⑦【1789年~】アレグザンダー・ハミルトンとは一体どんな人?フェデラリストの内部対立とは?

 

ジェファソンvsハミルトン

1789年、ジョージ・ワシントン大統領に就任し、財務長官にアレグザンダー・ハミルトン、国務長官にトマス・ジェファソン、を任命しました。

 

ワシントン自身は、フェデラリスツ(連邦政府をつくるべき)、アンチ・フェデラリスツ(ステートを大切にすべき、連邦政府は強くなくて良い)の対立からは超然とした存在でしたが、彼の政権を固めていたのはフェデラリスツでした。

 

しかし、そんなフェデラリスツの中でも、アメリカの将来像を巡って、対立が表面化してしまいます。

 

それが、農業立国論と通商立国論の対立。

農業立国論

トマス・ジェファソンが唱えた農業立国論は、農業利益や独立自営農民の精神、広大なアメリカの土地に基礎をおいたアメリカの発展については、内陸に向かって将来を見ようとする考え方です。

 

ジェファソンを中心とする農業立国論者は、アメリカは新しい国であり、新世界であるということに強い確信を持っており、アメリカの存在はヨーロッパとは違うものであるという意識がありました。

 

アメリカは、旧大陸ヨーロッパとは違い、広大な土地が強みであり、その土地に根付いた農業が大きな特徴。そこで、農業利益や独立自営農民の精神がアメリカをつくっていくんだという考え方をとりました。

 

その精神が続いていくアメリカにするためには、州を支える独立自営農民達を尊重していく必要があり、またそのためには、今存続している州の自律性を尊重していく必要があるのだと。

 

このように州を尊重しようとする考え方は、州権論と言います。政治の基本的な単位が州であれという主張は、その後も続いていきます。

 

そしてこの考え方はやがてリパブリカンズ(共和派とも訳しますが、今日の共和党とは別物で、民主党のルーツになっていきます)に繋がっていきます。

 

通商立国論とアレグザンダー・ハミルトン

一方、ハミルトンが唱えた通商立国論は、ヨーロッパ列強と競争したりしながら、商工業の発展を通じて経済的に発展させていくという考え方です。

 

ハミルトンは、ヴァージニア出身の名望家が主に支配をしている中での、西インド諸島からの移民で孤児、しかしその頭の良さでのし上がってきた異色の経歴の持ち主です。ちなみに10ドル札に彼の肖像が描かれていますね。

 

戦争で敵の大砲を盗んで活躍したことで、ワシントンに気に入られ、彼の右腕となりました。

 

独立戦争後は弁護士の仕事をし、代議員に選ばれ、フェデラリストペーパーズを50篇も書き、憲法制定に貢献しました。また、ワシントンが大統領になったあとは、32歳という若さで財務長官を務めました。

 

今でこそ弁護士出身の政治家はおおいですが、当時の政治家はプランター経営者ばかりでした。広大な土地と奴隷を所有しているケースも多かったようです。トマス・ジェファソンは、奴隷の女性との間に子どもがいたそうな。

 

このような経歴を持つハミルトンには、農業を重視していくような要素がなかったため、ヨーロッパとの関係を深めることで、アメリカを発展させていくという発想に至ります。

 

そのためには、内陸ではなく、海に向かっていく、つまり通商を重視しようとしたわけですね。その時中心的な役割を果たすのが連邦政府。

 

ハミルトンはその中でも行政部門の重要性を早くから主張していました。商工業の発展を促し、ヨーロッパ列強と肩を並べられる政府像を描いていたのです。

 

ジェファソンが描いていたアメリカ像が大陸国家なのだとすれば、ハミルトンは海洋国家としてのアメリカを構想していました。

 

アメリカ政治全体を見れば、19世紀はジェファソン的なアメリカ、フロンティア消滅後、20世紀はハミルトン的なアメリカです。ハミルトンは100年早かったとも言え、先見の明があったのでしょう。

 

ただ、残念なことにワシントンが引退した後は、その出自が彼を邪魔し、政敵に潰されてしまいます。最期は、若い頃からの友人であったものの、不和も続いていたアーロン・バーという人物と決闘し、撃たれて亡くなりました。

 

その3年前に彼の息子であるフィリップ・ハミルトンも、19歳という若さで決闘で命を落としています。親子揃ってウィンホーケンという場所で決闘を行ったのは有名なお話です。

 

アーロン・バーは、ジェファソン政権の副大統領候補でしたが結局なれず、ハミルトンを殺した後は反逆罪、殺人罪に問われますが、結果として罪を逃れることになり、政治家としてその後も活躍しました。

 

ハミルトンの経済政策

 

ハミルトンは財務長官でしたので、経済政策を打っていきます。主に、公債政策、関税政策、金融政策を行いました。

公債政策

戦争では、負けた方が勝った方に賠償することで戦費をまかなうという側面がありました。しかし、ハミルトンは、国内外に抱えている戦争時の借金をすべて額面通りの条件で返そうという異例の政策を行います。

 

独立戦争後の講和では、漁業権や領土の譲渡は行われたものの、アメリカの負った負債をイギリスがチャラにするということはしなかったために、かなりの負債が残るという現状がありました。

 

フランス、スペイン、オランダなどから巨額の債務(1100万ドル程度)を抱えていたんですね。また、未払いの兵士への給与など国内債務(4200万ドル程度)も抱えていました。各ステイトも借金をしていたので、かなりの債務ですよね。

 

連邦政府はステイトの借金も肩代わりすることになったので、ちゃんと借金を返していたステートは不満たらたらでした。

 

ハミルトンの狙いは、額面通りの条件で利息をつけて償還をすることで、アメリカの信頼を確固たるものにすること。ヨーロッパ列強との関係を大切にするべきという考え方から来ていることが分かりますね。

 

関税政策

 

ハミルトンは公債償還に必要な費用を関税をかけることで調達しようとしました。有名なのがウイスキー税です。

 

しかし、開拓民にとってウイスキーは、体を温める飲み物であり、必要不可欠でした。そのため強い反発を招きました。ウイスキー反乱という反乱が起きたほどです。

 

また、アメリカが高関税をかければ、相手方も高関税をかけることになり、アメリカの国内で輸出競争力を持っているセクターは大打撃を受けます。輸出競争力を持っていたのは南部のプランター達でした。

 

プランテーションでとれるタバコや綿花はヨーロッパでも需要がありましたが、高関税をかけられると、大打撃。

 

高関税製作は、南部のプランターや独立自営農民から強い反発を受けました。

 

ただし、国内の工業セクターは、関税によって保護され、商工業は強化されたという側面もあります。

 

金融政策

 

ハミルトンは金融政策として、中央銀行としての合衆国銀行の設立し、信用秩序の確立と通貨管理を目指しました。

 

合衆国銀行をつくることで、歳入を増やすとともに、通貨の流通量をコントロールできるようにしたかったんですね。

 

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