諸子百家とは?!分かりやすく解説!

みなさんこんにちは。ケイトです。

 

諸子百家ってごちゃごちゃになりやすくないですか?

 

そんなことないわ!と思った方!

 

誰がどんな思想だったか完璧に説明できますか?正直に言いますと、私は高校時代、すごく苦手でした。ということで今回は同じように苦しむあなたに、諸子百家を分かりやすく解説していきます!

 

Contents

諸子百家とは?

 

 

諸子百家とは、中国の春秋・戦国時代の多くの思想家、学者集団のことです。

 

こうすれば勝てるんじゃない?とかこうすれば、上手く統治できるんじゃない?という感じで、諸侯にアドバイスをする集団とも言えます。

 

アドバイザーズですね。

 

」は先生、「」は多いという意味で、主に儒家、墨家、道家、法家、陰陽家、農家、名家、縦横家に分けられます。

 

うわーお、いっぱい出てきましたね。

 

とりあえず楽しもう!と思いながら整理しましょう。そうするとなんとなく楽しくなりますよ。このあとそれぞれ解説していきます。

 

春秋から戦国時代にかけて、旧来の社会秩序が崩壊し、新しい国家理念や道徳、世界観が求められるようになりました。

 

下克上も可能になって、実力主義になり、下から這い上がる人も増えますね。そんなん古いやろ!弱いもんは下がっとけ!みたいな。

 

あとはなんか、部活とかで自分は一年生だけど先輩より上手い。なのに上下関係厳し過ぎて、試合出してもらえない。

 

でも年度変わって、新しい顧問の先生が来たら、実力主義になって、下手な先輩試合出れなくなった。みたいな。イメージはそんな感じです(笑)

 

はい。

 

また互いに対立し、それぞれ富国強兵を目指す各国の諸侯は、競って自分に良いアドバイスをしてくれる思想家を求め、身分や血統にとらわれずに人材を登用しようとしました。

 

この思想家が諸子百家ですね。

 

そのような状況を背景に、前4世紀に最も活動が活発になり、各国を遊説して自己の説を主張し、自由に議論しあう「百家争鳴」の状態も生まれます。

 

なお、諸子百家の分類は、その当時に存在したわけではなく、前漢末の劉向が戦国時代の文献(古文)を復元研究して分類し名付けたものです。

 

後付けなんですねえ。

 

それでは儒家からみていきましょう。

儒家

 

儒家は、春秋時代末期の孔子の教え「儒学」または「儒教」を奉じる一派です。孔子の名前は一回ぐらいは聞いたことがあるのではないでしょうか。

 

中学校でも習いますよね。テストで「子孔」って書いて、社会のテスト満点逃しましたもん。

 

孔子は儒学の祖とされる人物です。

 

思想としては、人間愛である「仁」社会秩序を意味する「礼」を重視し、孝、悌などの家族道徳を守ることによって治国平天下をめざしましょう

 

西周の時代を理想の時代として、力による覇権を求める春秋戦国の諸侯たちは反省しましょう

 

というものでした。

 

孔子と弟子たちの会話を録したのが『論語』で、四書の一つとして儒教・儒学の重要文献とされています。

 

思想を単純化するのは好きではないですが、ちょっと分かりにくいので、シンプルに言ってしまえば、助け合いなさい。目上の人を敬いなさい。ですね。年上であれば年上であるほど偉いみたいな感じです。

 

日本の道徳は孔子の思想にすごく影響を受けています。私は、孔子の思想に賛同する部分と、うーんと思う部分があります。

 

孔子の思想の原点はというと

西周を理想的な時代ととらえ、戦国時代の混乱を克服する道を探ったことにあります。

西周がお手本というわけです。

 

孔子のこういう思想を戦国時代の孟子荀子らが発展させ、儒学または儒教と言われるようになりました。弟子が発展させて、確立するのって、ソクラテスみたいですね。

 

弟子である孟子は、体系的な国家統治論を作り上げました。

 

このまま詳しくお話しすると倫理の授業になってしまいまので、簡単に孟子の考えを紹介していきます。

 

思想の基本には人間の本性を善とする性善説にたっています。ヒトは良いヤツだ、ということです。

 

あとは、外界からの誘惑に負けない「浩然の気」を養うことの大切さを説いたり、君主は自分の徳によって統治を行うべきだという徳治主義を説いたりします。

 

また、彼の理想も周です。周の井田法を理想の社会とし、人心から離れた君主は革命によって倒されるという易姓革命説を打ち出しました。

 

易姓革命の解説はこちら。

易姓革命を分かりやすく!殷と周の解説も!

