どうも!ケイトです。
騎馬遊牧民って頭に入ってきづらいですよね。今回は、スキタイからウイグルまでの騎馬遊牧民を徹底解説していきます!
Contents
騎馬遊牧民
そもそも遊牧民とは、牧畜を生業として生きている人々のことです。さらに馬に乗って戦ったりできる人達を騎馬遊牧民といいます。
馬に乗ること自体、結構難しいことなのですが、前6世紀頃からイラン系のスキタイ人はその技術を身につけていました。
スキタイ
まずは、南ロシアで活動したスキタイ。前6世紀~前3世紀まで活動しました。ギリシア植民地と貿易したり、貴金属を使った美術品を残したりしました。
私はよくキルギスやウイグルとごっちゃになるので、「最初に透きたい」という謎の覚え方で覚えていました。覚えたもん勝ちです笑
匈奴
このあたりから中国との絡みが出てきます。匈奴はもっとも長く中国を悩ませました。(前3世紀~1世紀)
彼らはモンゴル山脈を拠点に活動し、しっかりした社会、政治組織、バカ強い軍隊を持っていました。
さすがの秦の始皇帝も匈奴を警戒して、万里の長城で牽制しました。
匈奴の全盛期は冒頓単于がリーダーだった時です。中国はこの時、「前漢」。建国した劉邦は匈奴と戦いますが、ボロ負けしました。
相当強かったんですね。
その後、中国は匈奴に対して、絹やら食べ物やら送って、攻撃されないようにする懐柔策をとっていましたが、7代目の武帝の時代になって強硬策をとるようになり、そこでようやく匈奴を討ちます。
その後匈奴は分裂し、一部が西に向かいました。その西に向かった彼らがゲルマン人の大移動の原因であるフン人ではないかという説があります。
世界は繋がってますね。こういうヨコのつながりを知ると結構わくわくします。こういうささやかなワクワク感を勉強の時に大切にすると、勉強を好きになれますよ。
鮮卑
匈奴が分裂し、南匈奴が中国に服属したり、西匈奴が西へ走っていく中で勢力を伸ばしたのが、鮮卑です。(2世紀)信じられないくらいに勢力を伸ばし、モンゴル全体を支配するようになりました。
やがて、中国が混乱に陥ると、ちゃっかり侵入し、拓跋氏(たくばつし)という人物が北魏を建国します。
やっぱり騎馬遊牧民は中国と絡めて勉強するのが一番ですね。これを機に中国の復習もしっかりやってみて下さい。
柔然
次にモンゴルを支配したのが柔然です。(5~6世紀)タリム盆地という場所を支配し、北魏に対抗しますが、敗れてしまいます。
リーダーの称号として初めて「可汗」というのを使いました。この時中国は、北に北魏、南に宋がある状態です。
突厥
柔然から独立して、台頭してきたのが突厥です。(6世紀~8世紀)中国では隋や唐の時代です。
突厥がやったこととして、一番覚えておいてほしいのが、ササン朝ペルシアのホスロー1世と組んで、エフタルを倒したことです。
この出来事を覚えておくと、6世紀にササン朝と突厥が同時に存在したことがおさえられるので、ヨコのつながり、6世紀に起こったことを聞かれたときに即答できます。
他にも、ビザンツ帝国にも使節を送ったり、文字を開発したり(突厥文字)など、幅広く活動した民族として覚えておきましょう。
しかし、583年に東西に分裂し、840年には滅亡してしまいました。
ウイグル
最後にウイグルです。(8世紀~9世紀)中国では唐ですね。
突厥に代わってモンゴル高原に王国を建てたウイグルは、唐との関わりが濃いですね。
安史の乱が起こったときは唐政府を応援し、唐と盛んに通商しました。
他には、ウイグル文字を考案したり、ゾロアスター、キリスト、仏教を混ぜたマニ教を国教としたりしました。
しかし、9世紀半ばにキルギスという民族に滅ぼされ、滅亡してしまいました。
覚え方
語呂合わせいきましょう!
「好き?」「全然。」と言いくるめる
スキタイ(す)
匈奴(き)
鮮卑(ぜん)
柔然(ぜん)
突厥(と)
ウイグル(言いくるめる)
まとめ
いかがでしたか?
騎馬遊牧民についての解説でした。しっかり中国史も確認して、点数をとっていきましょう!
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それでは!
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