どうもケイトです!
17〜18世紀のヨーロッパ史って佳境に入ってて面白いですよね。しかしその分内容が詰め込まれすぎてて、よく分からん部分も出てきますよね。
Contents
ナントの王令とは?
ということで今回は、ナントの王令はなぜ廃止されたの?っというお話をしていきます!ナントの王令というのは、アンリ4世の宗教に関する法令のことですね。
遡ること1562年。この頃出てきた新しい勢力がカルヴァン派であるユグノーですね。勢いをつける彼らが気に入らなかったのがカトリックの人々。
バチバチに睨み合っていたのですが、1562年ついに戦いが勃発してしまいます。それがユグノー戦争ですね。
貴族間の戦いも絡んできてしまい、30年続きました。サンバルテルミでは、ユグノーの人々が虐殺されました。
しかしこんな風に国内が荒れてると外国に侵されそうで怖いですよね。なので、国家を統一した方がいいんじゃないかという声も、時が経つにつれて増えていきます。
そこで解決策を見出したのが、アンリ4世という人物。
彼自身はカルヴァン派でしたが、怒り狂うカトリックを治めるために、自らカトリックに改宗しました。
それに加えて、信教の自由をみんなに与えました。これがナントの王令ですね。
その結果ユグノー戦争が収束し、フランスはまとまりを取り戻していきました。
ナントの王令廃止
ナントの王令はなんと廃止されてしまいます。廃止されるのは1685年のこと。太陽王と呼ばれたルイ14世が行いました。
王令が廃止される、ということは、ユグノーの存在を否定する、カルヴァン派を信じることを認めないということなんですが、
なんで?って話ですよね。
教科書には
「しかし、一般の国民は多額の戦費と宮廷費を賄う税金あの負担に苦しみ、またナントの王令の廃止によって、ユグノーの商工業者が大量に亡命したことで国内産業の発展も阻害された。」
引用:詳説世界史B
とあります。
これを読んで思ったのは、
理由書いてねえ!
です。
まあ、よく分かっていないので当たり前なんですが、理由知りたいですよね。
そういうわけで調べて見たので、王令の廃止の理由を見ていきましょう。
理由
理由としてはユグノー達は国(ルイ14世)にとってへぼい勢力になっていたからです
ナントの王令が出されたあと、ルイ13世やその宰相がユグノーを徹底的に弾圧しました。この結果、ユグノーの人口が減って、人口のたった5%程度になったようです
だから、「ユグノーは怖い奴らだ!排除すべき!」と思って、王令を排除したわけではなかったわけです。
一説によると、ルイ14世は、カトリックの敬虔な信者でした。彼は、一国にはひとつの宗教、ひとつの宗派のみが認められるんだ!と思っていました。
国教定めたいみたいな感じですかね。今の私達にも、その感覚に近いものがあると思います。
また、国教的なものを定めて、みんながひとつの宗教、宗派を信じることで、国がまとまり、統一性によって国が強くなって、戦争に強くなるかもしれません。
ルイ14世は、戦争大好き(南ネーデルランド戦争、オランダ侵略戦争、ファルツ戦争、スペイン継承戦争など)人間だったので、そういった狙いもあったのでしょう。
ナントの王令の廃止には諸説ありますが、このような理由があったのかな、ということは頭に入れておくといいかもしれませんね。
その後、こうして、完全なるカトリック国になったフランスですが、先ほどもチラッと言ったようにユグノー商人が亡命したため、経済が低迷していきます。
ユグノーいじめは加速し、続いていきました。
まとめ
ナントの王令、廃止の理由をお話ししました!
教科書ってざっくりしすぎて分かりづらいので、しっかり理由まで結びつけて理解して下さいね!
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今回も最後まで読んでくれてありがとうございました!それでは!
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