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【完全攻略】神聖ローマ帝国を成立から滅亡まで丁寧に簡単に分かりやすく

  どうも!ケイトです。

 

  神聖ローマ帝国を全部説明して下さい。はいどうぞ!

と聞かれたら答えられますか?  

 

えっと、、、、、、

 

大半の人はなる思います。

 

と・い・う・こ・と・で、、

 

今回は、ちょっと知識があやふやなあなたでも、完全攻略できるような解説をしていきます!それではいきましょう。

 

そもそも神聖ローマ帝国とは?

 

  そもそも神聖ローマ帝国とは、962~1806年まで統治していた国家で、ドイツの前身です。  

 

成立

 

神聖ローマ帝国のその前の姿は、東フランク王国という王国でした。そのまた前身は、広大なフランク王国です。

 

フランク王国は、ヴェルダン条約とメルセン条約を経て、東フランク、西フランク、イタリアの3つに分裂します。  

 

東フランクは今のドイツ、西フランクは今のフランスに発展していきます。

【フランク王国攻略】メロヴィング朝とカロリング朝の違いを解説!

東フランク

 

東フランクとして分裂したものの、早々とカロリング家の跡継ぎがいなくなります。(フランク王国を統治していた王家がカロリング家でした。)

 

 

直系の王様がいなくなってしまったので、諸侯の選挙で王が選ばれるようになります。諸侯というのは一定の土地を持っている貴族のことです。

 

  ザクセン家のオットー1世が王になると、彼はマジャール人やスラヴ人を撃退したり、北イタリアを制圧したりと、快進撃を見せます。

 

教会のスポンサーを探していた、ローマ教会は「こいつはすげえ。」と感動します。

 

(教会は国がバックについていないと、お金がなくて活動できないんでしたよね。西ローマ帝国がなくなったあと、教会はバックアップ探しに苦労していたわけです。

 

カールを見込んでフランク王国を第二のローマ帝国にしたものの、分裂してしまったので、次はどうしよう、、、よし!東フランク、というわけですね。)

 

そして、カールに戴冠したときと同じようにオットー1世に「おまえが次のローマ皇帝の継承者だ!」とローマ帝国の帝冠を授けるのです。 

 

のちに東フランク王国は神聖ローマ帝国と呼ばれます。

 

 しかし、神聖ローマ皇帝はローマ帝国の後継者であることや、キリスト教世界の保護者だということを口実に、イタリアを支配しようとします。

 

そのため国内の統一をおろそかになり、国内は不安定でした。

 

「神聖ローマ」と厳かな名前がついているわりには、実力不足な皇帝が続いていきます。   

 

大空位時代

 

神聖ローマ帝国は大混乱の時代に突入していきます。そんな大混乱時代を「大空位時代」と呼んでいきます。

 

不安定な神聖ローマ帝国

 

神聖ローマ帝国は、貴族や自由都市のそれぞれの力が強く、まとまりにくい国でした。

 

 自由都市とは、皇帝から特許状を得て、自治権を持ち、貴族と同じ地位にあった都市のことです。

 

簡単に言えば、独立している都市です。

 

  特にドイツでは、「農奴が荘園から自由都市に逃げ込み、1年と1日追い出されずに住め」ばどれだけ前のボスが農場に帰ってこいと要求しても、自由になれたそうです。  

 

この制度から「都市の空気は人を自由にする」と言われていました。 

 

話を戻しますね。

 

  しかし、もともとまとまりにくい国であったのに、神聖ローマ皇帝はイタリアを支配しようと出かけてばかりいました。しかも上手くいきません。

 

  なぜイタリアに対してそんなに執念深いのか、というと神聖ローマ帝国であるのに、国内にローマが無いのが嫌だったからです。  

 

  このイタリア遠征のせいで帝国の不安定な状態はずっと続きました。  

大空位時代

そうこうしているうちに不安定な状態がピークに達する時期が来ます。 皇帝を担ってきたシュタウフェン朝の王家が断絶してしまうのです。

 

 しかも跡継ぎが決まっていないため、皇帝は不在になってしまいました。

 

 

 新しい皇帝を決めれば良いんじゃないの?と思うのですが、今みたいに選挙で選ばれた議員が集まる議会があるわけでも、リーダーシップのかたまりみたいなカリスマ的存在がいたわけでもありませんでした。  

 

 

しかも、混乱している状態ではそうもいきません。 この皇帝不在の大混乱の時期を大空位時代といいます。  

 

大空位時代はしばらく続き、その後ようやく皇帝が決まります。でも国を治めようとしてもどうも上手くいきません。  

 

ここで「また混乱期に入ったらマズい!」と思い、行動した皇帝がいます。  

 

それがカール4世という人物です。  

 

彼は、「皇帝がいなくなっても、すぐにリーダー決めをできるようにしよう」と、「金印勅書」という、皇帝選挙の手引きのようなものを発布しました。  

 

具体的にいえば、七選帝侯という3人の聖職者と4人の諸侯から構成された人々が皇帝選挙権を持ち、彼らが皇帝を決めますよ、というものです。  

 

これによって皇帝くらいはすぐに決められるようになりました。  

バラバラな神聖ローマ帝国

しかし、その後もまとまらない時代は続きます。  

 

領邦それぞれにリーダーが現れ、力を持ち始めるのです。領邦というのは大諸侯の領地のことです。   

 

彼ら自身の身分制の議会を開いたり、絶対王政みたいな社会構造になっていく領邦も現れ、国はバラバラになっていきました。    

 

領邦は全部で何個ぐらいあったかというと、なんと300!  

