【3分】イタリア統一までの流れを分かりやすく!覚え方も!

 

どうも!ケイトです。

 

この記事では、「イタリア統一までの歴史がよく分からない...」というお悩みを解決していきます!

 

Contents

イタリアの統一

イタリアはずっと統一されずに分裂していた国でした。イタリアの中にある都市国家がそれぞれ運営していたんですね。

 

周りの国からは、いつも介入があり、イタリアの取り合い戦争であるイタリア戦争が起きたりもしました。

 

[高校世界史]イタリア戦争って結局なに?分かりやすく解説!!

 

ちなみにイタリアの状態はこんな感じ。

 

https://yamatake19.exblog.jp/17301446/

 

↑イタリアに変化が起こる前の図ですね。イタリアは、大きく分けて北部、教皇領、南部に分かれていました。

 

これが今後起こる出来事によって、1870年までに統一されていくわけです。

 

 

青年イタリア

 

イタリアの統一と共和政を目指す「青年イタリア」という団体がいました。リーダーだったのはマッツィーニという人物です。

 

ウイーン体制真っ只中、彼らの運動はやがて激しくなりました。1848年の二月革命後、民衆蜂起も盛んになり、ローマ共和国が建設されました。

 

しかし、ルイナポレオン率いるフランス軍に介入を受け、ローマ共和国はやむなく倒されてしまいます。

 

サルデーニャ王国というイタリア北部の王国も、介入してこようとするオーストリアと戦いますが、敗北してしまいました。

 

イタリア統一戦争

しかし、サルデーニャ王国は、憲法や議会をオーストリアに負けても維持しました。王であるヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のもと、自由主義者のカヴールという人物が首相になりました。彼は、インフラの整備を推進しました。

 

そんなサルデーニャのもとに、フランスが歩み寄ります。「あなたもオーストリア嫌いでしょ?一緒に倒さないか?」と。フランスのリーダーはナポレオン3世です。

 

 

「確かにイタリアを統一したいのに邪魔ばっかりしてくるので、倒せたらいいな」とカヴールは思いました。フランスもオーストリアはライバルだったので、サルデーニャ王国に協力を求めたのでした。

 

二人は密約を交わし、サルデーニャ王国はオーストリアと開戦しました。これがイタリア統一戦争です。ちなみに1859年。

 

 

しかし、ナポレオン3世は途中で気が変わり、オーストリア側につきました。

 

戦争の長期化を恐れたのと、やっぱりイタリア統一して欲しくないな」と思ったからでした。

 

友達にやられたら腹立ちますね(笑)

 

ナポレオン3世は勝手にオーストリアと講和し、イタリアのサヴォイアとニースをフランスにゆずることになりました。カヴールはぶち切れて首相を辞めたそうです。

 

 

しかし、中部イタリアをサルデーニャ王国に併合し、戦争でロンバルディアを得て、統一までもう少しというところまで来ることができました。

 

 

イタリア王国

「青年イタリア」出身のガリバルディという人物が、イタリア統一に一役買いました。

 

両シチリア王国を占領し、それをサルデーニャ王国に譲ったのです。一歩間違えれば戦争になったところを、身を引いて譲ったことが賞賛されていますね。

 

この結果、イタリアは統一され、イタリア王国が成立しました。

 

ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世が王となり、その後はヴェネツィア、ローマ教皇領も併合して、国家統一を果たしたのです。

 

ただ、トリエステ・南チロルなどは、オーストリア領のままだったため、「未回収のイタリア」と呼ばれる問題になっていきます。

 

覚え方

 

ここではイタリア統一戦争の年号を覚えていきましょう。オーストリアと戦い、最終的にロンバルディアを手に入れられた戦争ですね。1859年です。

嫌ゴックン、イタリア料理にロバはオェ!

 

1859(嫌ゴックン)

イタリ統一戦争(イタリア料理)

ロンバルディア(ロバ)

オーストリア(オェ)

 

 

まとめ

 

いかがでしたか?イタリア統一までのお話でした。少し複雑ですが、地図を見ながら理解していきましょう!

 

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それでは!

 

 

 

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