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【1分】カノッサの屈辱を分かりやすく!歴史的意義とは?

みなさんこんにちは。ケイトです。

 

叙任権闘争、カノッサの屈辱はしっかり説明できますか?

今回は、その2つの重要な事件について、そしてその後ヨーロッパでの力関係がどのように変化していったかを詳しく解説していきます!

 

金と権力で腐っていく教会

当時の教会は国の王様に権威を与えることで、その国にスポンサーになってもらい、聖なる存在として活動していました。

 

しかし、フランク王国をスポンサーにつけても、フランク王国は分裂してしまい、神聖ローマ帝国や他の国にスポンサーになってもらっても、どこの国も力不足でした。

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力強いバックがおらず、安定しませんでした。

 

それはなぜかというと、当時の社会は、王様よりも諸侯、つまり貴族が力も握っていましたのです。つまり王様の力は貧弱でした。

 

クラスに担任の先生がいないみたいなもので、ガキ大将がそれぞれ領土を牛耳っていたんです。権力が分散しすぎると、まとまらなくなるわけですね。

 

 

しかも、土地は喧嘩で取り合ったりしていました。しかもそれは合法でしたから驚きですね。

 

教会はそれを見かねて、裁判制度を作ったり、カノン法という法律を作ったりするようになります。

 

 

やがてそんな裁判サービスも好評になり、教会は教会の運営費のために、農民から十分の一税と呼ばれる税金を取り立てるのです。

 

経済力がついた高位の聖職者のだんだん、諸侯と並ぶほどの力を持つようになります。

 

リッチで権力があるって最高の状態ですよね。みんなそんな生活したいですよね。

 

そんなわけで調子にのった聖職者はお金で地位を買うようになっていきます。つまり、賄賂が横行するようになってしまうんです。

 

さらに、皇帝や国王は、「教会の大司教、司教などの高位聖職者の任免権は俺にある!」と主張し、聖職者でない人を教会の高位の聖職者の地位につかせるようになりました。

 

賄賂に権力欲、教会はこのように落ちぶれていったのです。

 

叙任権闘争

お金と権力で腐っていく教会を見て、「このままではダメだ!」と改革を推し進めた教皇がいます。

 

フランスの中等部、クリュニー修道院を中心に運動を起こした、グレゴリウス7世という人物です。

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改革に伴って、聖職者らしい厳しいルールを決めます。

 

聖職者が妻をもつことを禁止したり聖職者は教皇のみが任命するということを宣言したのです。

 

崇高な精神世界のリーダーが世俗世界の手に落ちてはいけない、教皇権を強くしよう、という意気が感じられますね。

 

しかし神聖ローマ帝国皇帝、ハインリヒ4世はこれに対して反対します。聖職者を任命する立場でしたので、それを奪われるのが気に入らなかったのです。

 

 

ただ、理由はもう一つあるんです。

 

 

神聖ローマ帝国の皇帝はハッキリ言って力不足でした。まったく国がまとまらなかったのです。

 

しかし一般人を聖職者の地位に任命することで貸しを作り、そのおかげで国内を安定させていました。

 

ところが、せっかく国を安定させるための手段である聖職者に任命する権利、つまり聖職叙任権がなくなると、国が崩壊しかねませんよね。

 

というわけで、ハインリヒ4世は反対します。

 

教科書に出てくる「叙任権闘争」というのは、国の安定や教会のプライドがかかったこの聖職者の任免権の取り合いのことをいうのです。

 

カノッサの屈辱

どうしても納得できないハインリヒ4世は、グレゴリウス7世の改革を無視します。グレゴリウス7世は正論を言ってるとは思いますが、国の安定がかかってますからね。

 

どんなに説得してもグレゴリウス7世の改革をハインリヒ4世は無視し続けるのです。

 

そして、ついにキレたグレゴリウス7世は、ハインリヒ4世を破門してしまいます。

 

破門というのは、「お前をキリスト教徒として認めない、という意味です。

 

勘当とか、そんなものよりももっと重たいです。政教が分離していない時代ですから、国民である条件が「キリスト教徒であること」くらいに捉えなければならないのです。

 

国から追い出されるレベルの命令を言い渡されたと言えます。

 

ましてや王様ですから、キリスト教徒として認められないとなったら信用の失い方が半端ないんです。

 

力不足とか統制力とかそういう問題でなく、国民としていられなくなります。

 

また、力を持つ諸侯達は、「皇帝がキリスト教徒でないのなら、王座から降りてもらおう」ということを決議しました。

 

 

ようやく俺がトップに立つ時が来たとどの諸侯も思ったわけです。

 

国外に逃げるか、死ぬか、プライドを捨てるか、、、、追い詰められた皇帝は決断をしなければなりませんでした。

 

ハインリヒ4世の決断はこうでした。

 

破門を解いてもらうために、グレゴリウス7世に謝ることにしたのです。

 

布切れのようなボロボロな囚人服に身を包み、裸足で雪の中、教皇のいるカノッサ城の前で、立ち尽くしました。3日間もです。グレゴリウスってドSですね。

 

そしてグレゴリウス7世はやっと破門を解き、ハインリヒ4世を許しました。

 

この出来事をカノッサの屈辱といいます。

 

さて、これって重大な事件ですね。

 

皇帝が教皇にひれ伏したのです。破門作戦でこれから教会はやりたい放題です。その後、教皇権はどんどん強くなり、インノケンティウス3世の時代に絶頂に達しました。

 

 

なお、この叙任権闘争は、教皇と皇帝で小競り合いがしばらく続きますが、十字軍の遠征の時に終わりを迎えます。

 

グレゴリウス7世の後継者である、ウルバヌス2世が十字軍を主導し、それをきっかけに教皇側への支持が増え、神聖ローマ帝国の皇帝が叙任権を譲りました。

 

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まとめ

いかがでしたか?

歴史的意義としては、叙任権闘争を通して、

教皇権>皇帝権

という力関係になったんだよということです。有名な事件ですのでしっかり覚えておいて下さいね。

 

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それではまた会いましょう!
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