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【3分】ベルリン封鎖って何?世界一分かりやすく解説!

 

どうも!ケイトです。

 

この世界史解説シリーズも戦後まで来ましたが、戦後の世界は本当にカオスで勉強しにくいですね。教科書も1ページ1ページ違う国に関して書いてありますから。

 

さて、今回はベルリン封鎖とはなんぞやというのを簡単に分かりやすく解説していきます!それではいきましょう!

今日のポイントまとめ

 

ポイント
ベルリンの中で二つに分裂 冷戦 ベルリン封鎖

 

 

冷戦が原因

 

ドイツは4カ国に支配されていた

第二次世界大戦後、ドイツは4つの国に分割されて支配を受けていました。アメリカ、イギリス、フランス、そしてソ連です。

 

これから説明する冷戦とベルリン封鎖が分かりやすくなるように、英米仏とソ連の陣営の2つに分けて図を書きました。

 

ここでのポイントは、ベルリンの中でも、ドイツを分割しているのと同じように分割していたという点です。

 

図を見れば一目瞭然ですね。

 

ソ連側にあるベルリンに、英米仏の離れ小島がある感覚です。まずはこれを頭の片隅に入れておいて下さい。

 

 

アメリカとソ連がにらみ合う 冷戦

 

フランスやイタリアでは、大戦中に独裁政権への抵抗で大活躍した共産党に人気がでます。また、東欧諸国も共産主義でソ連の味方をする政権が増えてきました。

 

ここで危機感を覚えたのがアメリカです。

 

共産主義が増えたら、ソ連が牛耳る世界になってしまう。この素晴らしい資本主義も全否定。この世界を引っ張るのはこのアメリカ様や!」と思ったアメリカさんは行動にでます。

 

当時の大統領、トルーマンはソ連と敵対していたトルコを手助けし、ソ連の拡大を食い止めるための政策、トルーマン・ドクトリンを発動しました。

 

また、戦後ヨーロッパは景気が激悪なのは、共産党のせいだとみて、マーシャル=プランを召喚し、ヨーロッパに金銭的な援助もします。

 

しかしソ連も負けてられません。ソ連のターンです。西ヨーロッパの人達は元々アメリカよりなので、マーシャル=プランなどのアメリカの援助を受け入れました。

 

しかし、東ヨーロッパ、つまり東欧諸国はソ連の味方ですので、アメリカのプランを無視し、代わりにコミンフォルムという共産党の情報機関を作ります。

(高校生の時使ってた教科書を見ていたら、「コミンフォルム」の横に「CIAとかMI6的な?」って落書きしてありました。情報機関なので多分そんな感じです。)

 

次に、西欧サイド。東欧諸国に対してのソ連の影響力が強まっていくのをみて、イギリス、フランス、ベネルクス3国(オランダ、ベルギー、ルクセンブルク)は西ヨーロッパ連合条約ですね。

 

細かく言えば、イギリス、ヨーロッパがベネルクス3国を使って、ソ連に対して壁作ってます。利用してますねえ。

 

その翌年には、アメリカ合衆国含めた12カ国が北大西洋条約機構(NATO)を結成し、ソ連の武力戦略に対して、協力して対抗することにしました。

 

一方ソ連も、東欧6カ国とともに経済相互援助会議(コメコン)、ワルシャワ条約機構という軍事機構を結成します。

 

このにらみ合いっこ、血が流れない静かな戦争を「冷戦」と呼んでいます。

 

 

冷戦
アメリカ                   ソ連 トルーマン・ドクトリン         コミンフォルム マーシャルプラン            コメコン NATO                  ワルシャワ条約機構

 

 

ベルリン封鎖

 

 

さて、ドイツの占領と冷戦を学んだので、ベルリン封鎖の基礎ができあがりました。ここからは、ベルリン封鎖についてお話します。

 

東西の対立が厳しくなると、ドイツでは、英米仏とソ連の分断が進みます。英米仏が西側で通貨改革をすると、

 

ソ連は「あいつら西側だけで独立するつもりでいやがる!」と思い込み、西ベルリンに東側の人間が逃げていかないように交通を遮断してしまったのです。

 

これがベルリン封鎖です。

 

英米仏が占領する西側地区とベルリンの西側は結構国民への待遇が良かったんです。なので、ソ連は東側の人間が逃げていくことを恐れました。

 

さて、封鎖されてしまったベルリンですが、西ベルリンはソ連陣営にある離れ小島です。西ベルリンの外に出られず、生活物資も段々なくなっていきます。

 

そこで英米仏は対策を講じます。なんと、生活必需品を空輸することで対抗したのです。

 

封鎖から一年して、封鎖は解除されましたが、西ドイツはドイツ連邦共和国として、東ドイツはドイツ民主共和国として独立してしまいます。

 

社会主義の国々はだいたい「民主」や「人民」が国名についています。東ドイツはソ連陣営なので、「民主」がついてますね。

 

ドイツ連邦共和国はアデナウアー首相のもとで経済復興に成功し、パリ協定で主権を回復します。

 

ベルリンの壁との違いは?

 

ベルリン封鎖とベルリンの壁がごっちゃになる人がいるので、ついでに違いを解説していきましょう。

 

西ドイツは、経済成長も社会政策も大成功で国民は結構良い生活を送っていました。

 

しかし、一方の東ドイツは農業の集団化など社会主義的な政策を行っていたため、国民の不満は募るばかりでした。

 

そこで東ドイツの人々は「西に逃げてえ」と思うようになるわけです。

 

そして一番逃亡の成功率が高いのが、東ベルリンから西ベルリンに逃れることです。ということで、東ベルリンから西ベルリンに逃げる人が急増していくわけですね。

 

「これは食い止めねば」とソ連は、東西ベルリンの境界に壁を築きます。

 

これがベルリンの壁ですね。ベルリン封鎖の時と根本的な動機は同じです。「東側の人間を逃がしたくない」んです。

 

ただ、ベルリン封鎖とベルリンの壁は同時に起こったわけではないので、しっかり区別しておいて下さい。

 

 

 

今日のポイントまとめ

 

ポイント
ベルリンの中で二つに分裂 冷戦 ベルリン封鎖

 

まとめ

 

いかがでしたか?戦後の構造が見えましたね。

 

頑張って今後の歴史も学んでいきましょう!それでは!

 

 

 

 

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