みなさんこんにちは。ケイトです。
メソポタミア文明の歴史を説明するのって難しいですよね。色々な民族が出てきてごっちゃになって来ます。
今回は、メソポタミア文明の解説と出てくる民族、国の覚え方を紹介していきます!
Contents
オリエント
オリエントは、今のイラクのあたりです。中東と呼ばれる地域ですね。オリエント世界には、二つの重要な文明が起こります。
それは、メソポタミア文明とエジプト文明
今回はメソポタミア文明を解説します。
メソポタミア文明
メソポタミア文明はティグリス川とユーフラテス川の流域で栄えます。なぜ川の側かというと、農業をするためです。
農業にはお水がたくさん必要ですので、必然的に川の近くに文明ができるのです。
農業ができれば食事ができ、生活ができます。生活ができれば、定住が始まりますよね。
他の文明も川のそばに文明ができるので、チェックしてみて下さいね。さらに、シリア、パレスチナ地方は肥沃な三日月地帯と呼ばれるほど、肥えた土地だったため、なおさら定住が進みました。
また、オリエント世界で特徴的なのは、神権政治です。
川の水の管理やそれを利用した農業をするためには、強力なリーダーが必要になってきます。そこで彼らのリーダーになったのが神様です。この文明では、宗教の力を借りた統治によって、独自の文化が生み出されていきます。
それでは、メソポタミア文明の誕生から見ていきます。
シュメール人
メソポタミアの南部にて、灌漑農業の発展に伴い、人口が増え、村落が成立します。やがて楔形文字が発明され、銅器と青銅器などの金属器が使われ始めます。
金属器は、土器に比べて耐久性が良く、しかもリサイクルできたという超画期的な道具なんです。
これ紀元前3500年に存在したって凄くないですか?武器や祭具、身を守るための道具としても使われたんです。(めっちゃ便利)
話を戻します。
村落はどんどん大きくなり、都市になります。そして都市は独立して国家のようになります。これを都市国家と呼びますよ。
そんな都市国家を作ったのはどんな民族だったかというと、シュメールという民族です。
ちなみに民族系統は不明で、これはたまに試験に出ます。川の上流辺にあるウル・ウルクなどの場所で、シュメールの都市国家が多数形成されます。
都市国家の内容は、というと王を中心に、神官、役人、戦士がいて、みんなで神を祀る、という神権政治の形でした。
また、ジッグラトってご存知ですか?レンガで作られた塔で、神になるべく近くなるように、天高く作られたものです。
コミュニュケーションが取りづらくなった原因としてよく語られます。
神を祀るために作ったのに、神の怒りを買うなんてなんだか皮肉ですね。
まあでもしかし、神を祀ったりできる人は、祀る時間があるくらいの、まあまあなお金持ちで、政治権力も握ったりしちゃいました。はい、というわけで、富めるものはどんどん富み、
じゃんじゃんお金を使って、神殿や宮殿が多く作ったため、シュメール人文化は栄えていきます。
アッカド人
シュメール人の都市国家のあった北側にはセム語系のアッカドという民族がいました。
メソポタミアの特徴として、人の移動が盛んに行われるために、支配する民族がどんどん変わっていくという点です。
国境とか結構曖昧だからです。それが如実に表れているのが、アッカド人とシュメール人で、こんな感じ。
アッカド人とシュメール人の領域が合体し、誰が権力を握るかを争っているうちに、アッカド人が優勢になり、その結果アッカド人が支配。
主導権を握ったアッカド人はメソポタミア、シリアの都市国家を統一し、広い国家をつくることになりました。
アムル人
アッカド人の国家が崩壊すると、セム語系のアムルが登場します。セム語系というのは、言語グループの一つで、アラビア語やヘブライ語が属しています。
アムル人はバビロン第一王朝を起こします。結構栄えた王朝です。有名な王が、ハンムラビ王。