 

これではどんな優れたリーダーでも、まとめられません。

 

一方で皇帝はハプスブルク家という有力貴族から出るようになり、統一に努めましたが、うまくはいきませんでした。  

 

東方植民

 

神聖ローマ帝国の東の方にエルベ川という川が流れており、それより東にかつてはスラヴ人やマジャール人がいました。

 

スラヴ人の解説はこちらから↓分かりやすく図解しています。

 

【説明できる?】ノルマン人、スラヴ人の違い!

しかし彼らは移動したり、打倒されたりなどして、いなくなってしまったので、神聖ローマ帝国の国民(ドイツ人)はそこに移住し始めました。  

 

この移住を東方植民と言います。

 

  移住した地域はブランデンブルク辺境伯領、ドイツ騎士団領などそれぞれ力を持って独立し始めます。プロイセンの元になるのもこの地域ですね。

今後のドイツについてはこちらから!

プロイセンとドイツ帝国とドイツ連邦の違いって?

滅亡

 

神聖ローマ帝国は、地図から一旦姿を消し、フランス革命後完全に姿を消します。神聖ローマ帝国の末路を見ていきましょう。

 

三十年戦争

三十年戦争とは、1618年に起こった宗教戦争です。  

 

宗教対立が多くの国を巻き込み、大規模な国際戦争になったため、17世紀の危機ともいわれます。戦争の原因から見ていきます。  

 

当時神聖ローマ帝国では、プロテスタントとの対立がありました。ただ、原因はそれだけではありません。

 

 神聖ローマ帝国がオーストリアからベーメン(今でいうチェコ)を譲られると、教皇はカトリック信仰を強制するのです。  

 

割と自由な学校だったのに、学校の校長が変わって、めっちゃ校則厳しくなったらムカつくでしょ?  

 

うん、そんな感じ。

 

そうしてプロテスタントであるベーメンの人々は、カトリック強制にブチ切れて、ベーメンの反乱を起こします。  

 

これだけなら国内戦争ですが、ここから事が大きくなっていきます。  

プロテスタント側に、オランダ、デンマーク、スウェーデン、フランス

  カトリック側(神聖ローマ帝国)には、スペイン、オーストリアがつくのです。

 

ウェストファリア条約でバラバラに

一進一退の攻防が続きましたが、実質的に勝利したのは、プロテスタント側でした。もめにもめたあとで国際会議が開かれ、結ばれた講和条約がウェストファリア条約です。

 

この条約の内容を簡単に説明すると、  

1、カトリックもプロテスタントも信仰してオッケー

 

2、ドイツ内で分裂した領邦はそれぞれ自治権をもつ (これによってドイツという国が消滅したため、この条約は「神聖ローマ帝国の死亡証明書」とも呼ばれます。)

3、ドイツのアルザス地方をフランスへ

 

4、北ドイツのポンメルンをスウェーデンへ

 

5、オランダとスイスの独立  

 

簡単に言えば、神聖ローマ帝国を領邦単位で細切れにし、独立したり、外国に支配されることが決定したのです。

 

この講和条約によって、神聖ローマ帝国という国は実質地図から姿を消します。  

 

日本という国がなくなり、京都府、愛知県、東京都などとそれぞれが国として独立していくみたいな感じです。中には中国や韓国に併合される地域もあったとうイメージですね。  

 

プロイセンとオーストリア

 

地域ごとに独立してしまった神聖ローマ帝国ですが、有力な領邦もいくつかありました。それが、プロイセンとオーストリアです。

 

プロイセンは大阪、オーストリアは東京くらい有力な領邦でした。2つの国は主導権争いに全神経を注ぎます。

 

シュレジエンがとられたとかで、なんやかんや戦争をずっとします。オーストリア継承戦争、七年戦争が有名です。

オーストリア継承戦争を分かりやすく!覚え方も!

 

【1分で理解!】七年戦争をわかりやすく!覚え方も!

 

フランス革命で

 

プロイセンとオーストリアが台頭し、「神聖ローマ帝国は一応存在するよ」状態でしたが、ついに滅亡の時が来ます。

 

詳しくはフランス革命を復習してもらいのですが、フランスが革命によって民主化していく様子が気に入らないプロイセンは、フランスに攻め込みますよね。

 

それを、ヴァルミーの戦いといいます。しかし、プロイセンは団結しまくったフランスの庶民軍に負けてしまうのです。

 

それからというもの、プロイセン、オーストリアとフランスの形勢は逆転し、フランスでジャコバンが独裁をして国民軍が形勢されるにつれて、どんどんフランスにおされていきます。

 

そして伝説のリーダー、ナポレオンとオーストリアが戦った際は、ボロ負けします。

 

神聖ローマ帝国の消滅

国民投票で皇帝になりあがったナポレオンに、オーストリアはアウステルリッツの戦いに挑みますが、これも見事にボロ負けします。

 

そしてナポレオンは、ライン同盟という新しい国をつくり、神聖ローマ帝国に一応入っていた領邦をライン同盟のメンバーにしてしまいます。

 

これを受けて当時の形だけの神聖ローマ皇帝、フランツ2世は退位したため、神聖ローマ帝国は名前さえも消滅してしまいました。

 

(神聖ローマ帝国はウェストファリア条約で実質姿を消し、名前だけになっていましたが、皇帝だけは一応存在していたんですね。)

 

フランス革命については、こちらの記事で復習していきましょう!

フランス革命に出てくる議会の順番覚え方!

 

まとめ

 

いかがでしたか?神聖ローマ帝国を解説しました。

 

教科書でまとめて解説されているわけではないので、混乱しやすい部分ではありますが、丁寧に学習して得点できるようにしていきましょう。

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それでは!

 

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