どうもケイトです!
世界史ってイギリスとかフランスとか強い国ばっかりにフォーカスされていて、小さな国にはあまり目を向けてくれませんよね。
ヨーロッパでも東の方はあまり解説されていません。
中でも激分かりにくいのが、ポーランド!ですね。
そこで今回はポーランド分割について分かりやすく解説していきます!
Contents
ポーランド分割とはそもそも?
ポーランド分割というのは、ポーランドに隣接している、ロシア、オーストリア、プロイセンが、ポーランドの領土を勝手に山分けして奪って行った出来事です。
全部で3回起こりました。年号としては、1772年、1793年、1795年です。
この頃のヨーロッパは勢力均衡の原則が働いていて、「軍事力が一緒だから戦争が起こらない」という状況でした。
しかし、強国にかなわない小国は強国に食い物にされていました。
ポーランドは、ゆーて小国ではありません。ただ、ポーランド分割が行われた時期は分裂状態だったのです。
プロイセン、オーストリア、ロシアはそれを狙ったんですね。
第一回ポーランド分割
ポーランド分割はなんと3回行われます。
貴族同士で対立してカオスな状態のポーランドを見たプロイセンは、オーストリアを誘って、ロシアにこう提案します。
「ポーランド山分けしませんか!」
列強各国は領土を増やしたい、でも勢力均衡の原則があるので、領土を増やすと他を刺激して戦争が起きるというジレンマを抱えていました。
だから、もう滅びそうな国をみんなで山分けしようぜ!という思考なんですね。ポーランド側からしたら何言ってんだって話でしょうが。
これが1772年に起きた第一回のポーランド分割です。
第二回ポーランド分割
二回目は1793年です。前回から20年ですね。もうお気づきですかね?
フランス革命の時期ですね。
第二回ポーランド分割はどのようにして起こったか、ですがプロイセンがフランス革命軍に敗れたことから始まります。
フランス革命に出てくる議会の順番覚え方!
負けたプロイセンは、革命反対派の国々にこう言います。
「ポーランドくれたら戦い続けたるわ!」
なんとも上から目線ですね。
ロシアは受けいれ、二回目のポーランド分割を実行しました。オーストリアはこの時、ちょっと忙しくて興味なかったのでパスしました。
ポーランドは、ほぼほぼ奪われ統治能力もなくしました。
第三回ポーランド分割
第三回は1795年のことです。スパンがめちゃ短いですね。
ちなみに、ポーランドって無抵抗だったの?っていうと、そんなわけは無いんですね。
抵抗はしっかりしています。1人覚えておいて欲しいのは、コシューシコという人物です。
彼はアメリカの独立革命に参加した経験があり、独立の大切さというかそういうものの大切さを知っている人でした。
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コシューシコは、奪われていくポーランドに我慢できず蜂起を起こします。
しかし、オーストリア、プロイセン、ロシアの三国は反乱を鎮めるだけでなく、二度と起こらないように全て山分けすることを決めるのです。
強国の三国には到底かなわず、ポーランドという国家は完全に山分けされ、地図上から姿を消してしまうんですね。
ポーランドが復活するのは第一次世界大戦後です。
語呂合わせ
では、3回分の年号を覚えていきましょう。
ポー、いーな、何組のかっこう?
ポーランド(ポー)
1772年(いーな、何)
1793年(組)
1795年(かっこう)
「ポーというかっこうを飼っている組、いーなー」という語呂合わせでした。
まとめ
いかがでしたか?ポーランド分割について解説しました。
今ある国が未来にあるかどうかは分かりませんね。
今回も最後まで読んでくれてありがとうございました!それでは!
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