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【世界史】大航海時代まとめ!

どうも!ケイトです!

 

大航海時代って人物名と場所が出てきすぎて分かりにくいですよね!

 

でもしっかりポイントを押さえて整理していけば、だれでも得意になれるんですよ!

 

ということで今回は大航海時代を総ざらいしていきます!

 

大航海時代の始まり!

 

大航海時代は、その名の通り「航海」が主役となった時代です。

 

陸よりずっと広い海へと航海をするなかで、ヨーロッパ人はそれまで知らなかった「新大陸」を発見することになります。

 

 

では、この時代の主役「航海」が始まったのはなぜなのでしょうか。

 

 

大航海時代が始まる少し前、13世紀にモンゴルが侵入してきたり、マルコ=ポーロなどが登場したりと、ヨーロッパにおいて、アジアに対する知識が広がりを見せていきました。

 

 

またヨーロッパで肉食が普及し、それに伴って香辛料の需要が増大していき、香辛料が豊富にあったアジアへの関心が高まっていきました。

 

 

そこにさらに羅針盤・快速帆船・緯度航法など、遠洋航海術の発達や、レコンキスタの進行によりキリスト教布教熱が高まっていたことなども加わり、ヨーロッパからアジアへの視線が高まっていきました。

 

アジアが熱い!というヨーロッパのアジアブームから、船に乗って冒険に出る人が増え、大航海時代になっていったわけです。

レコンキスタを分かりやすく解説する!大航海時代に繋がっていく?!

 

なかでもポルトガルや後のスペインでは、レコンキスタの当事者性が強く、キリスト教布教熱が強く、大航海時代においては一つ飛び出たかたちになっていきます。

 

航海法や地図はイスラーム直伝に近いので、「うちらが行かないでだれが行くんだ!」くらいの意気込みでした。

 

イスラームがイベリア半島に来なかったら、新大陸を発見したのは別の国だったかも知れないですね。

 

話を戻します。

 

ヨーロッパからアジアに行くルートを開拓していかなければなりません。いち早く動いたのはポルトガル。さすが。

 

15世紀の前半、ポルトガルの王子エンリケは盛んにアフリカ西岸への進出を図り、大航海時代の先がけとなりました。

 

イベリア半島にはまだイスラーム教徒が残っていたので、攻撃されない進路を消去したときに、まずは南へ行くしかありませんでした。

 

南へ船を出した結果、

バルトロメウ=ディアスはアフリカ大陸末端の喜望峰に到達、

 

南から回って東へ向かった結果、

 

ヴァスコ=ダ=ガマはインドのカリカットへ到達するなど、航路の開拓が進んでいきました。この航路を「東廻り航路」と呼んでいます。

 

 

マゼランはポルトガル人ですが、スペインのカルロス1世(神聖ローマ帝国皇帝カール5世)の命によって、

 

 

1519年に西回りでモルッカ諸島に到達するルートの開拓に向かい、1520年に南米大陸南端のマゼラン海峡を発見しました。

 

 

さらにヨーロッパ人で初めて太平洋を横断し、1521年にフィリピンに到達しました。

 

マゼランは島民に洗礼を受けさせ、従わせようとしましたがセブ島の首長ラプラプの反撃を受け、殺害されてしまいました。返り討ち、、、

 

 

その船団は航行を続け、1522年にスペインに帰り、人類で最初に世界周航に成功しました。マゼラン本人は世界一周を達成していないことは覚えておきましょう。

 

 

アメリカ発見と征服

対して西廻りではどのようなことがあったのでしょうか。1492年、スペイン女王イサベルがジェノヴァ生まれのコロンブスを「インド」に派遣しました。

 

コロンブスは、大地は球形で、大西洋を西に向かって進む方が「インド」への近道であるとする、フィレンツェの天文学者トスカネリの説を信じ、大西洋を横断してバハマ諸島のサンサルバドル島に到達しました。

 

実はこの「インド」は、いわゆるインドではなく、今でいうアメリカ大陸であったのです。

 

2ヶ月くらい何も見えない大西洋を船で横断したため、引き返したい船員が反乱を起こしかけたそうですね。

 

コロンブスの信じる力と、行動力には感服です。

 

その後ポルトガルのカブラルがブラジルに漂着し、

 

またアメリゴ=ヴェスプッチの新大陸探検はアメリカ大陸の存在を明らかにしました。だから「アメリカ」なんですね。

 

アメリカ大陸には先住民の国家が形成されていましたが、スペインは「征服者」(コンキスタドール)の率いる軍隊をアメリカ大陸におくりこみました。

 

1521年、コルテスアステカ帝国を破ってメキシコを征服しました。

 

次に1533年、ピサロはインカ帝国を滅ぼし、首都クスコを破壊し、新首都リマを建てました。

 

このようにして征服された土地の先住民たちは労働力として過酷な生活を強いられ、またヨーロッパからの伝染病の影響もあり、先住民の人口は激減する結果となっていきました。ひどいっすね、、、

 

商業革命とは?

