どうも!ケイトです。
今回は、第一次世界大戦の原因になっていく3B政策、3C政策について解説していきます。
3B政策

3B政策は、ドイツ帝国が行ったアジア支配計画です。
ヴィルヘルム二世
前回にヴィルヘルム二世のパンゲルマン主義のお話をしましたね。
彼は、ドイツ人国家づくりだけでなく、世界帝国をもくろんでいたのでした。
まず、イスラームの聖地、パレスチナを訪れ、途中のオスマン帝国の首都インスタンブールで皇帝と会い、「バグダード鉄道をとおしたいんだ。敷設権をくれ!」と要求します。
オスマン皇帝はそれを認め、ドイツはイスタンブール、(当時はビザンティウム)からバグダードの敷設権をゲットします。
この2つのドイツのベルリンをつないだのが、3Bです。
ベルリンービザンティウムーバグダードですね。このように西アジアの進出をしていったわけですが、イギリスの3C政策とひどくぶつかり、戦争に繋がっていってしまいます
覚え方
ベル、ピザをパクッ
ベルリン(ベル)
ビザンティウム(ピザ)
バグダード(パクッ)
3C政策

3C政策は、イギリスが行ったアフリカとインド支配計画のひとつです。
3C
エジプトのカイロ、インドのカルカッタ、南アフリカのケープタウンの3つを結んで3Cといいます。
まずエジプト。エジプトはオスマン帝国から事実上独立して、勢力を増していましたが、徐々に財政が悪化していきました。
そこで、イギリスとフランスが財政援助の名目でお金を貸します。
エジプトの借金はどんどん増え、イギリスにスエズ運河の経営権をとられてしまい、エジプトはイギリスのほぼ支配下みたいな状態になってしまいます。
ウラービーとう人物がその状態に耐えられず、革命(ウラービー運動)を起こしますが、あえなく鎮圧されてしまいました。
エジプトはイギリスの保護国となります。
次にケープタウン。アフリカ南部の地域ですね。ブール戦争で、トランスヴァール、オレンジ自由国もゲットし、支配領域を広げました。
エジプトのカイロとケープタウンを結ぶと、アフリカ縦断することになりますが、似たようなことをやっていた国とぶつかります。それがフランスです。フランスは、チュニジア、ジブチ、マダガスカルをつないで、アフリカ横断を政策をしていました。
衝突のせいで、ファショダ事件が起こりますが、フランスが譲歩したおかげで大事件にならずに、おまけに英仏協商を結びました。
また、イギリスのインド支配はもう既に知っているかと思いますが、インドのカルカッタも3Cに入っています。
イギリスの3Cは、ロシアやドイツとも衝突します。衝突しまくりですね。
カイロとカルカッタの線は、南下したいロシアと、3B政策のドイツとぶつかるんです。
覚え方
ケープタウンのカイロは軽かった
ケープタウン(ケープタウン)
カイロ(カイロ)
カルカッタ(軽かった)
まとめ
いかがでしたか?3B政策、3C政策のお話でした。しっかり覚えて得点につなげて下さいね。
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それではまた。
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