こんにちは!ケイトです。
古代ギリシアって得意ですか?結構好み分かれますよね。エーゲ文明とかクレタ文明とかミケーネ文明とか...
分かりにくい
ということで今回は、エーゲ文明、クレタ文明、ミケーネ文明の違いを解説していきます。丁寧にやっていきますよ。
そもそもギリシアってどこ?

ギリシア人の世界は、地中海全域と黒海沿岸です。って言われても分かりにくいですね。ヨーロッパの南側と思ってください。ナポリ、マルセイユなどと現在まで続いている都市もあるんですよ。
地中海ではまとまった文化が生まれたのですが、地中海って非常に重要な交通路だったんです。
人の行き交いが活発であると、交流が生まれ、独自の文化が形成されていくのですね。
また土壌が痩せていて、陸地は山がち、乾燥した地域ですので、ぶどうやオリーブが有名です。
なんとなくワインのイメージがあるのは、ぶどうが有名だからなんですね。あ、それと羊の牧畜にも適していますよ。
エーゲ文明、クレタ文明、ミケーネ文明の違い

ヨーロッパの文化の元となったのがギリシア文明。英語のhistoryはギリシア語(ヒストリア)からきているのは有名ですね。
そしてギリシア文明のそのまた元となったのが、エーゲ文明なんです。
ここまで大丈夫ですか?
実はこのエーゲ文明。前期、後期に分かれているんです。前期はクレタ島で栄えたクレタ文明、後期がミケーネ文明。謎が解決しましたね。
エーゲ文明というのは、古代ギリシア文明の総称で、その中身にクレタ文明とミケーネ文明があるわけです。OKですか?それでは細かく見ていきます。
クレタ文明

クレタ文明は「明るい海洋文明」と言われています。ほんわかしたあったかい柔らかいイメージは浮かぶでしょう。
宮殿には城壁がなかったそうな。(警戒心なさすぎやろ)。宮殿の壁画には人物や海の生物などがいきいきと描かれています。
中心地はクノックス。ここには大きな宮殿跡があります。クレタ文明はイギリスのエヴァンズによって発見されました。
ミケーネ文明

ミケーネ文明はギリシア本土です。彼らは戦闘的で軍事関心が高かったと言われていて、遺跡の多くには巨石を積んだ城壁が存在しています。
「トロイの木馬」のトロヤ戦争もこの時期です。
トロイの木馬というのは、トロイアとギリシアの間の戦争時にギリシアが逆転勝利したときの道具です。
ある朝、トロイア人は木馬だけ置かれ、ギリシア人は一人もいないことに気づくのです。ギリシア人は逃げていったのだ、我々は勝ったのだ!と喜びます。ところが突然、木馬からギリシアの兵士が飛び出し、トロイア人を倒していまうんですね。
劣勢だったギリシア人は、意表を突くために、真夜中に兵士が入った木馬を城に置いたのです。結果、トロヤ戦争はギリシアの勝利に終わります。
ミケーネ文明はシュリーマンによって発見されました。
また、イギリスのヴェントリスらが解読した線文字Bの文書によって、小王国で権力を持った王様が、役人に地方の農民から貢納品を取り立させ、それによって王宮で働く職人や奴隷を養っていたことがわかりました。
暗黒時代

突然ミケーネ文明が崩壊します。貢納王政の行き詰まり、気候変動、海の民の襲撃、など原因は複数だそうですが、はっきりしたことは分かっていません。
その後400年間は暗黒時代と呼ばれる時期です。その間、人口は減り、線文字Bは忘れられ、王国にいた人々は新しい定住地を求めて移動します。
移動が終わる頃、ギリシア人は方言の違いからイオニア人、アイオリス人、ドーリア人に分かれています。
前半 クレタ文明 明るい海洋文明 クノックス エヴァンズ
後半 ミケーネ文明 ギリシア本土 戦闘的 シュリーマン 線文字B ヴェントリス
ポリス
警察じゃないですよ。ポリスとは都市国家のことです。このポリスの形成者たちが、いわゆる「古代ギリシア人」。
ポリスの中心となった山をアクロポリス(城山)、そこに定住したことをシノイキスモス(集住)といいます。
有力者の指導のもと神殿や城塞が築かれ、ポリスは防衛の中心となり、人々の定住を促したため、社会は安定し始めました。暗黒に光が射し始めたわけですね。
アクロポリスのふもとにはアゴラ(広場)ができて、裁判、会議、商売などが行われるようになります。また方言の違いによって彼らはライバル意識を持っていました。罵り合っていたそうな。
しかし、あることをするときはギリシア人としての一体感を持ち合わせます。それがオリンピックの起源となった「オリンピア」。
裸で行われていたそうですね。近代オリンピックはフランスの大金持ちによって始められました。
また、彼らは共通の言語、神話、デルフォイのアポロン神の神託なども通じて、同一民族としての意識を持ち続けていました。
自分たちをヘレネス(ギリシア人)、異民族をバルバロイ(わけのわからない言葉を話すもの)と区別して呼んでいたそうです。
植民市
人口が増えて、土地が不足すると、植民市を建設します。これにより海上交易が活発化しました。
フェニキア文字を基につくられたアルファベットが使われるようになったのもこの頃です。また、ホメロスの詩などの文学も生まれてきました。
イタリアのナポリは「ネアポリス」。フランスのマルセイユは「マッサリア」という植民市を起源としていて、そのようにしてギリシア文明がイタリアやフランスに伝わっていったのですね。
まとめ
古代ギリシア文明について話してきました。
ヨーロッパのルーツを知ることで、現在のヨーロッパを見たときに面白い発見があるかもしれませんよ。
それではまた会いましょう!
コメントを残す
コメントを投稿するにはログインしてください。