どうも!ケイトです。
世界史の教科書に出てくるけど、結局詳しい意味がつかめない事ってありますよね。
今回は、その一つである「タタールのくびき」について解説していこうと思います!
Contents
「タタールのくびき」
「タタール」というのは、そもそもロシア語でモンゴル人を指します。また、「くびき」とは、馬や牛と、犂や馬車、牛車、かじ棒をつなぐ時にに用いる木製の棒状器具ですね。
この「タタールのくびき」というのは、13世紀にモンゴルのキプチャクハン国がキエフ公国等ロシアを支配した際に用いられた表現です。
キプチャクハン国が支配した期間はなんと240年!ロシアは独立が許されず、苦しんだ期間でした。では、ロシアサイド、モンゴルサイドからこの時期の歴史を見ていきましょう。
ロシアサイド
では、ロシアがモンゴルに支配されるまでの歴史を確認していきましょう。
まず、ロシアにあった、国である、キエフ公国は、ウラディミル1世という、優秀な皇帝の力もあって、10世紀頃から、地位を確立していきます。
しかし、13世紀からトルコ系民族の侵入をうけるようになり、しだいに分裂していきます。そして追い打ちを掛けるように、モンゴル帝国のチンギス=ハンが攻めてくるのです。
懸命に戦いましたが、敗北。さらに、バトゥが攻めてきて、分裂していたキエフ公国の1つである、ウラディミル大公国が攻撃されてしまいます。
ウラディミル大公国は有力国の1つでしたが、占領されて、火の海に。そうして、キエフ公国は敗北してしまいます。
その後、キプチャクハン国による支配を受けるわけです。それが、「タタールのくびき」と呼ばれる状態です。
ロシア帝国の独立が認められず、嘆いた時代とされています。
ちなみに、1480年、ようやく、イヴァン3世がモスクワ大公国の独立宣言し、ロシアへとつながっていきます。
ロシアの起源やノルマン人についてはこちらから
モンゴルサイド
ロシアを支配したのは、キプチャクハン国です。
キプチャクハン国が分からないという方は、モンゴルの歴史を再確認しておきましょう。
キプチャクハン国は、モンゴル帝国の世界征服の途中で、チンギスハン達の子孫が各地で地方分権的に治めた国の一つです。
他には、イルハン国、チャガタイハン国がありましたよね。また、キプチャクハン国は南ロシアで勢力を拡大し、バトゥがその一役を担ったとされます。
キプチャクハン国は勢力拡大のその過程でキエフ公国に攻め込み、大勝ちして、その土地を支配していきます。
「タタールのくびき」
まとめておきましょう。
「タタール」というのは、そもそもロシア語でモンゴル人で
この「タタールのくびき」というのは、13世紀にモンゴルのキプチャクハン国がキエフ公国等ロシアを支配した際に用いられた表現でした。
キプチャクハン国が支配した期間は240年で、ロシアは独立が許されず、苦しんだ期間でした。
もう大丈夫ですね。
まとめ
いかがでしたか?
タタールのくびき」の解説でした。ロシアサイド、モンゴルサイドの歴史も学べましたね!ぜひ、世界史の勉強に役立てて下さい。
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それではまた。
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