商業革命とは、16世紀、大航海時代の開始の結果起こったヨーロッパの商業の変動のことを言います。経済の中心が地中海岸から大西洋岸に移るとともに、銀の大量流通による価格の変動が起こっていきました。

 

具体的には、ヴァスコ=ダ=ガマのカリカット到達、カブラルによる香辛料貿易の開始によって、インドからの香辛料が直接リスボンに運ばれ、

 

そこからアントウェルペンを経てヨーロッパで商品化されるようになったことによって、従来の東方貿易の利益を独占していた北イタリアのヴェネツィアなどの商業都市国家の繁栄は終わっていきました。

 

 

同時に北イタリアと結びついていた、内陸の南ドイツやシャンパーニュ大市などの地位も低下し、かわってヨーロッパ経済の新たな中心地はリスボンとアントウェルペンなどの大西洋岸に面した港市に移動しました。

 

 

また、中世以来のフッガー家やメディチ家など旧来型の金融財閥は没落しました。このような変化は政治的には、ハプスブルク家の神聖ローマ帝国の支配のもとで展開されました。

 

しかし、ポルトガルとスペインは、この段階では経済の発展に対して国家機構が十分に対応することができず、資本を蓄積することはなかったため、

 

17世紀にはいると両国は没落し、かわって主権国家としての体制をつくりあげたオランダとイギリスが台頭し、世界経済の中心もアムステルダムとロンドンに移り、リスボン、アントウェルペンは衰退しました。あららららら

 

商業革命の要点をまとめておきましょう。

 

①商業圏の世界的規模で拡大し、アジア・新大陸におよんだこと。

②世界経済の中心地域が、従来の地中海周辺から、大西洋沿岸に移ったこと。

③従来の高利貸し的な金融業者が没落し、都市での金融システムが形成されたこと。

④銀の大量流通によって物価が上昇し、地代に依存する領主階級の没落を決定的にしたこと(価格革命)。

④のことを価格革命と言います。次で詳しく見ていきます。

 

価格革命とは?

スペインが新大陸を征服し、ポトシ銀山などを支配することによって、16世紀の中ごろから、大量の銀がスペインを経由してヨーロッパにもたらされました。

 

 

その結果、物価が急上昇し、およそ2~3倍に高騰しました。

 

 

このように急速に価格が上昇した(いわゆるインフレーション)ため、地代収入に依存している領主階級の没落を決定的にし、封建社会の崩壊を早めました。

 

今まで1枚の銀貨で買えたパンが、物価が2倍になることで、半分のパンしか買えなくなるので、当然没落しますよね。

 

 

特に西ヨーロッパでの穀物が不足し価格が上昇したことはドイツ東部やポーランドやハンガリーなど東ヨーロッパの穀物需要を増大させ、領主による再版農奴制を成立させる背景ともなっていきました。

 

 

ただし、現在では16世紀の物価上昇の原因は、銀の流入ではなかったという説もあります。

 

では、インフレの原因は何だったのでしょうか。

 

 

近年の人口史の研究によれば、16世紀のヨーロッパは急激な人口増加の時代で、ロシアを除くヨーロッパでほぼ2倍の8500万になったと推定されています。

 

 

増加する人口に、食糧供給が追いつかない。

 

労働力が過剰になったから、賃金は物価に比べて半分程度しか上昇しなかった。長期的なインフレの原因は、ヨーロッパの生産力を上回る過剰人口にあったらしい、とされています。

 

まあ私的には、銀の流入も、人口増加もどっちも原因だと思っていますが、過去のことなのでどの時代に生きた人しか分かりませんね。

 

まとめ

 

いかがでしたか?大航海時代を総ざらいしました!しっかり頭の中を整理することで、世界史が面白くなってきますよ!復習頑張りましょうね!

 

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今回も読んでくださりありがとうございました!それでは!

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