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イギリスの模範議会とフランスの三部会の違いとは?

みなさんこんにちは。ケイトです。

今回はイギリスの模範議会とフランスの三部会の違いについて解説していきたいと思います!

今日のポイント

 

今日のポイント

模範議会→イギリス、マグナカルタを守らなかった王に対抗して作られた議会

三部会→フランス、聖職者、貴族、平民の代表者が出席する議会

 

 

模範議会

模範議会

ノルマン朝がウィリアム1世の征服によって建てられたことはもうご存知ですね。あやふやな人は、ぜひ復習を。

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次の王朝のプランタジネット朝の初代の王様、ヘンリ2世はフランス人の血が入っていました。彼は凄腕で、フランスの西半分を領有するほどでした。

 

ところがバットだがしかし、そんなヘンリ2世の息子ジョンはとてつもなく評判が悪い王でした。

 

ヘンリ2世の後、ジョンの兄貴、リチャード1世が跡を継ぎました。

 

彼は知っての通り、十字軍で戦いに行ったりするなど勇敢な王でした。残念ながら、彼が戦死すると弟のジョンが王位を継ぎます。

 

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ジョンは、フランスの国王、フィリップ2世と領土争いを始めますが、あっさり敗北し、フランスの領地をことごとく失っていきます。

 

また、インノケンティウス3世とも、司教の任命を巡って争い、最終的に破門されます。

 

 

しかも政治が下手くそで財政難に陥り、重税を課したために、貴族の反感を買います。

 

 

怒った貴族は力を合わせて、ジョンに立ち向かいました。「ジョンに好き勝手させないようにしよう!」と。

 

そこで彼らは「課税のためには聖職者と貴族の会議での承認が必要であること」などを書いた、マグナカルタを認めさせます。

 

このマグナカルタというのは、今で言う憲法のようなものです。

 

憲法というのは国民が公権力を抑制するため文書です。イギリスではマグナカルタで王権を抑制したわけです。

 

イギリスの立憲政治はマグナカルタが基礎になっています。ちなみにジョンという名前は、今でもイギリスで人気がありません。

 

模範議会

ジョンの次の王、ヘンリ3世はなんとマグナカルタを無視。

 

 

ここで、シモン=ド=モンフォールという貴族の1人が反乱を起こします。

 

 

そして見事に王を破ってしまいます。

 

シモンドモンフォールはその勢いで、貴族と聖職者の会議に、州と都市の代表を加えて、課税の話だけでなく、国政の話もするようになりました。

 

これがイギリス議会の始まりになっています。

 

ヘンリ3世の次の王、エドワード1世はこの会議を利用しようと、模範議会を招集しました。議会は王に対するものだったのですが、逆に王が議会を招集したのです。

 

王が主導する議会なんて、、、、と思いますが、意外にも14世紀の半ばには、もっと発展して聖職者や貴族が属す上院、州や都市の代表が属す下院にわかれ、法律の制定や課税の際には下院の承認が必要になりました。

 

また、火薬の登場で没落した騎士は、地方のジェントリ(郷紳)なり、州の代表として下院に属していました。

 

ジェントリとは、簡単に言えば地主です。

 

貴族ではないのですが、貴族で言えば男爵の下くらいの地位で、それなりに金持ちでエリートでした。

 

慈善活動をしたり、無給で仕事を引き受けたりなど、高潔な人々で、ジェントルマンという一種のエリート層を形成しました。

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三部会

フィリップ4世って誰や

 

三部会を始めて開いたのは、フィリップ4世でした。フィリップ4世って誰やと思った人は、復習しておきましょう。

 

彼は、教皇ボニファティウス8世を拉致監禁しその後憤死させた王様です。(アナーニ事件)

 

アナーニ事件と教皇のバビロン捕囚の違いって?

 

アナーニ事件のあと、フィリップ4世は教皇庁を南フランスのアヴィニョンに移し、その後70年間フランス王の支配下におきました。この出来事を「教皇のバビロン捕囚」といわれます。

 

このような教皇との世紀の戦いを見せたフィリップ4世は、フランスで議会も開いちゃう訳です。

 

その経緯を説明していきましょう。

三部会「うざいじじいをやっつけていい?」

十字軍の失敗のあと、教皇の権威はどんどん落ちていきました。その代わりに王権が強くなり、国がまとまっていきました。

 

国がまとまると、権力者は税金をかけたりなど、国民に何かを強いることができるようになっていきます。

 

聖職者も例外ではありません。その国にいる限り国民ですから、課税も免れません。しかし、聖職者への課税に我慢ならず、教皇の絶対性を凝りもせず主張した人物がいました。

 

それが、教皇のボニファティウス8世です。

 

彼は、イギリスでもフランスでも同じように主張し、聖職者への課税に反対し、教皇の絶対性を訴えました。

 

フランスのフィリップ4世はこう思うわけです。

 

「あのじじい、クソうぜえ!」

 

どうにかして黙らせたい、やっつけたい、と思ったフィリップは、何か行動を起こすことについて、国民の意見を聞いてみようと思い立ちます。

 

そこで彼は、聖職者、貴族、平民の3つの身分の人々からそれぞれ代表者を選び、彼らを集めて集会を開きました。

 

これが、三部会の始まりです。うざい教皇をやっつけていいか聞くための会議だったわけです。

 

フィリップ4世はこの三部会で賛同を受け、アナーニ事件へ駒を進めていくことになります。三部会は、フランス革命初期頃まで続きました。

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今日のポイント

 

今日のポイント

模範議会→イギリス、マグナカルタを守らなかった王に対抗して作られた議会

三部会→フランス、聖職者、貴族、平民の代表者が出席する議会

 

 

まとめ

いかがでしたか?イギリスの議会について解説しました。今後の理解にも大切なので、しっかり頭に入れておいて下さいね。

また、今だけ無料の暗記ノウハウもぜひゲットして、今学んだ知識を脳に突き刺しましょう!

 

それではまた会いましょう!

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