どうも!ケイトです。
今回は、後ウマイヤ朝とはなんぞや?都は?影響や興亡は?という疑問にお答えしていきます!
イスラームまとめはこちら↓
それではいきましょう
Contents
後ウマイヤ朝とは?
ごウマイヤ朝ではなく、こうウマイヤ朝と呼びます。まあ読み方が試験で問われることはないですが。
不平等な税制が批判を浴びて、革命が起こってしまったウマイヤ朝ですが、アッバース朝の支配が嫌だった一族は、イベリア半島に逃れます。
イベリア半島は、今スペインやポルトガルがあるところですね。
なぜイベリア半島かというと、ウマイヤ朝の時代に、イベリア半島にあった西ゴート王国を滅ぼし、支配下におさめていたからです。
都は?
都はコルドバという場所です。今のスペインの県都で、イスラームの文化が色濃く残り、見事な花で有名な「花の都」として知られています。
都は、三代目のアブド=アッラフマーン3世という人物がが定めました。アルハンブラ宮殿という豪勢で今や世界遺産である、モスクが有名です。
コルドバは超都会で、文化の聖地でもありました。
金と銀の加工に優れていて、クリスタルガラスの製造法が発明されます。また、宮廷では楽器の演奏が盛んに行われて、音楽も発展します。
このようにコルドバでは、高度なイスラーム文化が生まれるのです。
アッバース朝の都であるバグダードの学問や芸術が影響しています。バグダードからコルドバに招かれた人々が伝えたのです。
加えて、トレドという都市にもお話ししておきます。昔、模試でトレドの位置を聞かれて、分からずにパニクったので(笑)
トレドもコルドバと同じように栄えた都市で、知恵の館で翻訳された文献がもたらされたりしたことで、学問が進みました。
レコンキスタによってキリスト教徒の支配下になった後でも、翻訳学校が設置され、アラビア語からラテン語に翻訳されたりします。
ギリシア語の文献は、イスラームを経由してヨーロッパに伝わっているのですね。ヨーロッパはイスラームの影響を少なからず受けているのです。
後ウマイヤ朝はヨーロッパの国と接しているイスラーム王朝で、最先端のイスラーム文化を持っていて、留学生がたくさん集まったそうです。
影響は?カリフを名乗った?
後ウマイヤ朝が成立して何が起こったか、ということについてをお話ししていきます。
コルドバが都になったころ、アブド=アッラフマーンは、「後継者」であるカリフを名乗りました。その時のライバル的存在だった、アッバース朝と、ファーティマ朝に対抗するためです。
アッバース朝のくん周がカリフを名乗り、さらにファーティマ朝の君主もカリフを名乗ったため、3人のカリフが並び立つ状態になってしまいました。
これって身内同士でいがみ合っているのに似ているので、国の存続が危うくなるんですよね。たしかに家族経営の飲食店で家族が仲悪かったら倒産します。
程なくして、後ウマイヤ朝は、分裂状態になり、レコンキスタも伴って、衰退していきました。
まとめ
いかがでしたか?
後ウマイヤ朝についての解説でした。イスラームの分野はとてま複雑なので一つずつやっていきましょうね。
ここでお知らせ!
今だけ無料で「暗記量を減らしたのに1ヶ月で偏差値66になった秘密の勉強法」を配布しています
世界史の成績に悩んでいる人はぜひゲットして、効率良く世界史の成績を上げていきましょう。
以下のボタンから、メルマガ登録して頂くと、手に入れることができます。
それでは!
コメントを残す
コメントを投稿するにはログインしてください。