナダは実質独立しました。ウェストミンスター憲章は試験に頻出です。
カナダの独立
ウェストミンスター憲章から、少し経った後、
国旗や国歌も完成します。
今まではユニオンジャックが入ってましたが、
1965年に今の赤と白の、メープルリーフの国旗になります。
そして、イギリスが作った法は改正され、
英語とフランス語が共に公用語になり、
カナダ独自の憲法ができたことで、
1982年、やっと独立国家となります。
独立してから50年経っていないという事実に驚きですね!
カナダは、移民をたくさん受け入れ、
インディアンやイヌイットの人権保護に力を入れています。
まとめ
いかがでしたか?
夜眠れなくてなんとなく調べてみたら面白かったので、思わず記事にしました。
3分間世界史でもっと詳しく語っていく予定なので、乞うご期待!
それでは!
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