⑥【1788】アメリカ合衆国憲法の制定と連邦政府発足までの経緯~ジョージ・ワシントン大統領~

 

合衆国憲法の「連邦制」

 

各ステートと中央政府との間の関係、各ステート間の関係をどうするのか。こういうことについて出した答えというのが連邦制でした。

 

連邦政府、州政府との間での分権。あるいは権力の地域的分散。

 

実は、合衆国憲法は連邦政府と州政府を別立てしています。だから理屈上は、連邦政府と州政府はなにも関係がないんです。

 

限定的に列挙された権限のみを持つ連邦政府と、高い自律性をまあ保った州政府が、それぞれ存在をしていて、連邦政府は憲法に合衆国憲法に示された項目のみ権限を持つ。州政府の活動を制限するということも原則的にできないことになっています。

 

連邦と州がお互いどういう関係にあるのかっていうことについて、基本的には無関係です。

 

合衆国の市民が一方では州政府との間で、他方では連邦政府との間で契約関係を作っている状態。連邦政府も州政府もお互いに、合衆国市民と直接契約をして作られた制度で、相互に直接関係しない。こういう間柄になのです。

 

だから、人々はステートの市民でもあり、合衆国の市民でもあると言えます。例えば、ニューヨークに住んでいるが、ニューヨーク州政府と契約をし、カリフォルニア引っ越せば、カリフォルニア州政府と契約。別に連邦政府とも契約していて、合衆国の市民です。

 

そして、もちろん新しい連邦政府は、それまで連合規約の時代には中央政府に認められていなかった課税権を与えられるようになり、州政府に拘束されることなく、州政府が協力しなかったとしても連邦政府ってのは運営していけるようになります。

 

こういうような仕組みが整えられていくことになるわけですね。

 

州際通商条項

とはいえ、各州の関係は誰かがコントロールしないといけないという問題が残るため、州と州の間の関係は、連邦政府がコントロールするということになっています。

 

うまくまとまらないような事柄については、連邦政府が立法を通じて解決して行きます。

 

その立法のひとつが合衆国憲法1条8節3項の州際通商条項です。複数の州にまたがるような通商について連邦政府が管轄をすることを定めました。例えば、他の州から来る産品について特殊な課税をすることを認めないなどです。

議会の立法権限

 

合衆国憲法1条8節は、連邦議会の立法権限が及ぶ対象を定めています。連邦議会が何ができるかという情報は、連邦政府が何ができるかという情報とほぼイコールです。

 

条項は1から17項までの規定を、実際にそれについて立法するために必要適切であることを要求していましたが、やがて政府の運営上、必要かつ適切であると判断した場合、どんな立法でもできるという規定に次第に読み込まれていくことになります。

 

限定列挙で立法権が及ぶ範囲を限定しているのに、必要適切条項を置くことで、限定列挙を形骸化してしまうんですね。

 

立法できるかどうかが解釈にゆだねられることになるんですね。このような条文が連邦政府の権限を拡大して行く上で非常に、大きな役割を果たしていきます。

 

条項の解釈が変わっていく例は他にもあります。

 

修正14条は、州政府に対してデュープロセスの遵守を要求する条項で、適正手続なく、自由とか財産を奪えないということを定めていました。日本の憲法で言うと31条みたいなものですかね。

 

19世紀の後半から20世紀の初頭では、州政府に対するデュープロセス条項は経済的自由を絶対的な権利として認める条項として存在することになります。適正手続きの条項なのに、強い経済的自由の擁護につながる解釈になってしまったんですね。

 

ニューディールの頃になって、ようやく合衆国全体として修正14条は経済活動の自由ではなくて、身体や精神の自由なんだという解釈に変わっていきます。

 

 

権力分立制

強くなりすぎた議会

権力分立制によって、抑制されるべきは何よりもやっぱり議会の権限でした

 

連合規約時代では、州憲法の下でポピュリズム的な政治の傾向がありました。そしてその大きな原因は、議会の権力が強すぎたことでした。

 

植民地時代には、植民地政府における総督がいて、植民地議会との間の抑制を図っていました。しかし、独立後はイギリスから送られてくる総督が不在、総督の代わりに知事という地位が配置されますが、知事は議会に任命され、しかも任期はたった2年だったために地位は大幅に下がり抑制均衡が崩れてしまいました。

 

連邦政府の内部で問題が起こらないようにするためには、議会の力を抑制していく必要があったのです。

 

権力分立の肝は、大統領との間で権力を分割することと、上院と下院との間の分業でした。

 

歳入に関する法案は下院が先。下院は一般の市民を直接に代表する院だからです。

 

上院は、大統領が各国に送る外交使節の任用や連邦最高裁の判事の使命など人事案件を審査するようにしていました。大統領が指名をして上院が承認をするという仕組みにしておくっていうことによって、下院が関われないようになっています。

 

一番大事なのは、下院上院、大統領を誰が選ぶのかという問題がより大事になります。それについて憲法は大がかりな仕掛けを作っています。

 

議員、大統領、裁判官の選挙、任用の仕組み

有権者は直接下院議員を選びます。これは各州の人口に応じて決まり、人口比例で議席が配分されます。一方、上院は人口と無関係に各州二人ずつの議員です。これらは、人口の少ない州と、人口の多い州の妥協の結果です。

 