とりあえず孟子は性善説が大事ですね。同じく戦国時代に儒家として活動した荀子は、孟子の性善説に対して性悪説の立場で政治を論じます。

 

ヒトは悪い生き物だということです。

 

彼の考えは、後の法家の思想へとつながることとなりました。荀子は性悪説と覚えておいてください。

 

墨家

 

墨家は、墨子を祖とする諸子百家の一つで、戦国時代の諸侯に対し絶対的な平和を説きます。

 

墨子は、非戦論者・平和論者としてあらわれましたが、血族関係の意識が強く残る当時の中国の社会においては、自由主義者・合理主義者という点だけでは改革は難しいものでした。

 

核は廃絶すべきだ!と漠然と訴えても、各国間の関係や歴史を分析しないと解決しないのと同じですよね。

 

そこで墨子は、合理主義者としての一面の他に、宗教者としての一面を持ちます。

 

神を強く崇拝し、その権威によって乱世を治めるために、法律という形で人民に教え、社会の秩序を維持しなければならないと考えました。

 

そこでかれは、みずから教祖となって弟子たちを統率し、厳格な団体的な訓練を施し、一つの宗教的な団体を形成しました。

 

この団体は強固で、かれの死後も絶えずその後継者を教祖として選び、その教祖の言葉を至上命令として絶対的に服従しました。

 

墨家は墨子、平和を訴えた、と覚えておいてください。

 

道家

 

道家は、老子・荘子(あわせて老荘)の教えを奉ずる人々のことです。

 

彼らはアンチ孔子で、儒家の礼や徳の重視を人為的な道徳として否定し、無為自然を説いて、小国寡民を理想の国家としました。

 

目上を敬うとか意味わからん!平等じゃないやん!戦わず、自然には手を加えずに、少人数で静かに暮らそうよ!という主張なんです。

 

後に、中国の民間の神仙思想不老不死を願う信仰と結びついて「道教」となっていきます。道家は老子、荘子、小国寡民と覚えておいてください。

 

法家

 

法家は、孔子や孟子の儒家の説く礼によって国を治める徳治主義では人民を統治することは困難と考え、成文法によって罰則を定め、法と権力によって国家を治めようと考えたのが法家の人々です。

 

彼らの思想で言えば、なによりも公正で厳格な法の執行が為政者にとってもっと必要なこととされました。

 

これを理論化したのは性悪説にたった荀子の弟子、韓非でした。

 

法家の思想は、秦の統一国家建設の理念とされますが、秦の没落後は儒家の思想にその立場を奪われることとなります。

 

秦が滅びたのは、この厳格すぎる法が大きな原因です。もしかしたら、漢文の授業でやるかも知れないですね。

 

酒飲んで寝ちゃった皇帝に毛布掛けてあげたら、「おまえの管轄外の仕事だろ」と怒られて死刑になる話とか、

 

皇帝がアサシンに追われてるのに、従者は法律上立ち入れないところだからすぐに助けに行けない話とか…

 

秦の世界がよく現れていて面白いですが、この法治主義はやり過ぎですね。

 

陰陽家

 

陰陽家は、天体の運行と人間社会のありかたとの関連を説く一派で、自然現象の変化を陰と陽の交替という原理で説明するのが陰陽説です。

 

その影響を受けて、前4世紀末の斉の鄒衍(すうえん)が説いたのが五行説。

 

物質の根源を木・火・土・金・水の5要素からなり、その5要素が連続的に循環し変化すると考えました。

 

鄒衍は五行説によって帝王の徳を分け、それによって王朝交替の理論を説きました。

 

それによれば、周王室は火徳で、それに勝った秦王室は水徳であるとされているそうですよ。

 

そして、漢代には陰陽説と五行説が結びつき陰陽五行説となり、その後の中国人の俗信となって現代にも生き残っています。とりあえず、陰陽家は鄒衍、陰陽五行説と覚えてください。

 

農家

 

農家は、許行という人が説いたことで、その名の通り、農業に関する思想。等しく農業に従事すること、物価を均等にすることなど平等社会を主張しました。

 

試験にはあんまりでないですかね。

 

名家

 

名家は、ものには名だけなのか、実体があるのか、という議論を進めた人々を言います。

 

その一人公孫竜は「白馬は馬に非ず」と言ったことで知られていますが、次第に観念的な議論に陥り、中世ヨーロッパの普遍論争のような哲学的な発展は見られませんでした。

 

実在論と唯名論を分かりやすく解説!覚え方も!

縦横家

 

 

縦横家は、国間の政略を論じた人々です。まず強国の秦に対して他の6国が連合してあたるべきであると説いたのが蘇秦で、それを合従策といいます。

 

それに対して、張儀は各国に秦との個別の同盟の締結しよう!という連衡策を説きました。

 

ここで、語呂合わせターーーーーーーイム

 

蘇秦、合従策、張儀、連衡策がごっちゃになりやすいので、語呂合わせで覚えていきましょう!

 

語呂合わせタイム

塩にしょうが、チョレギ、レンコン

蘇秦(塩)

合従策(しょうが)

張儀(チョレギ)

連衡策(レンコン)

 

まとめ

いかがでしたか?諸子百家について丁寧に説明してみました!

 

ぜひ、世界史の理解に役立てて下さいね。

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それではまた会いましょう!

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