どうも!ケイトです。
世界史勉強していると、なにがなんだか分からず、混乱する部分って少なくないですよね。今回はイタリアの教皇党、皇帝党についてと、その覚え方をご紹介していきます!
教皇党、皇帝党
教皇党・皇帝党の対立の始まりは11世紀です。12~14世紀には、争いが激しくなっていきます。
さて、この2つは、そもそもなんなのでしょう。簡単に言えば、神聖ローマ帝国派と、ローマ教皇派の対立です。
どういうこっちゃ分からんですね。詳しく行きましょう。
当時、神聖ローマ帝国は、イタリア政策に基づいて、イタリアを支配していました。神聖ローマ帝国がイタリアにこだわったのは、国の名前に「ローマ」がないのが嫌だったからという話は有名ですね。
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神聖ローマ帝国がイタリアに介入してくると、イタリア国内でのこの神聖ローマ帝国への対応の仕方で意見が割れます。
一方では、神聖ローマ帝国に味方して、支配されてでも国内の統一を望んだ皇帝党、他方では、皇帝支配に反発し、ローマ教皇に味方した教皇派です。
皇帝党には、主に、封建領主や中小都市が属しました。イタリアでは、都市ごとに規模が違い、力関係も違いました。
小さな都市にいれば、大きな都市に経済力や政治力で勝てることはないんですよね。
そこで、彼らは、大都市強力な皇帝権力に支配されていれば、都市が1つに統一され、優劣のないようにした方が、自分たちの生活が安定すると考えたのです。
他方、教皇党には、商業で栄えていた大都市の人々が支持していました。せっかくこの市場で稼げているのに、統一されてしまったら稼ぎが少なくなるじゃないか!という訳ですね。
イタリアは多くの都市に分かれるだけでなく、皇帝党、教皇党に分かれて争ったため、余計に統一が難しくなってしまいました。
覚え方
教皇党、皇帝党の違いが分かったところで、覚え方いきましょう!
教科書には、
教皇党 ゲルフ
皇帝党 ギベリン
と書いてあります。
教皇党、皇帝党の違いはさっき結構丁寧めに解説したので大丈夫かと思いますが、問題はカタカナですね。
どっちがゲルフでどっちがギベリンだっけ、と分からなくなると。
こういう時はこじつけです。こじつけは強いですよ。どんなパニックでも思い出せますからね。
きょうこう
ゲルフ
はどちらも「ウ」音で終わりますね。教皇党はゲルフ。
こうてい
ギベリン
これはどっちも4文字ですね。皇帝党はギベリンです。
強引で良いから、とりあえず覚えましょう。思い出すきっかけをいくつか作っておけば、1つ忘れても問題ないですよ!
まとめ
いかがでしたか?今回はイタリアの教皇党、皇帝党の説明でした!
試験で問われることもしばしばなので覚えておいてくださいね。
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それではまた会いましょう!
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