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【世界史】ローマ帝国がキリスト教を公認したのはなぜ?!

みなさんこんにちは!ケイトです。

今回は今にも続く、キリスト教についてのお話になります。迫害されていたキリスト教が、なぜローマ帝国の国教にまで上り詰めたのかを解説していきます。

キリスト教誕生~公認

誕生

キリスト教は、アウグストゥスの帝政が始まったあたりから、ローマの支配下にあったパレスチナで生まれました。当時のパレスチナで信仰されていたのは、ユダヤ教です。

 

ユダヤ教誕生のお話はまた、後日。さて、ユダヤ教の祭司(儀式などを司る人のこと)や、戒律を守ることばかり主張するパリサイ派と呼ばれる人々は、ユダヤ教徒たちの貧困に苦しむ声を聞こうとしていませんでした。

 

ユダヤ教徒たちは、ローマ帝国の圧政のために飢えに苦しんでいたのです。

 

 

やがて彼らは、この貧困状態からの脱出を期待するようになりました。「神は救い」「救う者」を意味するイエスがパレスチナに誕生します。

 

 

苦しむ民衆達をみて、彼は言うのです。「心を尽くして神を愛せ」「自分自身のように隣人を愛せ」

 

 

これらは神の絶対愛。隣人愛というもので、形ばかりの祭司やパリサイ派たちを批判しました。民衆は彼を救世主と信じ、彼の教えは広まっていきます。

 

ちなみにギリシア語で救世主をキリスト、といいます。キリストは名前ではなく、称号に近いものですね。彼に関する逸話はたくさんあるので、また他の記事で紹介しようと思います。

 

さて、祭司達は大事な大事なユダヤ教徒をとられたために、パリサイ派は自分達の考え方を批判されたために、イエスを反逆者として、総督ピラトに訴えてしまいます。

 

そうして彼はエルサレムのそばのゴルゴタの丘で、ローマ帝国の法に従って十字架刑に処されてしまいました。

 

「イエスを十字架にかけた民」というのは後々ユダヤ人迫害の大きな原因になってしまいます。しかし、死んだはずのイエスは、3日後によみがえり、多くの弟子たちの前に姿を現します。

 

彼の死は人間の罪を贖うためのものだった」という考えが生まれていき、ユダヤ教とは分離してキリスト教が生まれるのです。

 

ペテロ&パウロ

 

使徒と呼ばれる人々はキリスト教を広めるための活動を開始します。

ペテロは初の教皇となる人物です。イエスが捕まった時、師弟関係を否認したそうですが、イエスはこれを許したそうです。

 

彼は熱心に布教活動に取り組みましたが、ネロ帝の迫害にあい、殉教しました。

 

パウロはもともとイエスの信徒を迫害する側でしたが回心し、イエスの死後、ローマ帝国各地に布教し、パレスチナ以外にもキリスト教を広めました。教会も増え、お金持ちにも信じられるようになっていきました。

 

そしてキリスト教の聖典として「新約聖書」がギリシア語のコイネーで記されました。

迫害

ディオクレティアヌス帝のところでもお話ししたように、皇帝崇拝儀礼が非常に強化されていました。当時のローマは多神教で、皇帝も神扱いなのです。

一神教のキリスト教徒は当然皇帝礼拝に反発します。すると、彼らは激しく迫害を受けるのです。代表的なものは、ネロ帝の迫害、そしてディオクレティアヌス帝の大迫害。

 

ネロ帝はローマの街にわざと火をつけて、キリスト教徒に濡れ衣を着せたという噂があります。キリスト教徒達はカタコンベといわれる地下墓地で、ひっそりと礼拝をしていたそうです。

キリスト教公認

これまでキリスト教を弾圧してきたローマ帝国ですが、キリスト教の勢力が強くなりすぎて抑えきれなくなってくると、今度は逆に帝国の統一のために保護することを決めます。

 

 

それがコンスタンティヌス帝のミラノ勅令です。

 

皇帝の保護を受けたことでキリスト教はどんどん勢力を伸ばしていきます。

 

3つの会議

そんななか、キリスト教会はめちゃくちゃ揉めてました。

 

それは教義について。教えがどんなものなのか、どんな考え方なのかという定義づけについて、さまざまな意見に割れていました。

 

ニケーア公会議

コンスタンティヌス帝主催のこの会議の議題はイエスキリストは神か人か、です。「キリストは人間だ」のアリウス派と「いや、キリストは神だ」のアタナシウス派。

 

勝ったのはアタナシウス派で、アタナシウスの説は後に三位一体説と呼ばれるようになります。そしてそれは正当教義となります。

 

王道というわけですね。ちなみに三位一体説とは、「父なる神、子なるキリストおよび聖霊は、三つでありながらしかも同一だ」という説です。

 

 

エフェソス公会議

この会議では、

イエスは、神格と人格の二つの位格ももってたんじゃない?」とネストリウス派が主張し、アタナシウス派に反論しました。

 

結局、異端と判決されてしまいますが、この教えは中国に伝わり景教と呼ばれるようになります。

 

カルケドン公会議

この会議は「イエスは神か人かのどちらかだ」という単性論と、「イエスは神でもあり人でもある」という両性論がぶつかった会議で、両性論が採用されました。

 

3つの会議、語呂合わせタイム

 

年号と共にリズムで覚えましょう

見に来いニケーア、司祭はエフェソス、しごいて私のカルケドーン

325年
ニケーア公会議
431年
エフェソス公会議

451年
カルケドン公会議

国教へ

一時、ユリアヌスという人物が多神教の復活を企てましたが、失敗に終わり(彼は背教者と呼ばれます)、ついにテオドシウス帝がアタナシウス派キリスト教を国教にしました。

 

そして他の宗教を禁止してしまいます。

 

キリスト教は国家権力と結びつき、教会はどんどん組織化していきます。ヨーロッパではこれから、キリスト教による宗教的な統一が起こっていき、今につながっていくわけですね。

 

まとめ

いかがでしたか?キリスト教の誕生から国教化まで学んできました。キリスト教に対する考え方も少し変わるかもしれませんね。

次回はローマ文化まとめです。それではまた会いましょう!

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