下院は人口に応じて決まり、上院は各州二人と固定にすることによって、小さな州の意向が反映されやすくなり、上院の構成においては、小さな州の発言力が下がらないようにしたわけです。

 

同時に上院議員の選任は、州議会が行うことになっています。州議会は基本的には合衆国市民が選ぶという仕組みです。ここに合衆国有権者が持っている民意が上院の構成に直接的には反映されないようにすると言うことを想定してるんですね。

 

また合衆国市民と、大統領の関係ですが、大統領の選任においても、大統領選挙人を選出し、選挙人が大統領を選ぶ仕組みです

 

大統領選挙人は有権者から直接的にこの人を選べという命令を受けるような関係ではなく、州議会が上院を選ぶときと同じように自分の判断で適切だと思う人を大統領に選びます。

 

オリジナルの合衆国憲法の規定では、大統領選挙人はまさに共和主義的な意味で市民的徳性に富んだ人達であり、その人たちの意志で、このアメリカ合衆国の社会の中で一番徳のある人は誰だろうということを考えて投票する。

 

一番望ましいと思われた人が、大統領になり、二番目に望ましいと思われた人が副大統領になる、そういう仕組みが想定されていました。

 

ちなみにこれは上手くいかなかったので、これは早々に改められました。二票を分割して一票は、大統領に、一票は副大統領に入れるっていう風に変更されました。

 

話が逸れましたが、上院議員、下院議員、大統領みんな、合衆国市民有権者の間接の委任を受けた存在になります。

 

この意味では、公職に就いている正統性の源泉は最後は有権者の方にたどり着くため、民主主義的要素っていうのを持っています。

 

しかし、同時にできるだけ民意の直接的な反映にはならないようにするという仕組みをちりばめています。上院議員の選任方法や上院議員の配分、大統領選挙人の数などですね。また、司法部門でも、連邦最高裁の判事は、大統領が指名をして上院が承認をするっていう仕組みです。

 

つまり、この憲法はいかに民意を遮断するかに意識が向いた憲法と言えます。このような仕組みの発想の大元は、民主主義的な政治制度が、それだけではうまく回らない、あるいは過度に民主主義的である政治制度は危険だという考え方です。

 

権力分立の変容

この権力分立の仕組みはだんだん変化していきます。

 

大統領選挙人が、別々に投票して選べるようになりますが、これは、同じ政党が、大統領候補、副大統領候補擁立して、それぞれ大統領選挙、副大統領選挙のそれぞれの選挙運動を認めるということ同じですね。

 

さらに1840年頃には、大統領選挙人は各州で、多くの票を集めた政党が作ったリストの人しか入らなくなります。そうすると、大統領選挙にはその州で投票の過半数を得た政党の意向にしたがった大統領への投票しかしなくなります。

 

つまり直接選んでいるのと同じような仕組みになります。これは現代でもそうですね。ただ、選挙人が州ごとに配分されていて、人口が少ない州が過大代表されているという特性は今でも残っており、人口の少ない州の方が発言力が大きくなるという構図です。

 

130年ぐらいの期間をかけて、より一般の合衆国市民の意向が、直接的に選挙結果に投影反映されるような仕組みに変わっていくわけですね。別の言い方をすれば、民主化のプロセスとも言えます。

 

アメリカの政治制度というのは、初めから民主主義として出発していません。アメリカは130年ぐらいかけて、200年近くかけて民主化した国と言えます。

 

有権者資格もこの時点では財産による制限がかかってます。財産による制限がない、いわゆる白人青年男子普通選挙というのは、19世紀の前半に実現してますが、その時点でもまだ女性が排除され、そのヨーロッパ系でない白人でない人も排除されていました。女性が完全に合衆国市民として有権者の資格を持つようになるのは、20世紀に入って、1920年の選挙からです。

 

その後、まだ残っているのが、人種の問題。人種の問題が最終的に解決されるのは、1965年の投票権法という法律の制定です。

 

 

憲法制定時点、つまり初期の時点では民主主義の政治体制でもなければ、大統領制と言うのもやや弱い、仕組みと言えるでしょう。

 

 

大統領が持つ権限は議会に対して立法勧告(教書や演説)と、議会が通過した法案を拒否する権限です。

 

大統領は自分が法案を提出したり。予算を作成したりができません。アメリカの政策過程において大統領は最初に動くっていうこと難しいんですね。

 

これは、イギリスから引き継いだ政治的伝統、つまり議会が中心になって政策をを決めていくというのを引き継いでいるためです。

 

 

連邦政府発足・ワシントン大統領

 

最初の選挙が1788年に行われ、大統領になったのは、ジョージ・ワシントンでした。党派的な対立とも無縁で超然とした存在でした。

 

副大統領にジョンアダムズ、国務長官には、独立宣言を描いた起草した人物として知られるトマスジェファソンがつきます。アレグザンダーハミルトンは財務長官。この時、ハミルトンはまだ32歳でした。

 

マディソンは下院議員になり、権利章典を書きます。ジョン・ジェイは、最高裁最高裁の首席判事になりますが、すぐにやめて外交官転じます。

 

ハミルトンが政権に入り大統領のそばにいて、議会にマディソン、ジェイが最高裁に行く。まさに新しい連邦政府の権力分立の中枢部分を、フェデラリストペーパーズのメンバーで担っていました。

 

こうして政権がスタートしていきます。

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