アッシリアとアケメネス朝の統治の違いと共通点とは?

どうも!ケイトです!

 

論述問題でよく、○○と○○の違いを説明しなさい的なやつがでますよね。その時に、内容がうろ覚えだとヒヤッとしませんか?

 

ということで今回はアッシリアとアケメネスの統治の違いを解説していこうと思います!

 

Contents

アッシリアとアケメネスの統治の違い

 

アッシリア→圧政(強制移住、重税)

 

 

アケメネス→多文化を尊重した政治(宗教の自由、各民族の風習、制度の尊重、アラム人、フェニキア人の商業を保護)

 

共通→領土をいくつかの州に分け、リーダー(サトラップ)に統治させる(中央集権体制)、駅伝制(王の目、王の耳、王の道)

 

それでは細かく見ていきます。

 

アッシリア王国のオリエント統一

北メソポタミアに起こったこの国は、アジア方面との中継貿易で栄えていました。ヒッタイトに服属したミタンニ王国に服属したりしていました。

初めは多数ある王国の一つだったわけですね。

 

ヒッタイトの持つ鉄器の製造技術を学び、それを使って、鉄製の武器、戦車を作り、だんだんと強くなっていきます。

 

しばらくして独立すると、戦車や騎兵隊を駆使した軍事力で、周りの国を圧倒し始めるのです。

アラム人、バビロンなどと次々と征服していき、そしてついにオリエントを統一するのです。

アッシリア王国の特徴

アッシリア王国の特徴として覚えていて欲しいのは、圧政です。アッシリア王は専制君主で、政治、軍事、宗教を全て管理し、逆らうものは王国の軍事力で押さえつけられました。

 

アッシリアの勢力はどんどん拡大し、エジプトを征服したり、前回お話ししたイスラエル王国を征服したりします。

【今更聞けない!】バビロン捕囚って何ですか?分かりやすく解説!

 

領土が広くなってくると統治しきれないため、いくつかの州に分け、道路を整備して、各地にリーダーを配置しました。

 

リーダーを総督といい、このように統治しやすくした制度を駅伝制と呼びます。

 

最盛期は、ニネヴェに都が置かれ、そこにはアッシュルバニパル王の豪勢な王宮があったりしました。各地の州の情報が集まる、世界最初の図書館もできます。

 

しかし、民族を抑えつけるための軍事力の維持などで、費用がかさみ、国民は重税を課されます。

 

アッシリア王国崩壊

反抗する人々はますます多くなり、それを抑えるための軍事費がどんどんかさんだために、国力を消耗していきます。

 

最後はアッシュルバニパル王の死後、イラン高原ではメディアエジプトはエジプト王朝が復活し、メディアとエジプトの連合軍にニネヴェを占領され、その結果アッシリア王国は滅びてしまうのです。

 

その後、エジプトとメディアの間に新バビロニア、小アジアにリディアができ、四王国分立時代が始まりました。

 

四王国

メディア

新バビロニア

エジプト

リディア

語呂合わせ

アラム人からリディアまでの覚え方

あーら不人気ヘボ足しばり

アラム人 (あーら)

フェニキア人 (不人気)

ヘブライ人 (ヘボ)

アッシリア (足)

新バビロニア (しば)

リディア    (り)

以前紹介した語呂合わせの続きです。アラム人からリディアまで覚えられますよ。エジプトはこの続きの語呂合わせに入っているので次回紹介しますね!

閉める赤ドア額を見たか、あーら不人気ヘボ足しばり

十回唱えてから、スマホを閉じて下さい!

 

アケメネス朝

 

四王国時代に突入したあと、イラン人(ペルシア人)であるキュロス2世という人物が、メディアが支配していた地域に、アケメネス朝を起こします。

 

キュロス2世はメディアを倒して、アケメネス朝を独立させます。

 

アケメネス朝の勢いは凄まじく、小アジアのリディアを倒し、新バビロニアを滅ぼして、ユダヤ人を解放し、カンビュセス2世の時には、エジプトをも滅ぼします。

 

三代目のダレイオス1世の時には、エーゲ海からインダス川までを支配していました。オリエント世界をアッシリア王国に代わって支配できたわけです。

 

特徴

アケメネス朝の特徴としては、アッシリアよりも寛容で、他民族の文化や伝統を尊重し、上手いこと政治を行ったことです。

 

アッシリアを見習った所も多くあり、いくつかの州に分け、各州にサトラップと呼ばれる知事を配置しました。

 

また、その知事を監視する監察官を巡回させ、管理を徹底しました。

 

この監察官は「王の目」「王の耳」と呼ばれています。王の住居はペルセポリス、都はスサという場所で、帝国を隅々まで管理できるように、「王の道」と呼ばれる道路を作り、駅伝制を導入しました。

 

さらに、重税によって国が壊れたアッシリアを反面教師に、金貨、銀貨を発行して税制を整えました。貿易上手なフェニキア人を仲間にして、財政の基礎を固めたのです。

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滅亡

ダレイオス3世の時代、もっと領土を広げようと、ギリシアに目を向けたアケメネス朝は、ギリシアに遠征。ペルシア戦争をしますが、撃退され、支配に失敗します。

 

ギリシアが滅びるように介入を続けましたが、アレクサンドロス大王の東方遠征が始まると、イッソスの戦い、アルベラの戦いいずれも敗北。

 

最後には、ダレイオス3世が捕らえられ、殺害されて、大国、アケメネス朝は滅亡してしまいました。

 

文化

アケメネス朝は様々な民族を統合したため、豊かな文化を築きます。建築や芸術で成果をあげ、楔形文字を音にしたペルシア文字を作ったりします。

 

また、キリスト教、ユダヤ教にも影響を与えたとされる、ゾロアスター教を信仰したことでも有名です。

 

ゾロアスター教はこの世は善の神アフラマズダと悪の神アーリマンの闘争であり、善の神の恩恵で楽園に行けるのだ、と説いたものです。

 

拝火教と呼ばれ、中国にも伝わって、中国では、祆教と呼ばれています。

アッシリアとアケメネスの統治の違い

 

アッシリア→圧政(強制移住、重税)

 

 

アケメネス→多文化を尊重した政治(宗教の自由、各民族の風習、制度の尊重、アラム人、フェニキア人の商業を保護)

 

共通→領土をいくつかの州に分け、リーダー(サトラップ)に統治させる(中央集権体制)、駅伝制(王の目、王の耳、王の道)

 

まとめ

 

いかがでしたか?アッシリアとアケメネスの統治の違いを解説しました!

 

問題を解いて、しっかり定着させてくださいね!

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それでは!

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