みなさんこんにちは。ケイトです。
今回はローマ帝国混乱の原因となったゲルマン人の大移動についてお話ししていきます。
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ゲルマン人って?
ローマ帝国より北、アルプス以北のヨーロッパには、ケルトという民族が住んでおりました。
そこに、バルト海沿岸(スウェーデンとかフィンランドとかがある辺り。)を原住地としていた、ゲルマン人がケルト人を圧迫して、どんどん勢力を拡大していきます。
最終的にライン川から黒海沿岸あたりまでゲルマン人が住むようになります。(今のドイツあたりからバルカン半島くらいまで。)
ゲルマン人の社会について触れておくと、数十の部族に分かれていた彼らは、その部族ごとに王がいました。
貴族、平民、奴隷、とギリシアやローマと同じように身分があり、重要な決定は民会で決められていました。かなりギリシアやローマに似ていますね。
主な生活手段は農業です。耕地が不足すると、その部族は移動していました。
ローマ帝国の国境に近いところに住んでいた部族は、だんだんと傭兵やコロヌスや役人としてローマ帝国に移住していきます。かなり平和的に暮らしていたようです。
これと同時に、細かく分かれていた部族が強い軍事リーダーにまとめられて、大きくなっていくのです。
大移動
ゲルマン人大移動
ある日、アジア系のフン人と呼ばれる民族がヨーロッパに突然やってきます。するとゲルマン人は圧迫されたくないために部族規模で移動していくのです。
これをゲルマン人の大移動といいます。
フン人の勢いは凄まじく、ゲルマン人の部族のひとつ、東ゴート人の大半を征服、西ゴート人も圧迫していきます。西ゴート人は南下し、ローマ帝国に逃げ込みます。
すると彼らは住む場所を作るために、ローマを略奪し、イベリア半島(今のスペインがあるところ)に自分たちの国(西ゴート王国)を作ってしまうのです。そりゃローマも混乱しますよね。他の部族も同じです。逃げた先で国を作っていきます。
ヴァンダル人は北アフリカにヴァンダル王国。
フランク人は今のフランスの北のあたりにフランク王国。
ブルグンド人は今のフランスの南のあたりにブルグンド王国。
アングロサクソン人は今のイギリスのあたりに渡り、アングロサクソン七王国を建てます。
そして移動が始まって約200年後、北イタリアにランゴバルド王国が建てられて、やっと移動が終わるのです。
それからフン人は?
フン人はアッティラという優秀なリーダーに率いられ、今のハンガリーのあたりに帝国を建てます。
しかし、カタラヌムの戦いで西ローマとゲルマンの連合軍に敗れ、アッティラが亡くなると、フン人は勢いを失い、帝国も滅びてしまいます。
混乱
ついに西ローマ帝国は、ゲルマン人の傭兵隊長、オドアケルに倒されます。
オドアケルはそのまま自分の王国を建てますが、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の皇帝は怒って東ゴート人を差し向けます。
また、テオドリック大王率いる東ゴート人はオドアケルの王国を倒し、そこに東ゴート王国を建てるのです。
殴り合いの喧嘩みたいですね。東ローマ帝国が東ゴート人に要請した理由が私には分からなかったのですが、また分かったら書きます。
ちなみにケルト人はどうなったかというと、アイルランドやスコットランドのあたりに追いやられました。しかし、彼らの文化は保ち続けたみたいですよ。
ゲルマン人の大移動の歴史的意義
やはり、ヨーロッパの民族分布が大きく変わったことです。
そして、ローマ帝国の崩壊で、地中海中心だったヨーロッパ世界は、西ヨーロッパ中心になっていきますね。
キリスト教がヨーロッパ全体に広がり、キリスト教世界、ローマの文化とゲルマンの文化が融合し、中世の文化の基礎になっていきます。
まとめ
いかがでしたか?混乱している時代はわかりづらい分野なので理解に時間がかかりますが、少しずつでいいので、理解していってくださいね。
それではまた会いましょう!
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