彼の治世時は、メソポタミアを制覇し、川とその周り全部を支配します。ハンムラビ王といえば、ハンムラビ法典ですよね。
「目には目を、歯には歯を」で有名です。
これは復讐法と呼ばれ、殺人を犯せば死刑、父親を殴れば腕を切られ、目をつぶせば、目を潰されました。身分によって程度は違ったようですが。
ハンムラビ法典がなかなか残虐なので、ハンムラビ王に良いイメージがないかもしれませんが、彼は安定した王朝運営をしました。
王は運河の管理を徹底したため、氾濫があっても大丈夫でしたし、農業もしっかりできたので、国民のお腹も満たされたわけですね。
繁栄してて、安定してる王朝があるらしいという噂が他の民族に伝わると、多民族の侵入や移住が始まります。
ヒッタイト人
バビロン第一王朝の北西あたりに鉄で出来た武器を使うインド=ヨーロッパ語系の民族がいました。それがヒッタイト人です。
このあたりは小アジアと呼ばれる地域で、強力な国を作っていました。この時期鉄の武器は珍しく、それもうまく使いこなしたために強かったわけです。
次から次へと、強いのが出てきますね。漫画みたい。
やがて、メソポタミアにも遠征してくるようにもなり、ついにはバビロン第一王朝を滅ぼしてしまいます。また、次回お話しするエジプトにも攻め込みました。
カッシート人
ヒッタイト人はバビロン第一王朝を滅ぼしたものの、メソポタミアを支配するまではいきませんでした。
その代わりに、民族系統不明なカッシートという民族がティグリス川の東にあるザクロス山脈から侵入し、南メソポタミアを支配しました。
ミタンニ王国
バビロン第一王朝滅亡後、メソポタミアの北あたりにできた王国が、ミタンニ王国です。
西の方にも領土を広げ、ヒッタイトに服属します。
覚え方
次々民族やら国が出てきて、大変だったと思いますが、
ここまで読んでくれているならばもうあとは覚えるだけです!
語呂合わせいきましょう!
アッカド(赤ド)
アムル(ア)
ヒッタイト(額)
ミタンニ王国(見た)
カッシート(か)
トイレのドアを勢い良くしめたら、額から血が流れてしまったという語呂合わせです。
ちなみに続きがありますので、今後紹介していきますね。
順番通り覚えられますので、ぜひこの語呂合わせを10回唱えてからスマホを閉じて下さい!
メソポタミア文明の特徴
見ての通り、侵入が容易な地形のため、民族の入れ替わりが激しいです。また、多神教で、信仰する神は民族ごとに変わりました。
文字は楔形文字を使い、それを粘土板に刻みました。そのおかげで現代にも残り、それを解読することで、メソポタミアの文化が分かったんですね。
例えば、ハンムラビ法典も粘土板に彫られてていて、それがスサ(イラン)で発見されたんです。イギリスのローリソンらが19世紀に解読し、法典の内容が明らかになったのです。
また、六十進法を使用しました。六十進法とは、1から60までそれぞれ別の記号を用い、60になったら桁を繰り上げる方法です。
私たちが馴染み深いのは十進法で、01から数えて、10になったら繰り上げて、11から数えますね。
六十進法と関連して、彼らは太陰暦を使用しました。月の、新月から次の新月になるまでという運行を見て、暦を作ったんです。
しかし、太陰暦では1年は354日になってしまうので、閏月を作って、調節しました。調節した方の暦を太陰太陽暦と言います。
ちなみに1日が24時間というのも、この時代からあります。(すげえ)
というわけで、
楔形文字
粘土版
六十進法
太陰暦
メソポタミア文明の特徴として、最低限覚えておいてください。
まとめ
いかがでしたか?ややこしくて覚えづらい部分ですが、教科書の一番最初に出てくる部分なんですよね。
語呂合わせを駆使して、繰り返し問題を解いて少しずつでいいので覚えていってください!
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