【1分】オランダ独立戦争を分かりやすく!~アルマダ海戦・ネーデルランド連邦共和国~

 

どうも!ケイトです。

 

今回は、オランダ独立戦争とは?という話をしていきます。約1分で読み終わりますので、サクッとマスターしていきましょう。

 

Contents

原因:スペインとネーデルラントの宗教対立

オランダ独立戦争は16世紀~17世紀に起こった戦争です。原因からお話していきましょう。

 

商業がすごく発達していたネーデルラント(今のオランダ)では、カルヴァン派の新教徒が多かったんです。

 

しかし、当時この土地を支配していたスペイン王のフェリペ2世はカルヴァン派の人々をカトリック化させようとしていました。

 

宗教上の対立があったことがわかりますね。

 

しかし、スペインのフェリペ2世がカトリック信仰の強要がエスカレートすると、1568年から、オラニエ公ウィレムという指導者に率いられ、ネーデルランドの人々は反乱を起こします

 

ネーデルラント連邦共和国が成立

 

途中、カトリックの勢力が多く残る南部のフランドル地方の10州と、カルヴァン派の人々が多い北部の7州は途中で対立を起こします。

 

カルヴァン派の人々が多い北部の7州のみが、ユトレヒト同盟を結びスペインに抵抗を続けました。

 

そして、1581年、北部7週は「ネーデルラント連邦共和国」として独立を果たします。オラニエ公ウィレムは総督として国を率いました。

 

オランダとも呼ばれますが、この「オランダ」は「ホラント州」という地名から来ています。

 

アルマダ海戦でスペインが、、、

無事に独立したオランダでしたが、ここでオランダ独立戦争は終わりません。

 

スペインは、「ネーデルラント連邦共和国」の独立を認めずに、そのまま戦いは続きました。

 

スペインがなぜそんなにネーデルランドに固執したのかが気になるところですが、当時のオランダは経済が繁栄しまくっていました。

 

商業のうまく発展して、たくさん稼いでくれていたので、スペインは潤っていたんですね。さらに資源も豊富だったので、失うわけにはいかなかったのです。

 

しかしながら、戦いが続く中でオラニエ公ウィレムが暗殺されてしまいます。リーダーがいなくなってパニックになったオランダは、イギリスのエリザベス1世に助けを求めます。

 

 

イギリスとスペインは、宗教上や貿易でも対立していた仲だったので、「スペインと戦えるの?それならオッケー!」と快諾したわけです。

 

こうして、イギリスはオランダの独立に協力します。

 

イギリスまであいつらの独立に手を貸すとは腹立たしい!」とキレたスペインは無敵艦隊(アルマダ)という最強な軍隊を送ります。

 

文字通り、無敵で最強の艦隊でした。また、スペインは、海上に艦隊を送るだけでなく、陸軍もイギリスに兵隊を送り込もうとしました。戦争する気満々です。

 

いくらイギリスといえども、スペインは世界中に植民地を持つ、歴史ある有力国でした。

 

「まあ、スペインのアルマダが勝つんやろな」と周囲が予想する中、まさかの展開に発展します。

 

スペインの陸軍と海軍の連携がうまくいかず、また、暴風雨によってコントロールを失った艦隊が次々と座礁。

 

そして、イギリスの軍隊が隙を突いて猛攻撃。

 

こうして、周辺国の予想に反し、イギリス海軍が勝利してしまいます。

 

イギリスは同時に、海洋帝国としての覇権を手に入れます。

 

 

敗れたスペインは、制海権を失い、オランダには独立されてしまい、また戦争での大出費によって財政破綻。

 

スペインの華やかな時代も終えることになりました。

 

オランダは、中継貿易で富を蓄え、またアムステルダムという都市はアントウェルペンに代わって国際金融の中心地となりました。

 

細かいことを言えば、オランダが国際的に独立を認められたのは、1648年のウェストファリア条約です。

 

ぜひこちらも学習しておきましょう。

【永久保存版】三十年戦争を分かりやすく解説!覚え方も!

 

まとめ

 

いかがでしたか?オランダ独立戦争についての解説でした。

 

しっかり暗記して、得点につなげていって下さい。

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それでは!

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