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【今更聞けない】ローマ帝国が分裂した2つの理由とは?

みなさんこんにちは!ケイトです。

 

前回は軍人皇帝までのお話をしましたね。今回は、ついにローマの分裂についてです。ローマ帝国の分裂の原因は、重税による反発、そして、ゲルマン人の大移動でした。

 

詳しく見ていきましょう。

 

ディオクレティアヌス帝

帝国を東西に分け、それぞれ正帝と副帝の2人が統治する、四帝分治制(テトラルキア)をしいて、ローマを再び安定させることに尽力した人物がいます。

 

それがディオクレティアヌス帝です。

 

徴税のしくみを新しくしたり、軍の兵員を増やしたりなどの改革を行いました。しかし彼の皇帝としての評判は高くありません。なぜなら、キリスト教への大迫害を行ったためです。

【世界史】ローマ帝国がキリスト教を公認したのはなぜ?!

 

彼は権力の保持やリーダーシップの発揮のために、皇帝を神として礼拝させ、専制君主としてローマを支配しました。

 

これはオリエント式の支配体制を真似たものですが、もちろん礼拝を強要すれば、反発しますよね。

 

逮捕や投獄、聖書は焼却、教会は破壊されて財産は没収。反抗が目立つ者は公開処刑でした。

 

彼の政治体制を専制君主政(ドミナトゥス)といいます。彼は病に倒れ、迫害の2年後に引退します。

 

コンスタンティヌス帝

ディオクレティアヌス帝の政策を引き継いだコンスタンティヌス帝。キリスト教は予想外に強い勢力になったため、弾圧するのではなく、逆にキリスト教を公認することで、帝国を安定させようと決心します。

 

この命令をミラノ勅令と言います。これによって彼の皇帝としての評判はとても高いです。

 

また、軍隊を増強したり、身分や職業を世襲制にしたり、コロヌスをその土地に縛り付けて税をとったりなど、帝国支配安定のための改革を多数行いました。

 

さらに、彼はビザンティウム(今のイスタンブール)を改称してコンスタンティノープルという名の首都をつくり、統治の中心を東へ移動させます。

 

理由は、ローマは帝政派ではなく、

 

共和派や異教徒の勢力が根強かったこと

 

・地中海貿易が停滞したために、東方世界の方が経済が回っていたこと

 

があげられます。

 

また、コンスタンティヌス帝は官僚体制を築き、ローマを階層社会にしました。

 

さよなら、西ローマ帝国

2人の皇帝の尽力にもかかわらず、軍隊の維持費や官僚への給料のための重税は、属州の反乱を招きます。

 

さらに、ゲルマン人の大移動によって、知らない人がどんどんローマ帝国に流入し、大混乱。

 

解決するために、テオドシウス帝は東西に分割して、自分の2人の子供に分け与えました

 

 

東側のコンスタンティノープルを首都とする東ローマ帝国は、経済が安定して回っていたため、その後1000年以上続いていきますが、西側のローマを首都とする西ローマ帝国は、混乱が収まりませんでした。

 

流入してきたゲルマン人の傭兵隊長、オドアケルによって、西ローマ皇帝は退位。西ローマ帝国は滅亡してしまいます。

 

ローマ帝国の分裂の原因は、重税による反発、そして、ゲルマン人の大移動でした。

 

まとめ

 

いかがでしたか?大帝国ローマがついに分裂してしまいましたね。しっかりその理由までおさえ、次に進みましょう。

 

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次回はキリスト教についてのお話です。それではまた会いましょう!

 

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